15. 隠し砦の三悪人?
三日ぶりの講義は、やはり眠気を誘う子守唄だった。言い訳をさせてもらえるのならば、ぼくが遺跡アパートにたどり着いたのは、日を跨いでのことだった。そのために、ぼくは十分眠ることが出来なかった。それと、もう一つ。ずっと熊谷の言った「奇跡を起こす方法」も気になって仕方がなかった。
その日はまるで計ったかのように、熊谷と同じ選択講義がなく、結局放課後まで首を長くして待たなければならなかった。
そうして、禿頭の教授の長い長い講義が終わりに近づいた頃、ぼくのポケットがブルブルと震えた。発信者を確かめるまでもなく、それは熊谷からのメール着信だった。
「ジャングルに集合」
短いその文面に従い、終業のチャイムがなり終わる前に、荷物を片付けてジャングルへと向かった。勿論、ジャングルというのは、電算部室のこと。そして、そこに棲むヌシこと桂が、熊谷の言う「奇跡を起こす方法」のキーワードであることを、ぼくは悟った。
文化系部室棟の一番奥にひっそりとたたずむ電算部室は、あいも変わらず塗装のはげかけたドアで、何処となく、うらぶれた感を醸し出していた。
「おーい、桂。入るぞ」
鉄の扉をノックして、返事が帰ってくる前に、ぼくは部室の中に入った。部室の中は、いつも通りの真っ暗な部屋を想像していたのだけど、先客が窓を全開にして外の光を部屋中に取り込んで、別の部室にでも迷い込んだかのような錯覚を覚える。
「助けてくれ、此木っ!! 熊谷さんを何とかしてくれよっ」
桂がぼくに駆け寄るなり、泣きそうな顔で訴えた。不精髭を生やした面で泣きつかれても、若干気持ち悪いだけだ。
「遅いわよ、ソラっ」
ひゅっと音を立てて、ぼくの眼前に箒の先が突きつけられた。見れば、熊谷は両手に箒とちりとりを装備している。それで、何故部屋が明るくて、桂が泣きついて来たかが分かった。
「なんだ熊谷、押しかけ女房見たいだぞ」
ぼくが冗談を言うと、熊谷が反論を返してくる前に、もう今にも泣きそうな顔をした桂が、
「こんな押しかけ女房、こっちがごめんだっ!! いいかい、熊谷さんっ!! コンピューターって言うのは、とてもデリケートなんだ。光も風も埃も、全部敵なんだ。それをそんな風に、箒を振り回したりなんかして、壊れちゃったらどうしてくれるんだーっ」
と、顔に似合わないような甲高い声で悲鳴を上げる。
「あら、折角人が親切にしてあげてるのに、随分な言い草ね、桂くん。……それから、ソラ。押しかけ女房なんて冗談やめてよね」
「分かってるよ。でも、そのくらいにしてやれよ。本気でこいつが泣き始めたら、見てられないからな」
「そうだ、そうだ。これ以上掃除するって言うなら、俺、本気で泣いちゃうからな、わーんっ」
泣きまねをしてから、ジトっと、桂が熊谷を睨んだ。
「せっかく、汚い部室を綺麗にリフォームしてあげようと思ったのに……。仕方ない、やめてやるかぁ」
溜息を吐きながら熊谷は、ぼくに突きつけた箒を下ろした。きっと、桂にとっては、部室のリフォームなんて、ありがた迷惑以外の何者でもないだろう。だけど、このジャングルと呼ばれる、コンピューターとその周辺機材の山に囲まれた雑然とした空間をどうにかしたくなる気持ちの方が、少なくとも理解できる。
桂は熊谷が掃除するのを諦めたのと同時に、すばやく窓辺に走り、熊谷が開け放った窓を一つ残らず閉め切ると、ブラインドを下ろして回った。そして、すかさず空調のスイッチを入れる。
「学友会の会長が、電算部室は電気代かかりすぎだって、嘆いていたわよ」
顔の広い熊谷が、ほっと胸をなでおろす桂に言った。しかし、桂はそれを苦言と思いはしないだろう。
「それで……君たちは何をしにここへ来たんだい? 俺はこの部屋を溜まり場にするつもりはないから、そのつもりならさっさと出て行ってくれ」
「そうだ、熊谷。昨日言ってた、奇跡を起こす方法ってやつを教えてくれよ」
危うく、桂の同情できない泣き顔に、一番肝心なことを忘れてしまうところだった。
「ふっふっふっー。わたし、すごいこと思いついちゃったのよ。聞いて驚くなかれ、奇跡を起こす魔法を見つけちゃったのよっ!!」
「おい、君たち。俺の話しを聞いているか? 雑談するのなら、俺の作業の邪魔だ。出て行ってくれたま……」
「魔法!? 熊谷お得意の冗談を聞くために、わざわざジャングルまでぼくを呼び寄せたのか?」
「人の話を聞けよっ、此木、熊谷っ!!」
「わたしはいたって真面目にはなしてるのよ。冗談なんかじゃないわ」
「頼むよ、二人とも。俺を無視するな。泣いちゃうぞ」
「その魔法の扉を開く鍵は、桂くん、あなたなのよっ!!」
ちょっと芝居がかった口調で言い切ると、熊谷は、桂のことを指差した。完全にぼくたちの会話から弾き出されていた桂は、突然自分に話題が振られたものだから、きょとんとしてしまう。
