第四章 巨人族1
「ただい……ま……」
玄関のドアが開かれる音とともに、そんなおどおどした声が聞こえた。普段ならば玄関まで出迎えに行くところだ。だが少女はリビングのソファから一歩も動かない。どころか本を読んだまま返事すらしようとしなかった。
「……失礼しまーす」
少女が出迎えに来ないことを悟ってか、玄関で待ちぼうけしていた人物が家に入る。ここは彼の家であり本来遠慮する必要などない。だが彼には負い目があったのだろう。忍び足で廊下を歩いて彼がリビングにひょっこりと顔を覗かせる。
「ああ……やっぱり起きてた……えっと……ただいま」
少女は当然返事をしない。だがちらりとだけその声の主を一瞥した。赤茶けた髪を整えた中年男性。困ったような笑顔を浮かべて少女を見つめている。
少女は簡単な観察を済ませて男から視線を外した。ソファから一歩も動かず本を読み続ける少女。だが実のところ彼女の意識は本にまるで集中していない。僅かな沈黙を挟んで、リビングに現れた男性が少女の前に立った。
「……やっぱり怒ってる? アメリア」
そう問われて少女――アメリア・エンゲルスはじろりと男性を睨みつけた。
「いま何時……パパ」
アメリアの視線にややたじろぎつつも男性――アメリアの父が質問に答える。
「……午後九時です」
正確には午後九時十五分。まだ六歳のアメリアは普段ならベッドで横になっている時間だ。だが今日のアメリアはベッドには入らずリビングにいた。それは当然理由がある。アメリアはバンッと本を閉じると赤い瞳を尖らせて眉尻を吊り上げた。
「今日は一緒にお買い物するって約束だったのに! パパのウソつき!」
アメリアに怒鳴られて、父の困ったような笑顔がさらに渋くなる。
「ごめんよ、アメリア。本当は休みだったんだけど同僚が風邪を引いちゃって……急きょパパが代わりにお仕事しなくちゃいけなくなったんだ」
「パパはあたしよりお仕事が大好きなんだ!」
「そう言う訳じゃないけど……」
父が言い淀みながらもアメリアの赤い瞳を真っ直ぐ見つめて言葉を続ける。
「いいかい、アメリア。パパはね不動産のお仕事をしているんだ。不動産というのは簡単に言えばみんなに住むお家や土地を探してあげることなんだよ。アメリアだってお家がなかったら困るだろ? だからパパも簡単には仕事を休めないんだ」
「……よく分かんないよ」
アメリアはむすっと頬を膨らませて言う。
「どうしてパパが探さなくちゃいけないの? お家なんていっぱいあるじゃん。それにお家がなくても好きなところに建てればいいんだよ。パパが探さなくてもいいよ」
この近所にも空き地がある。その空き地は子供たちの遊び場となっているためそこに家ができても困るが、そのような場所を他に探して家を建てればいい。アメリアはそう考えた。だがこの彼女の言葉に父が頭を振る。
「そう言う訳にもいかないんだ。確かに土地不足の問題が深刻化しているとはいえ、空き地が全くないわけじゃない。だけどそこに勝手に家を建ててはいけないんだ。例えその土地が空き地であろうと、そこには必ず土地の所有者がいるからね」
「ショユウシャ?」
「持ち主がいるってことさ。世界は広いけど全ての土地に持ち主がいる。山も海も全部、誰かのものなんだよ。パパとアメリアが暮らしているこの場所だってそうだ」
「ここはあたしとパパの家だよ」
「パパたちはこの家と土地を借りている。厳密にはパパたちのモノじゃないんだ。パパたちのような一般の人は土地を持っている人から借りないと駄目なんだよ」
「……おかしいよ、それ」
アメリアは唇を尖らせて不満を顕わにする。
「山も海も全部みんなのものにすればいいじゃん。そうすれば誰かから借りなくていいしお家だって作れる。みんなが楽しくなるよ。どうしてそうしないの?」
「……そうだね。アメリアの言う通りなのかも知れない」
