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8. 予想外の来訪者

 次の日から、柚花はぼくのところへ来なくなった。

 星が見れなかったくらいで、そんなに落ち込むものだろうかと、最初は半分呆れていたのだけど、次第に時間が経つにつれて不安になってきた。柚花が不意に見せたあの違和感が、もしも星空を見ることと関係があるとしたら、やっぱりちゃんと柚花の話を聞かなくちゃいけない。あいつが嫌がっても、聞き出すべきだ。

 そう思い立って、何度か柚花の携帯に電話を入れてみたのだけど「お客様がおかけになった番号は……」という冷たい機械のメッセージが流れるだけで、柚花に繋がらない。これは、いよいよ変だ。何とかして、柚花を捕まえなきゃならない。

 ところが、肝心なことに気付く。ぼくは、柚花の携帯番号を知っているだけで、柚花の通っている高校も、柚花の住んでいる場所も、遺跡アパートまでどうやって来ていたのかさえ、何一つ知らなかった。

 そうしてやきもきしているうちに、数日が過ぎてしまった。その日も、一つも身に入らない講義が終わり、荷物をまとめると、一目散にアパートに帰った。もしかしたら、今日は柚花が部屋の前で待っているかもしれないと、根拠のない淡い期待を胸に、アパートの錆びた階段を駆け上ると、

「あ、おかえりなさい、ソラくん」

 夕日の差し込むぼくの部屋の前で、ぼくの帰りを待っていたのは、柚花ではなかった。

「なあに? わたしの顔を、もう忘れちゃったの?」

 柚花よりも、熊谷よりももっと年上だけど、どこか二人よりも幼い雰囲気を振りまきながら、その人は頬を膨らませて見せた。

「か、母さんっ!?」

「あら、やっぱり覚えててくれたのね。そりゃそうよね、ソラくんが下宿始めてから、まだ一年も経っていないものね」

 ニコニコと笑いながら、母さんが言う。母さんと言っても、父が再婚相手に選んだ、新しい母の方だ。ときどき、突拍子もないことをする人だとは思っていたけれど、思いもよらない人物の来訪に、ぼくは驚きを隠せなかった。

「何、突然っ!? 来るなら連絡ぐらいしてよ」

「だって、ソラくん一度もお家に帰ってこないし、もしかしたらわたし、ソラくんのこと怒らせちゃったのかなって心配になって。それでいても立ってもいられなくなって、来ちゃいました」

 なんだか周りの空気まで春色に染め上げてしまいそうな、おっとりとした笑顔に、ぼくは思わず呆然としてしまった。確かに、新しい母の言うとおり、五月の連休も、お盆を挟む夏休みも、一度も家に帰っていない。別に、新しい母のことが嫌いだからそうしたわけではない。

「あれれ? 迷惑だったかしら?」

 呆気にとられたぼくの顔を覗き込むようにして、新しい母は少しだけ不安そうに眉を下げた。

「迷惑じゃないよ。家族なんだし……。とにかく、外は寒かったでしょ? 入りなよ」

 新しい母に気付かれないように溜息をついてから、ぼくは玄関の扉を開けて、新しい母を招きいれた。新しい母は「お邪魔します」と丁寧に言って部屋に入るなり、母親らしく部屋のあちこちを見回してチェックする。

「思ったより、綺麗に片付けてるのね。さすが、ソラくん。偉い偉いっ」

 一通り部屋のあちこちをチェックした新しい母は、おっとりした口調で感想を述べた。その笑顔を見ていると、ぼくを待っていたのが柚花ではなかったことへの落胆も、新しい母の突然の来訪を咎める気力も、何処かへと失せて行く。

 かつて、父に「この人が、新しいお前の母さんだ」と紹介されたとき、ぼくは素直に新しい母のことを「母さん」と呼ぶことは出来なかった。ぼくにとって「母さん」と呼べる人はたった一人で、その人は父と離婚して、柚花を連れ、ぼくの前から姿を消してしまった。そうして、現れた新しい母を、簡単に「母さん」賭して認めることは、とても出来なかった。

 ところが、この新しい母と言う人は、いつもニコニコと笑って、おっとりした顔でぼくに優しくしてくれるのだ。その姿に、ぼくはいつしか、ほとんどなし崩し的に「母さん」と呼ぶようになっていた。心の中では、それを認めたくないと思っているにもかかわらないで。

 その、かみ合わない感情が、ぼくに「家を出て下宿する」と言う決断を与えた。きっと、新しい母が、もっと嫌な人だったなら、かえって家を出たりしなかったのかもしれないと、相変わらずな新しい母の笑顔を横目に思った。

「それで、何か用なの? ただぼくに会いたいから、電車を乗り継いでアパートまで来たってことはないでしょ」

 ぼくは、新しい母のために温かいコーヒーを淹れながら言った。新しい母は、いつも柚花が座っているあたりに腰を下ろして、首にぐるぐる巻きにしたマフラーを必死で解いていた。

