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6. 明日の天気

 柚花がシャワーを浴びている間に、ぼくはコンビニの袋を開けて、購入したばかりのコーヒー豆の瓶と、お菓子を取り出した。お風呂場からは水の音が聞こえてくる。柚花が妙なことを言うから、妹とは言えども、ちょっと意識してしまう自分が、恥ずかしいやら情けないやら。

 それでも、キッチンの隅でコーヒーメーカーにお湯を注いでいると、湯気とともに豆の香ばしい香りが漂ってきて、気分も落ち着きを取り戻した。

 大学生には似つかわしくないコーヒーメーカーは親父の持ち物で、下宿を決めた時にこっそりとくすねたものだ。勿論、親父にはバレているけれど、返せとは言われないので、別にかまわないのだろうと勝手に解釈している。

 柚花はぼくの淹れたコーヒーが好きだと言ってくれる。もっとも、市販の豆を買って市販のコーヒーメーカーで出したコーヒーの味は、誰がやっても同じ味になるに違いない。すると、柚花は決まって「ソラが淹れるから、美味しいんだよ。きっと、淹れ方が上手なんだよ」と嬉しいことを言ってくれる。だから、懲りもせずに妹のためにコーヒーを淹れるのだ。我ながら、おだてには弱いらしい。

「ふーっ、さっぱりしたよ。お風呂ありがと、ソラ」

 長袖Tシャツにジャージ、頭からバスタオルを被ったいでたちで、柚花がお風呂場から出てきた。

「風邪引かないように、しっかり、暖まったか?」

 ぼくが尋ねると、柚花はこくこくと二度頷いた。

「うん。勿論だよ。きっと、ソラの帰ってくるのがあと三十分遅かったら、きっとわたし凍え死んでたね。で、遅まきながら帰ってきたソラが言うの。『すまない、妹よっ。兄ちゃんが遅く帰ってきたばかりに……およよよ』」

「およよって、何だよっ。茶化すなよ、柚花。ぼくはお前のこと心配して言ってるんだぞ」

 ぼくがちょっと眉を吊り上げて言うと、柚花は不意に視線をずらした。怒られてバツが悪いと言う顔つきじゃない。

「いいんだよ、どうせわたしなんか……」

 ぼくの耳に届くか届かないかの小さな呟きは、得意の冗談を言っているようには見えなかった。泳ぐ視線、眉目に漂う影、口許の震え。ぼくはそんな柚花に、少しだけ違和感を覚えて怪訝な顔をする。

「柚花? どうした、何かあったのか?」

「ううん、別に、なにもないよ。まあ、とにかく、肺炎起こすまえに、帰ってきてくれたから良かったよ。でも、今日に限って帰り遅かったね」

 ぼくの表情を察知したのか、柚花はいつも通りの笑顔に戻って、何事もなかったかのように言う。でも、無理に話題を逸らそうとしてるのは、バレバレだった。

「ああ、友達のところに、熊谷と一緒に寄ってたからな」

 それでも、とりあえず気が付いていない振りをして、話しに乗ってやる。

「ふーん。薫さん、元気?」

「ああ、元気だよ。相変わらず、お前と一緒でぼくをからかってくれるよ。まったくもう……」

 ぼくがそう言うと、楽しそうに柚花は笑った。からかわれて迷惑してるんだ、とぼくは言いたかったのだけど、それは柚花には伝わっていないみたいだった。

 ぼくは肩を落としながら、サイフォンからカップにコーヒーを注ぐ。封切りたてのコーヒー豆の香りは、安物であっても香ばしく感じる。それから、ミルクを垂らし、砂糖を入れる。柚花は甘党なので、砂糖たっぷりだ。

「お前の好きな、チョコレートのお菓子買ってきたから、あっちで食べよう」

 顎をしゃくって指示しながら、ぼくは二人分のコーヒーカップを、柚花はお菓子の袋を持って、リビングに移動した。

「お前の制服。後で、コインランドリーに行って乾かさないといけないな」

 丸いちゃぶ台に向かい合って座り、ぼくが言うと柚花は頷いた。さすがに今の格好で家に帰るわけにも行かないだろうし、明日も学校はあるはずだ。

「雨ってイヤになっちゃうよね……。灰色の雲を見てると、気分まで重たくなっちゃうよ」

 柚花が顔をあげ、窓の外を見つめて言った。風雨が叩きつけ、年代ものの木枠に嵌め込まれたガラスをカタカタと言わせている。ぼくも、なんとなく窓外に広がる灰色の空を見上げた。もう少し寒さが厳しくなれば、この雨は雪に変わる。

