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13. 母の家

 次の日の朝。ぼくは、電車に揺られていた。平日の出勤ラッシュ後の車内は、人もまばらで静か。聞こえてくるのは小声の雑談と、レールの音ばかり。

 窓の外を流れる私鉄沿線の長閑(のどか)な風景を、ぼんやりと眺めていたら、車掌のやけに篭った声のアナウンスが車内に響き、目的の停車駅が近いことを知らせてくれた。

 二日も大学をサボった上に、追加でもう一日サボるというのには、多少なりとも抵抗があった。実際、電源を切りっぱなしにしていた携帯電話には、メールが何件も寄せられていた。そのほとんどは熊谷からのものであることは、容易に想像できたけれど、まさか『ジャングル』と呼ばれる電算部室のヌシ、桂からのメッセージもいくつか混じっているとは思っても見なかった。そんなメールはどれも、ぼくを心配したもので、ぼくは暖かい友人たちの声に、心から嬉しくなった。

「帰ったら、すべて話す」

 ぼくは熊谷たちに、わざと素っ気無くメールを返してから、アパートを出た。これからのことを考えると、明るいメールは打てなかった。何故ならぼくは、人生初の三日連続サボりを敢行して、ある場所へ向かうつもりだったからだ。

 そこへ行くには、アパートから電車をいくつも乗り継がなければならない。思うよりも、遠出になることは予想していた。いや、近くてはダメなんだ。そこには、ぼくが十年前、もう二度と会うことが出来ないと思っていた人が住んでいる。そう、正確に言うなら、ぼくの母がいる。父が再婚した、あのおっとりした新しい母ではなくて、ぼくを産んでくれた、本当の母だ。

 本音を言えば、家族を壊して、ぼくと柚花を引き離した張本人の一人である、本当の母なんかには、会いたくない。それでもぼくは、どうしても母に会わなければいけない理由があった。柚花が十年の間、どのように過ごしてきたのか、そして、どうして家出なんかしたのか。柚花がこだわる、ぼくの「奇跡」とは一体何なのか。それを知っているのは、ぼくと柚花の母しかいないだろう。

 停車した電車から、駅のプラットホームに降り立つと、すでに時計は午後を示していた。柚花も家出した後、こんなに長い時間をかけて、遺跡アパートまで来たのかと、そんなことを考えながら改札を出て、駅前のロータリーでタクシーを拾ったぼくは、住所を告げた。柚花の家の住所は、新しい母から聞き出した。以前、柚花が新しい母を訪ねた時に、訊いていたそうだ。

 ぼくから行き先を聞いた、愛想のないタクシー運転手は、短い返事とともに、街中へと車を走らせる。車窓からの眺めは、ぼくの知らない街並みだった小さな駅の割には、街はそれなりに大きな都会だった。国道の両脇には、お洒落なお店や商社が軒を連ね、歩道を人が賑やかに行き交う。僅かに見える空をビルによって真四角に区切られてしまったこの街でも、ビルの明かりで満天の星空なんて見えないだろう。そんな街で、七歳だった柚花は、十七歳になるまで成長した。

「お客さん、大学生?」

 唐突に、さっきまでろくに口もきかないような無愛想だったタクシー運転手が、おもむろに言った。

「この街には、旅行か何か? いいねぇ、近頃の大学生は、ろくに勉学に励むことなく、暇をもてあましていて」

 皮肉めいた運転手の口ぶりに、ぼくは少しだけ不機嫌になった。確かに忙しいと言うわけではないが、そんな風に言われるのは、すこしだけ心外だ。

「いえ、旅行ではなくて、ちょっと私事がありまして」

 わざと棘のある口調で言うと、運転手はさすがにそれを察したのか、バックミラー越しに笑顔を見せた。

「いやいや、気分を悪くしたなら謝るよ。いやね、ウチの娘も今年大学に入ったばかりでね。親としては目の行き届く、近くの短大にでも進学させるつもりだったんだが、こんなゴミゴミした街はイヤだって、田舎の大学に進学しちまって、一人暮らしを始めたら、連絡ひとつよこさなくなっちまった。ちゃんと飯くってるのか、ちゃんと勉強を頑張ってるのか……」

「はぁ、それは心配ですね」

「親の心子知らず、とはよく言ったもので、こちとら家族だって言うのに、娘の考えていることがわからないとは、親として情けなくもあるんだがね。お客さんのご両親は、息災なのかい?」