父の表情にふとした影が落ちる。
「遥か昔から存在するこの世界に所有者がいることが歪んでいるのかも知れない。人間だけじゃなく全ての動物も含めて、土地とは生物全体に共有されるべきなんだろうな」
「……パパ?」
「……アメリア。今日は本当にごめんね。お詫びと言ってはなんだけど――」
表情に落としていた影をさらりと消して、父が背中に隠していた右手を出す。父の右手には花束が握られていた。色鮮やかな花束を見てアメリアはバアッと表情を輝かせる。
「うわあ……いっぱいのお花さんだ」
「帰り道にあるお花屋さんで買ってきたんだ。アメリアはお花さんが好きだろ? まあ花壇を作る土地がない現代、本物の花はすごく高価だからこれは造花なんだけど……だけど本物みたいに綺麗だろ? これでパパを許してくれないかな?」
「うん、許してあげる!」
アメリアはすっかりご機嫌を治して笑顔でこくりと頷いた。娘の許しをもらい父がほっと胸をなでおろす。そしておもむろに父が両手を広げた。ニッコリと微笑んでいる父。アメリアはソファを降りると両手を広げている父の腰にひしっと抱きついた。
「ありがとう、アメリア」
アメリアの赤い頭を父が優しく撫でる。父の温かく大きな手のひら。その手に触れているだけで幸せな気持ちになる。アメリアは頬を赤らめて父をより強く抱きしめた。
「パパ……大好き」
「パパもアメリアが大好きだよ」
「ずっと一緒にいてね」
「ああ……ずっと一緒だ」
――――
――――
そして気付いたら――
父の姿が消えていた。
「……パパ?」
アメリアは困惑しながらキョロキョロと部屋の中を見回した。とうに見慣れたリビング。父と暮らした温かな空間。だがどういうわけか一人残されたその部屋はどこか冷たい雰囲気を感じた。ひどく素っ気ない気がした。それはまるで――
そこがもう自分の居場所ではないように。
『貴女のお父様は亡くなりました』
アメリアはハッとして声に振り返る。一人残されたリビングにいつの間にか見知らぬ女性が立っていた。唖然とするアメリア。見知らぬ女性が静かに言葉を紡いでいく。
『この世界に貴女がたの居場所はどこにもありません。全ての土地が貴女以外の誰かのモノ。死しても埋葬さえされず処分される。貴女のお父様がそうであったように』
「だ……誰? アナタは誰なの?」
『私は――エルピダ』
怯えるアメリアに――
女性が穏やかに言う。
『貴女の望みを叶えて差し上げます』
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アメリアは目を覚ました。
開いた視界に夜空が広がる。星がちりばめられた美しい空だ。街で暮らしているとこれほどの星空を見る機会は少ないだろう。しばしぼんやりとその星空を眺めるアメリア。寝起きのためか思考が鈍重だ。アメリアは赤い瞳を一度瞬きさせ現況を整理する。
どうやら自分は仰向けに寝転んでいるらしい。背中に当たる地面は固く冷えている。ベッドではないようだ。そもそも夜空が見える時点で建物の中ではないのだろう。視界の端で風に揺れている枝葉。湿り気を帯びた空気。ほのかに感じる土の香り。ここは森の中だ。それを直感的に理解したところで――
アメリアはハッとして上体を起こした。
「よお、目が覚めたか?」
すぐ近くから声を掛けられる。アメリアは急に起き上がったことで眩暈を覚えつつ聞こえてきた声に振り返った。そこには闇に溶け込むような黒ずくめの男――
開拓者のクルト・ホーエンローエがいた。
「クルト……さん?」
地面に置かれたランプ。その明かりに照らされてクルトが軽薄な笑みを浮かべている。地面に直接胡坐をかいている彼をしばし見つめてアメリアはふとその視線を下した。