「そうそう、この前電話したのに、ソラくん出てくれなかったでしょう?」

 そう言えば、数日前に実家から電話があったことを、いまさらながらに思い出した。あれは確か、雨の日の翌日。二日酔いした朝だ。

「あ、その顔は、完全に忘れてたわね? もうっ」

 新しい母は、再び少女のように頬を膨らませて怒る。ぼくは、コーヒーカップを差し出しながら、素直に謝った。あの日は、遅刻騒動や星が見れずに落胆した柚花で頭が一杯で、その後も柚花がここへ来なくなって、そのことばかりに気をとられてしまい、すっかり実家からの電話ことは、忘却の彼方になってしまっていた。

「あら、可愛いカップね……。もしかして、ソラくんの彼女のものかしら?」

 ぼくが、新しい母に差し出したコーヒーカップは、男のぼくには不釣合いな花柄で、新しい母は妙に興味をそそられたらしい。

「ソラくんにもやっと彼女ができたのね。わたし、ずっと心配してたのよ。わたしの息子はホモじゃないかって……。ねぇ、可愛い子? 今度、ちゃんと紹介するのよ」

 勝手に想像を膨らませて、嬉しそうに新しい母は笑った。ぼくは話が脱線しそうな予感を秘めつつ、

「ぼくに彼女はいないよ。残念だけど……。って言うか、それ、柚花のだよ」

 と言うと、急に新しい母は何かを思い出して、コーヒーカップをぼくに突き出した。

「そう、危うく脱線するところだったわ! 柚花ちゃんよ、柚花ちゃん。彼女のことで、ソラくんに電話したのよ」

 目の前で、ピンクや黄色の花柄がチラチラする。

「この前、柚花ちゃんのお母さんから電話があったのよ! 娘を知りませんか? って」

 家族を捨てた母と、新しい家族になった母。その二人が電話口で会話する。なんだか、お昼のドラマみたいなすごい光景だ。だけど、そんな光景どうだっていい。

「どういうことだよ?」

 ぼくは怪訝な顔をして尋ねた。

「だから、柚花ちゃんが家に帰ってないのよ。それで、前に柚花ちゃんがウチへ来たとき、このアパートの住所を教えたことを思い出してね、もしかしたらソラくんのところにいるんじゃないかって思ったのよ。どうやら、わたしの名推理は大正解だったみたいだけど」

 新しい母は、ちょっと自慢気に鼻を鳴らす。事実を整理しただけで、名推理とは言わないと思う。ん? ちょっと待った。住所を教えた……? それって、まさか!!

「母さんっ! それっていつのことだよ!?」

 ぼくは新しい母の両肩を持って、揺すった。新しい母は、突然声を荒げたぼくに驚いて、目を丸くする。

「柚花ちゃんのお母さんから電話があったのは、わたしがソラくんに電話する前の日の夜よ」

「ちがうっ!! 電話があった日じゃなくて、柚花が家に帰ってないのは、いつからなんだ!?」

「えっと……、確か、二ヶ月前よ。柚花ちゃんは二ヶ月前からお家に帰ってないのよ」

 柚花が家出……。それは、半ば信じがたい事実だった。母の肩から手を離すと、ぼくは指を折って月日を数えながら、記憶をたどった。

 二ヶ月前と言えば、柚花と再会した頃だ。いや、きっとあの日に柚花は家出したのだ。そして、昔懐かしい実家に向かい、そこで新しい母からぼくの下宿先を聞き、ここへ毎日やって来るようになったのだ。だから、柚花は自分の住んでいる場所も、今どうしているのかも話したがらなかったんだ……。

 母と喧嘩でもしたのだろうか。それとも、もっと辛い何かがあったんだろうか。いずれにしても、何でそれを話してくれなかったのか、そして、ぼくはどうしてそれに気付かなかったのだろうか。それで、柚花の兄のつもりだったと言うのか。

「ソラくん……どうしたの?」

 きっとぼくは真っ青な顔をしていたんだと思う。新しい母は、ひどく心配そうにぼくの顔を覗き込んだ。

「警察に捜索願は出したの?」

 ぼくの問いかけに、新しい母は首を左右に振った。

「しらみつぶしに心当たりを捜しても見つからなくて、警察に届けを出す前に、最後にウチへ電話したそうなの」

 それを聞いたぼくは立ち上がり、壁に掛けたコートを取る。

「母さんっ。あの人に、捜索願を出すのを待ってもらうように電話して! ぼく、柚花のことを捜しに行って来るからっ!!」

 そういい残すと、ぼくは急いで部屋を出た。後ろで新しい母の呼び止める声が聞こえたような気がしたけれど、ぼくは振り向かなかった。

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