「どういうことだよ。この引きこもりマニアが、奇跡とどういう関係かあるんだよ」
ぼくは思わず、いぶかるように桂と熊谷の両方を見た。
「うーん、正確に言えば、桂くんじゃなくて、桂くんの作った……ほら、この前見せてもらった例のプログラムだよ」
「確か……忍者くん一号?」
桂が電算部で開発し続けているというソフト、それが「忍者くん一号」だ。妙なネーミングだか、その実はネット回線を利用して、別のコンピューターに忍び込むことが出来るという、いわゆる一つのハッキングソフトである。
ぼくは思わず小首を傾げてしまった。犯罪まがいのハッキングソフトと熊谷の言う「奇跡」がどうやっても結びつかないのだ。すると、熊谷はぼくに向かって「察しが悪い」と言う。魔法だの桂だの、断片的な情報だけで察しろという方が、無茶だと思う。
「もう鈍いわねぇっ。だから、これを使って、街中を大停電にして、星空を柚花ちゃんに見せてあげるんだよ」
と言って、熊谷は人差し指を天井に向けた。その指がさしているのは、コンクリート地が剥き出しの電算部室の天井ではなくて、その先にある空だ。
「待て、待て、待てっ!!」
桂が、唐突に大声でぼくたちの会話を制する。
「お前たちの話が、全然見えてこないぞっ!! 一体どういうことなんだ、俺の自慢の『忍者くん一号』を何に使うつもりなんだっ!?」
そうだ、桂には何にも話していなかった。いや、むしろその辺りのことは、熊谷から聞いているものと思っていた。ぼくは、少しばかり面倒に思いながら、事情を掻い摘んで説明してやった。
「なるほどな、そのために俺の『忍者くん一号』を使うってわけか……って、そんな犯罪に『忍者くん一号』を貸すことなんかできるかぁっ!!」
そう言って、桂は愛用のパソコンの前に立ちはだかった。桂の言うのももっともだ。ハッキングソフトを使って、街中を停電させれば、確かに柚花の望む夜空を見ることが出来るだろう。しかし、それは犯罪だ。
「ぼくは、反対だ。それは、奇跡なんかじゃないよ」
と、ぼくが言うと、熊谷はがっくりと肩を落とした。そして、今度は自ら天井を見上げると、
「ソラ。君には、奇跡が起こせる? 魔法の杖を振り上げて、呪文を唱えて、柚花ちゃんに奇跡を見せることが出来る? 現実的に考えても、できないでしょう? わたしがソラだったら、柚花ちゃんのためになら、これは犯す価値のある犯罪だと思うよ」
と、静かに熊谷は言った。どうやら、発案者自身にも、これは犯罪だと言う認識があるようだ。だけど、熊谷の言うことは、的を射ている。ぼくの力では奇跡を起こすことは出来ない。事実は小説よりも奇なり、なんて嘘っぱちもいいところだ。現実的に考えるなら、それは、とても作為的で、必然的な方法でのみしか、得ることは出来ない。
「だから、これは三人の秘密。奇跡にはタネもシカケも必要ないの。必要なのは、度胸と決意だけ。ソラ自身のね……」
決意。そう、妹のために犯罪的行為に手を染めるか、否か。その答えはもう、決まっているはずだ。
「わかった、やろう」
ぼくは意を決して頷いた。熊谷がニッコリと微笑む。
「いやいやいや、俺は納得してないぞ。だいたい、俺は此木の妹になんか会ったこともない。なんで、協力しなきゃならないんだようっ」
ぼくたちだけが納得して、決意をしたとしても、肝心の桂が納得して協力してくれなければ、ことは始まらない。しかし、そう簡単に犯罪的行為に参加する、なんて言えるはずもなく、桂はぼくたちを睨みつけて拒否の姿勢を決め込んだ。
「じゃあ、この子のために頑張るって言うのは、どう?」
熊谷はそう言うと、鞄から携帯電話を取り出して、桂の目の前に突きつけた。
「ぴっちぴちの女子高生よ」
なんて言う熊谷の携帯電話の液晶には、いつ撮ったのか、柚花の写真が映し出されていた。写真の中の妹は可愛くポーズなんかとっている。それは、桂の意思を挫くのに、大層な威力を持っていた。
桂は真顔でぼくに近寄ってくると、ぼくの両手を取って、「これからは、お義兄さんと呼ばせてくれっ」と言った。
「どうやら、決まりみたいねっ」
ニコニコと嬉しそうに熊谷が微笑む。ここに「隠し砦の三悪人」ならぬ「ジャングルの三小悪党」が結成された。ぼくはそんな気分になってしまった。
「それで、柚花ちゃんのための作戦決行は、いつなんだっ!?」
本気モードになった桂は、学者先生よろしく、眼鏡をくいっと上げると、三小悪党の実質的リーダーとなった熊谷に尋ねた。
熊谷は自信たっぷりの表情で「今夜よっ!!」と言い放った。
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