クルトの膝を枕代わりにおかっぱ頭の少女が眠っている。レームブルック不動産社長のカタリナ・レームブルックだ。眼鏡を外してスヤスヤと寝息を立てる彼女のその表情はとても穏やかで、普段の無表情などよりよほど少女の感情が現れている気がした。
クルトとカタリナから少し離れた位置に、金髪の女性がリュックを枕代わりに眠っていた。マイヤーハイム不動産開拓部部長のイザベラ・マイヤーハイムだ。社長令嬢でもある彼女だが、意外にもこの環境に不都合もないのか、涎を垂らして熟睡している。
「ここは……私は一体?」
アメリアの問いにクルトが簡潔に答える。
「神殿の前に設置したレストポイントだよ。覚えてないか? お前は神殿の前でいきなりぶっ倒れちまったんだ。んで、そのお前をレストポイントまで運んでやったわけ」
アメリアは記憶を探る。エルピダ地区の神殿。呪いの根源たる聖剣があると推測される場所。その神殿内部を入口から覗き込んでいた時、突如眩暈がして気を失った。気絶するまでの経緯を思い出し、アメリアは「……そうか」とクルトに頭を下げる。
「また世話になってしまったようだな。すまなかった、クルトさん」
「ま……気にするなよ。それよりも体調はもう大丈夫なのか?」
「あ……ああ。もう何とも――」
自身の体を見下ろしてアメリアはハッとする。二十歳を迎えた大人の女性。だが自身のその姿はまだ十代にも満たない幼女であった。アメリアは慌ててクルトに向き直る。
「これはどういうことだ? 呪いを解けば子供の姿から元に戻れるはずだろ。それなのに私はまだ子供のまま……まさかまだ呪いを解いていないのか?」
クルトが「ん……まあな」と歯切れ悪く答える。彼の回答に困惑するアメリア。気絶した自分をレストポイントに運んだとしても、その後に呪いを解く時間はあったはずだ。少なくともクルトは聖剣を抜くのに十分かからないと話していた。それなのにまだ呪いは解けていない。それは何故なのか。
「その様子じゃ……気付いてないようだな」
クルトが嘆息混じりに言う。彼の奇妙な言葉に首を傾げるアメリア。クルトがまた溜息を吐いてハラハラと手を払う。
「お前結構ヤバい状態だったんだぜ? 顔面真っ青で死にそうな呼吸していてよ。うわ言だって呟いていた。どうにも高濃度の呪素に触れちまったせいで、感染していた呪いが活発化しちまったみたいでな」
「そ……そうだったのか?」
アメリアは目を丸くする。自分がそれほど危険な状態だったとは実感がない。今は全くと言っていいほど普段の調子なのだ。手をニギニギするアメリアにクルトが苦笑する。
「今は大丈夫だろ? 俺が噛みついて活発化した呪いを喰ってやったからな。もともとお前はエルピダ地区の呪いに感染していた。普通の人間よりもエルピダ地区の呪素に影響されやすいのかも知れねえな」
「そうか……って、噛みついただと!? すると私は気を失っている間に――」
「元の姿に戻っているな。まあ心配すんなよ。服を脱がしてから毛布で体を隠したからな。カタリナとイザベラがやった。俺が覗こうとするとすげえ顔で睨んでくるんだ」
「……当たり前だ」
「そんでまた小さくなったところで着替えさせた。俺に噛まれると一時的に呪いに耐性ができるんだが、いつまた容体が悪くなるか分かんねえからな。呪いを喰える俺がここを離れるわけにもいかず、お前が目を覚ますまで待機することにしたわけだ」
聖剣を抜くのは十分かからない。だがそれは物事が順調に進んだ場合の話だ。イレギュラーが発生すれば当然、予定の時間を過ぎることもある。事実神殿に向かおうとした際、翼を生やした男に襲われるというトラブルに見舞われたのだ。それら状況も踏まえて、クルトたちは呪いを解くことよりもアメリアの看病を優先することに決めたのだろう。
「……つくづく済まない。足手まといにならないと息巻いておきながらこのざまとは」