「ええ、おかげさまで」

「そうか。いつまでもあると思うな親と金ってね、せいぜいしっかり親御さんには親孝行するんだね。見たところ、お客さんは真面目そうだ。ウチのドラ娘とは大違いだ」

 そう言って、運転手は大きく口を開けて笑った。それが、自嘲なのかそれとも単に笑っただけなのか、曖昧な笑いだった。まだ、中途半端な大学生のぼくには、子を持つ親の気持ちは知りようもない。だけど、ぼくも運転手と同じように、妹である柚花の気持ちが分からない。いや、それを確かめるために、ぼくはここまでやって来たんだ。

 そうこうしているうちに、タクシーは大きなマンションの傍で止まった。タクシー代は馬鹿にはならなかったけれど、駅から歩くにしてはそれなりの距離があった。タクシーが去っていくのをしばし見届けてから、ぼくはマンションを仰いだ。想像していたよりも高層で綺麗なマンションだ。入り口は自動扉になっていて、その隅に据え付けられた、目的の部屋のインターホンを鳴らして、自動扉を開けてもらわなければ、マンション自体に入ることはできない。

 ぼくは、インターフォンに取り付けられたネームプレートから、母の苗字を探した。柚花は、まったく母との暮らしのことを話してはくれなかったけれど、父と離婚した後、再婚していなければ、母の苗字は旧姓のはずだ。そして、それはいとも簡単に見つけ出すことが出来た。

 インターフォンを鳴らす。平日の午後に、家主の応答はないと思っていた。しかし間をおかず、ボタンの横にあるスピーカーから、母の応答が帰ってきた。

「はい、どちら様ですか?」

 母の声。十年ぶりに聞くその声は記憶の中の声と、あまり変わりはなかった。何て言おう……。母の声を聞いた途端、ぼくは言葉に詰まってしまった。

「……柚花? もしかして、柚花なの?」

 ぼくがあまりに黙りこくっていた所為で、母は柚花が帰ってきたものと勘違いした。

「あの……ぼく。此木空です」

 多少裏返った声で、名を名乗る。短い沈黙。そして、母の脳裏にぼくの姿が浮かんだのだろう。母の域を飲むような音が聞こえた気がした。

 自動扉の施錠が開く。ぼくは、マンションへと足を踏み入れた。エレベーターで上がった、六階の一番角の部屋。そこが、母と柚花の住まいだった。

 母は玄関の前で、ぼくを待っていた。一目見ただけで、記憶の中の母とその姿が合致する。だけど、あの頃より皺や白髪が増えて、何処となく歳を感じさせる。

「ソラ……」

 母がぼくの名を呼んだ。ぼくは、ゆっくりと母に近づいた。母は口許を押さえながら、目頭に涙を浮かべてぼくの姿を見る。十年ぶりの再会。それは、ぼくが柚花と再会したときと同じような感覚だったのだろうか。

「お久しぶりです」

 ぼくは、あえて無感情に頭を下げた。ぼくにとっては、感動の再会なんかじゃない。理由はどうあれ、父と母は家族を引き裂いた張本人なのだ。今になって思えば、子どもだったぼくたちにとって、大人の事情は関係ない。それをぼくはあの時、賢しいだけの頭で、諦めかけていたのだ。母の涙ぐむ姿を目の当たりにして、ほくは胸のあたりがムカムカし始めた。それは、自分に対する怒りなのか、目の前にいるかつての母に対する怒りなのか。

「ええ、そうね。ずいぶん大きくなったわね……ソラ」

「当たり前じゃないですか、あれから十年も経ったんです。でも、ぼくはあなたに会うために来たんじゃないんです。聞きたいことがあって来たんです」

 母の感動をぶち壊しにするような、抑揚のない声で言うと、母は少しだけ困ったような顔をした。

「聞きたいこと?」

「柚花のことです。母さんから聞きました、柚花が家出してるって……」

 そう切り出したぼくは、ぼくの知っている柚花のことをすべて話した。二ヶ月前に柚花と再会したこと、柚花が今何処にいるのか。そして、三日前、白十字通りで柚花に言われたこと。母はぼくの言葉を驚きを持って耳を傾けていた。

「そう、柚花があなたのところに行っているというのは、悠子さんから聞いていたの」

 母はぼくの話を聞き終わると、静かに言った。悠子というのは、新しい母の名前だ。

「随分と、ソラに迷惑かけてるのね、あの子……」

「違う。ぼくが聞きたいのは、そんなことじゃない。教えてください、柚花はどうして家出なんかしたんですか?」

 ぼくは、母を睨みつけた。母はそんな視線に耐えられないのか、チラリと部屋の玄関扉をみて、

「ここでする話じゃないわね。ソラ、家へお上がりなさい。柚花が家出をした理由を教えてあげるわ」

 と、言った。

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