 十年ぶりに妹と過ごす冬だ。あの頃はまだぼくたちは小さな子どもで、雪が降ると喜び勇んで庭を駆け回った。母親が「あんたたちは、童謡に出てくる犬みたいね。さしずめ、お父さんは猫かしら」と言って笑いながら、コタツの中で丸くなる父に呆れていた。まだ、離婚だとか、親権だと言って両親がいさかいを起こす前だ。ぼくと柚花は、ずっと家族一緒に季節を過ごしていくものだと思ってた。だけど、あっさりそれが壊れ、ぼくたちの心に傷を残した。十年という長い月日を経て、こうして再び妹と冬を過ごせると思うと、少しだけ感慨深いものがある。

「柚花、今日も星空は見れそうにないぞ。残念だったな、姫様」

 わざとらしく言ってやる。

「それを言わないでよ、もー。一番イヤなことなんだから! 神様ってヤツはホントに意地悪っ……そうだ!」

 柚花は何かを思いついたように独りで頷くと、急いで部屋の隅に置いた学生鞄から携帯電話を取り出した。そして、何やら熱心にいじり始める。

「何だ? 友達にメール?」

「違う。早速、天気予報のチェック」

 そう言って、黙々と携帯サイトを開く。部屋の中に、静かな沈黙が訪れる。柚花の天気予報チェックを待っているだけ、というのも退屈なので、ぼくは一口コーヒーをすすって、先ほどの違和感を尋ねてみることにした。

「なあ、柚花……学校楽しいか?」

 正攻法で尋ねるよりも、柚花の性格から(かんが)みても、少しずらしたところから尋ねる方がいいだろう。

「楽しいよ。ソラは、大学楽しい?」

「ああ。楽しくもあり、退屈でもあり。柚花ももう少ししたら大学受験だろ。大学生になったら分かるよ」

「ふーん。なれれば、だけどね」

 やっぱり、柚花の様子が変だ。言葉の端々に、これまで気付かなかったけれど、妙な違和感がある。

「ところで、母さんどうしてる?」

「えっ? 何で突然そんなこと聞くの?」

「いや、お前とこうして再会してから、一度も母さんや柚花のこと聞いてなかったなって思ってさ」

「別に……さっき、何もないって言ったでしょ」

 顔を上げずに、携帯電話をいじりながら柚花が答える。心なしか顔が曇るのを、ぼくは見逃さなかった。どうやら、ぼくの読みは当たったらしい。母親と何かあったんだ。喧嘩でもしたんだろうか。だから、二ヶ月前、突然ぼくのところにやってきたんだろうか。

「何もないってことはないんじゃないか。毎日夜遅く帰ってきて、母さん心配してるんじゃないか? ちゃんと、ぼくの下宿に邪魔してるて言ってあるのか?」

「ちゃんと言ってるよ。そんなこと、ソラが気にしなくてもいいよ」

「気になるよ。今住んでる所も教えてくれないし、それにいつもぼくのことばかり聞いて、自分のことは話してくれないじゃん」

「それは……わたしのことを話しても面白くないからだよ。そんなことよりさっ」

 柚花がぼくの目の前に携帯電話を突き出した。バックライトに照らされた画面には、翌日の日付とその下に赤い太陽のマーク。

「明日はすっきり晴れるって! いよいよだよっ。心の準備はいい?」

 晴れのマークと同じようなニコニコとした笑顔で、ぼくに言う。

「うーん、楽しみだねぇ。流れ星が出たら何をお願いしよう。やっぱり、『ソラに彼女ができますように』かなあ!?」

 遠足に行く前の子どものような、柚花のはしゃぎっぷり。どうやら、これ以上柚花のことを尋ねても、何も教えてくれそうにはない。ぼくの質問は、天気予報の所為で上手くはぐらかされた。ぼくは、仕方なく笑って、

「ぼくに彼女って、余計なお世話だよ」

「えーっ、こんなに可愛い妹が心配してるのに? でもね、実は内緒だったんだけど……。今度、薫さんにも協力してもらうんだ」

 ニシシと、白い歯を見せて柚花が笑う。それで、合点がいった。今日、熊谷がやたら「女の子を紹介してあげる」と言っていたその影には、柚花がいたらしい。意味深に笑ったのは、そう言うことなのだ。いつの間にか、熊谷と柚花はお互いに連絡を取り合う仲になっていたらしい。

 バス停での友人の笑顔を思い出していると、もう独りの友人のことをふと思い出した。そうだ、桂のお母さんに、桂がもうしばらく帰らないことを伝えておかなくちゃ。

「悪巧みするのも、ほどほどにしておけよ。それから、明日、屋根に上るんだったら、マフラーくらい持って来いよっ!」

「はーいっ」

 景気のいい柚花返事を聞きながら、ぼくはズボンから自分の携帯電話を取り出した。アドレス帳から桂の自宅の番号を探す。桂のお母さんは主婦だから、この時間に連絡してもいいだろう。不精な親友に代わって、その親に事情を説明するのも、なんだか奇妙な気がした。

 

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