「言っただろ? 気にするなってよ。お前を神殿に不用意に近づけちまった俺にも責任があるんだ。それにポートは明日の午後三時まで開いている。神殿に高濃度の呪素が溜まっている以上、他社に先越される心配もねえし、気長にやればいいさ」
クルトがここで大きく欠伸をする。もしかすると寝ずに看病してくれていたのかも知れない。自分の容体が悪化した際に対処できるのは呪いを喰えるクルトだけだ。眠るわけにはいかなかったのだろう。アメリアはそれを理解してクルトに告げる。
「私はもう大丈夫だ。クルトさんも休んでくれ。見張りが必要なら私がする」
「それなら気兼ねなく熟睡できそうだ」
「……頼りないのは重々承知している」
「冗談だよ。お前に気を使われなくても寝たきゃ寝るさ。それより一つ聞いていいか?」
「私にか? それはもちろん構わないが」
「大したことじゃないが――」
クルトがニヤリと笑う。
「アメリア……お前、声を聞いただろ?」
アメリアは息を詰まらせた。声を聞いたのか。クルトがさらりと尋ねた問い。その文章に誰の声かという言及はない。ゆえに本来ならば答えようない質問だ。
だがアメリアにはその質問が指している声の主に心当たりがあった。
「……どうやら聞いたみたいだな」
アメリアの表情の変化に気付いたのか、クルトがそれを確信する。
「お前が気を失っている時、うわ言で『アナタは誰だ』とか言ってたもんでな」
「……もしかしてクルトさんは、あの奇妙な声に心当たりがあるのか?」
クルトの疑問は声を聞いたかどうかであり、誰の声を聞いたかどうかではない。それはクルトがその誰かをすでに予想していたからではないか。アメリアはそう直感してクルトに尋ねた。クルトが浮かべていた軽薄の笑みに鋭い眼光を輝かせる。
「その声は大地の声――神々に滅ぼされた巨人族の声だよ」
「……巨人族?」
アメリアは眉をひそめる。聞き馴染みのない単語だったからだ。疑問符を浮かべるアメリア。クルトが眠っているカタリナの頭に手を乗せながら肩をすくめる。
「外人種が残した文献――神話に登場する一族の名前だ。人間が存在するより遥か昔、世界には巨人族と呼ばれる一族――厳密には外人種がそう呼んでいる一族が存在していた。巨人族はその名前の通り規格外の大きさで、海さえも歩いて横断したとされている」
「……そんな神話があるのか」
アメリアはこの手の知識に疎い。父を亡くして養護施設に預けられて以降、毎日を生きるのに精いっぱいで、神話などの根拠不明の話などに耳を傾ける余裕がなかったのだ。
「その巨人族が声の主だと? だがそれは神話の話なのだろう。それにクルトさんは巨人族の声を大地の声だとも話した。私にはさっぱり意味が分からない」
「簡単な話だ。俺たちが外大陸だと呼んでいる大地。その正体が巨人族だってことだ」
アメリアはぎょっと目を丸くした。現在大勢の人間が移住している外大陸。その正体が巨人族とはどういうことか。
「それは……私たちは巨人族の背中の上で生活しているということか?」
「正確には、この大地は複数体の巨人族が重なったもので、さらに言えば死体だ」
「死体?」
「巨人族はある日、神々の怒りを買い滅ぼされたとされている。外大陸はその巨人族の死体の山ってわけだ。そして外大陸を分割している各地区。あれはその大地を形成している巨人の識別子――つまり名前を示している」
「つまり……ここエルピダ地区は?」
「エルピダと呼ばれる巨人の死体により形成された大地ってことだ」
エルピダ。夢に出てきた見覚えのない女性。彼女がその名前を語っていた。神話を信じるならば、あの見知らぬ彼女が巨人族であり大地そのものと言うことか。
「だがどうして……その巨人族が私に声を掛けてくるんだ?」
仮にあの女性が巨人族だとして自分のような平凡な人間になぜ声を掛けたのか。どうせならもっと特別な人間に声を掛ければいいのに。アメリアのこの疑問にクルトがカタリナの頭をポンポンと触れながら答える。
「土地にはそれぞれ固有の加護がある。そして加護の正体は巨人族が個別に有している能力だと言われている。巨人族は神々により肉体を滅ぼされた。だが魂だけはまだ生存しており滅びた肉体――大地に息づいている」
「……だから滅びたはずの巨人族の力が加護として大地に発生しているわけだな」
「ああ。そしてそれは呪いにも同じことが言える。呪いは加護の暴走した力だからな。つまり呪いに感染するということは巨人族の力の一端を取り込むことと同じだ」
「……巨人族が私に声を掛けたのは私が感染者で、彼らの力を取り込んでいたから?」
「そう言うことだ。因みにこれはお前に限った話じゃない。呪いに感染して生き残っている奴なんぞ数少ないが、そういった連中には巨人族の声を聞いた奴もちらほらといる」
だからアメリアのうわ言を聞いて巨人族の声を聞いたと推測できたわけか。そのことに納得しながら、アメリアはふとした疑問を口にした。
「……そもそも呪いとは何だ? 土地の加護が暴走した力だとは知っている。その原因が聖剣にあることも、その聖剣を外人種が造り出したことも知っている。だが理由が分からない。どうして外人種は聖剣なんかを造り出して呪いを発生させたんだ?」
「それには諸説あり明確な回答がない。今のところ有力なのは、外人種が巨人族の強大な力を制御しようと考えていたという説だ」
「力の制御?」
オウム返しするアメリアにクルトがコクリと頷いてから説明を続ける。
「土地の加護はそれなりに役立つものだが、土地全体に力が分散するため効果が薄い。そこで外人種は聖剣を突き立てることで巨人族の魂を仮死状態にして力の流出を堰き止めたんだ。そして堰き止めたその力を任意に取り出して大きな効果を得ようとしていた」
「巨人族の力を任意に取り出すなど……そんなことが可能なのか?」
「外人種の文献にはそれに成功した記述もある。だが外人種は巨人族の力を甘く見ていた。強引に堰き止められていた巨人族の力が大地から呪いとなり溢れ出したのさ。外人種は呪いを食い止めることができず、いつしか外大陸全体が呪いに覆われることとなった」
「……外人種は聖剣を抜いて呪いを解こうとは考えなかったのだろうか?」
誰もが抱くだろうアメリアのその疑問にクルトが軽薄の笑みをやや渋くする。
「さあな……所詮は仮説の一つだし全くの見当違いかも知れねえよ」
「……そうか」
「んで、何が言いたいかっつうと――」
クルトが息を吐いてから言葉を続ける。
「巨人族から何を言われたのか知らねえけど深く考えないことだ。さっきも話したが未開拓地の巨人族は仮死状態にある。まともな思考力もなく寝ぼけているのも一緒だ。何を言われても取り合わず無視したほうがいいぞ」
クルトの話にアメリアはふと沈黙する。
巨人族と思しき女性。その彼女が伝えてきた言葉。それは夢から覚めた今でもはっきりと思い出せる。まるで脳に直接刻み込まれたように一語一句違わずに復唱ができる。
『貴女の望みを叶えて差し上げます』
それはどういう意味なのか。クルトが言うようにただの寝ぼけた言葉なのか。無視すべき戯言なのか。きっとそうなのだろう。望みが叶うなどあり得ない。検討する余地すらない。あまりに非現実的だ。心からそう思う。心からそれを確信している。
だがそれでも考えてしまう。頭の片隅で期待してしまう。巨人族が事実を伝えているという可能性に。非現実的な可能性に。確かに呪いは暴走した力だ。だが偽りの力ではない。実在する強大な力だ。もし呪いの力を制御することができれば――
どのような願いも叶うのではないだろうか。
「……クルトさんはスゴイな」
頭に浮かんだ思考。それを誤魔化すようにアメリアは思いつくままの言葉を口にした。
「それに比べて……私は駄目だな。開拓者だというのに知らないことばかりだ。この二年間で少しは自信をつけてきたつもりだが、全くもって自分が情けなくなる」
「そう真面目に凹まれると、からかいづらくて困るんだがね……」
クルトが苦笑してポリポリと頭を掻く。
「ま、あんま落ち込むなよ。神話なんぞ知らなくても未開拓地の開拓はできる」
「……しかし私とさほど年齢の違わないクルトさんはその知識を持っている」
「俺は開拓者云々とは別に、個人的な事情で色々と調べざるを得なかったんだよ」
「個人的な事情……それは――」
アメリアは口調を落として尋ねる。
「クルトさんも――呪いの感染者だからか?」
アメリアの慎重な問いかけに――
クルトが牙を剥いて笑う。
「そういうことだ。感染者である俺にとっては神話を含めた無駄知識も他人事じゃないんでね。ガキの頃に必死こいて調べたわけだ」
「……クルトさんはどの地区の呪いに感染してしまったんだ?」
「さあな……気付いた時には呪いに感染していたから俺にもよく分かんねえ。俺は物心つく前から外大陸を転々と移動していたからな。どっかで貰ったんだろうぜ?」
「外大陸を移動って……どういう意味だ? クルトさんの故郷は?」
「それも知らねえ。恐らく外大陸のどっかなんだろうけどな。そんで十歳の頃に俺はレームブルック家に預けられた。カタリナとはそん時からの付き合いで、兄妹なのか幼馴染なのかよく分かんねえ間柄だな」
眠っているカタリナの頭を優しく撫でながらクルトがそう話す。クルトとカタリナ。開拓者とその雇用主。恋人でも兄妹でもないはずの二人が、妙に近い距離にある理由がこれで理解できた。クルトがカタリナを見つめながらふっと苦笑する。
「カタリナの両親は十年前に死んじまったからな。カタリナにとって身内は俺だけだ。だからか、カタリナは俺がそばから離れることを執拗なまでに不安視している。時折見せる嫉妬じみた行動もそれが原因だ。その行動が行き過ぎてたまに手を焼かされるが、俺にとってもカタリナは大切な唯一の家族だ」
「……クルトさんの両親は?」
「そもそも誰が親なのかも知らねえ。俺をレームブルック家に預けた人は、俺と一緒に外大陸を転々としていた人なんだけど、もしかしたらその人が俺の親だったのかもな。その人にそれを質問したこともあったかも知れねえが……覚えてねえや」
クルトがあっけらかんとそう話す。そこに悲哀の気配などない。両親がいないという現実を受け入れているのだろう。アメリアは一呼吸の間を空けてふとした疑問を口にする。
「クルトさんはどうして開拓者に? そもそもカタリナさんのような十代の女の子が不動産の社長を務めているのもおかしな話だ」
「レームブルック不動産は元々カタリナの両親が経営してたんだよ。その両親が亡くなったんでカタリナがその跡を継いだんだ。そしてレームブルック家に居候していた俺はその事業を手伝うために開拓者になった。一応開拓者に必要な知識は豊富だったしな」
「しかし……別の仕事も探すことができたはずだ。不動産は競争が激化している業界。まだ十代の女の子が務めるのは大変だろう」
「俺もそう説得したんだがね。カタリナの奴が聞く耳を持たねえんだ。カタリナは俺の呪いを解こうとしているのさ。だから未開拓地を調査できる不動産にこだわった」
「クルトさんの呪いを?」
「お前だって知っているだろ? 呪いに感染した人間のその末路って奴をさ」
アメリアの背筋が粟立つ。
呪いに感染した人間が辿る末路。
それは――むごたらしい死だ。
「今のところ無事だがね。呪いの正体が分からねえ以上、いつどうなるか分からねえ。俺としてはカタリナには普通の暮らしをさせてやりたいが……あいつも頑固だからな」
「……そうだったのか」
アメリアはポツリと呟いて――
自嘲気味に笑みを浮かべた。
「クルトさんが開拓者として優れている理由が分かった気がする。クルトさんにとって開拓者の仕事とは、自身の出生の秘密を探すためのものであり、命を懸けたものだったのだな。私のような生半可な覚悟とはまるで違う。足元にも及ばないわけだ」
「いや……そう重く考えないでくれねえか? 俺は出生がどうの命懸けがどうのなんて難しいこと考えちゃいねえよ。ただ成り行きでそうなっちまったってだけだ」
「謙遜はよしてくれ。そのようなクルトさんの覚悟も知らず私は生意気な態度を取り続けてきたかも知れない。どうか許してくれ」
「……そんじゃお詫びにパンツ見せて」
「それでクルトさんの気が済むのなら――」
「冗談だ馬鹿! 間に受けんじゃねえ!」
クルトが珍しく慌てた声を上げる。ベルトを外そうとした手をピタリと止めるアメリア。クルトが「これだからクソ真面目な奴は……」と大きく嘆息して――
「……ところで、お前はどうして開拓者になろうと思ったんだよ?」
アメリアに苦笑しながらそう尋ねた。
「私が開拓者になった理由? そんなの……大した理由ではないよ」
「いいから教えろよ。俺だけ話すなんてフェアじゃねえだろ?」
「……私が開拓者になったのは――」
アメリアはその理由を答えた。
「私は……父の墓を作ってやりたかったんだ」
クルトが僅かに眉をひそめる。このような説明では理解できなくて当然だろう。アメリアは赤い瞳を一度瞬きさせて、過去を振り返りながら話し始める。
「私は幼少期、父と二人で暮らしていたんだ。母は私を生んですぐに亡くなってしまったらしい。だが私は寂しいと感じたことなどなかった。父はとても優しく私を誰よりも愛してくれていた。私もそんな父が大好きで家族で過ごせる日々を幸せに感じていた」
クルトが口を閉ざして沈黙している。余計な言葉を挟まずに話を最後まで聞こうとしてくれているのだろう。彼の心遣いに感謝しつつアメリアは淡々と言葉を続けた。
「だがそんな幸せは長く続かなかった。私が六歳の頃、父が突然亡くなったんだ。仕事から帰宅途中での交通事故だったらしい。現場には父が購入した花束が落ちていた。花が好きな私へのプレゼントだったんだろう。私は現実が受け止め切れず泣くことさえできなかった。そんな時に役所の人間から聞いたんだ。父は墓に入ることができないと」
当時抱いた胸の苦しみ。それをまた感じてアメリアは一度大きく深呼吸した。
「……土地不足が問題となっている昨今。実用性に乏しい墓地など数少ない。私たちが墓に入るためには、その数少ない墓地に入る権利を大金で買うか、それとも自身の土地に墓を作るかだけだ。だが私には金も土地もなかった。そんな時に聞いたんだ。開拓者になれば報酬として土地が貰えることもあると。だから……だから私は――」
アメリアは息を吐いて――
静かに言葉を締めくくる。
「開拓者になったんだ」
「……そっか」
クルトの返事は軽いものだった。空気を重くしないため敢えてだろう。いつもの軽薄な笑みに柔らかな気配を混ぜてクルトが肩をすくめる。
「立派な理由じゃねえか。それが生半可な気持ちだなんて思わねえよ」
「……だといいが。どちらにせよ現実はそんな甘いものではなかった」
「この仕事の報酬がここの土地だろ? 夢が叶ってよかったじゃねえか」
夢が叶う。その通りだ。この開拓を成功させれば土地を報酬として貰える。ようやく夢が叶うのだ。幼少期より追い続けてきた夢。焦がれ続けてきた望み。それが自分のものとなる。嬉しくないはずがない。喜ばしいことに違いない。心からそう思う。
だがそれでも考えてしまう。誤魔化しきれない本音が疼いてしまう。その夢は確かに本物だ。嘘偽りのない真実だ。想いを端的な形にした希望だ。だがそれはあくまで――
現実的な妥協であり――
非現実的な理想とは異なる。
「……ああ……そうだな」
心にわだかまりを残しつつ――
アメリアは小さく頷いた。