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1. わがまま姫の願い

Belong以来、久々の新作です。今回は、ぼくが趣味で作曲した歌の歌詞をモチーフにしています。毎回、原稿用紙八~九枚分を一話としてお届けしたいと考えています。

ぜひぜひ、最後までお付き合い下さい。よろしくお願いします。

 その星の名は「シリウス」という。

 それは、二つの星から構成される、冬の星。おおいぬ座の九番目の星であり、オリオン座のペテルギウスと、こいぬ座のプロキオンと結ぶと、冬の大三角を形成する。中国では「天狼」日本では「青星」と呼ばれ、地球から見える恒星の中では、太陽に次いで明るい星である。そのため、その名前の由来もギリシア語の「光り輝くもの」という意味の「セイリオス」に由来している。


「ねえソラ、このアパートって屋根に上れるの?」

 十一月も終わりに近付いた頃、天体写真集を開いていた柚花ゆずかが、何を思ったのかぼくに言った。パラパラとページを捲る手を休め、すでに彼女の瞳は天井の向こうを眺めていた。

「まあ、上れなくはないけれど、屋根なんか上って、どうするのさ」

 ぼくは、柚花のためにコーヒーを淹れながら答えた。すると、柚花はニコニコと笑顔をぼくに向ける。少女のような、無邪気な笑顔だ。

「星を見るの」

「星? こんなに寒いのに? 風邪ひくだけだよ」

「じゃあ、毛布に包まって上がる」

 柚花は言い出したら聞かない。わがままと言うよりも、頑固者だ。ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを差し出しても、それに口をつけようともせず、柚花はぼくが折れるのを待った。コーヒーの湯気が、ボロアパートの隙間風にふわふわと揺れる。

「なんで、星なんか見たいの? ほら、この前作ったお手製のプラネタリウムがあるじゃん」

 そう言って、ぼくは部屋の隅にぽつんと置かれた、黒い球体を指差した。最近流行の、ルーム・プラネタリウム。柚花が材料をぼくの部屋に持ち込んで、星見表と睨めっこしながら作った力作だ。素人ながら、かなり良いものが作れたと自慢していたのは、柚花自身だ。

「それはそうだけど、やっぱり本物の夜空には敵わないよ。もっと高いところで、こんな星空を見ることが出来たら、素敵だと思わない?」

 柚花はプラネタリウムに見向きもせず、開いていた写真集をぼくの目の前に突きつけた。無数の星が、キラキラと瞬く美しい写真。きっと日本で撮影されたものではないのだろう。それが、柚花には分かっているのかいないのか、星と同じように瞳をキラキラと輝かせていた。

「ね、ね。ソラも見たくなって来たでしょ、お星様っ」

「仕方ないな……」

 ぼくは溜息混じりに立ち上がった。放っておいたら、毛布を被って屋根に上りかねない。そんな自殺行為をされてはかなわない。文字通り仕方なく、ぼくは押入れの奥から、しばらく着ていない厚手のコートを引っ張り出した。小柄な柚花には、大きすぎるコートだけど、何も羽織らないで、冬空に出るよりはマシだろう。

「これでも着とけ。それから、屋根から滑り落ちても、ぼくは助けないからな」

「やったっ」

 満面の笑顔になる柚花。どうせぼくが折れることをわかっていたのに、わざとらしく笑って見せる姿に、ぼくは少しだけ呆れながら、それでもぼくは柚花に甘いと、反省してしまう。柚花はそんなぼくの心情を知りもしないで、受け取ったコートに腕を通しながら、「しょうのう臭い」と顔をしかめた。

 ぼくの下宿するアパートは、築五十年のボロボロの二階建てだった。外壁はモルタルと木で覆われ、屋根は色の褪せた瓦葺。そのすべてが時代を感じさせるためか、近所の小学生からは「伊関いぜきハイツ」と言う名前を文字って「遺跡ハイツ」と呼ばれている。明らかに揶揄されたあだ名だ。そんなアパートの二階がぼくの部屋で、ベランダから雨どいを伝って、よじ登れば簡単に屋根の上へ出られる。

「マジで外、寒いぞ」

 すべりの悪い窓を開けると、冬の風が部屋の中に飛び込んでくる。その冷たさは、肌を切るようだった。やめにしないか、そう言いたくて振りかえると、丈の余ったコートに身を包む柚花の笑顔。どうやら、柚花姫は本気らしい。

「ぼくが先に上がるから、柚花は後で付いてこい」

 柚花に指示をしながら、プラスチックの雨どいをゆすって強度を確認する。もしも、雨どいが破損すれば、二階から通りのアスファルトへ真っ逆さまに墜落してしまう。打ち所が悪ければ、病院送りだ。それだけは、ご勘弁願いたい。

 幸い、雨どいは古いものだったけれど、金具がしっかりと固定されていて、簡単には壊れそうにもなかった。ぼくは、腹をくくって雨どいを掴み、よじ登る。やったことはないけれど、フリー・クライミングってこんな感じなんだろうか。

 何とか屋根に上がることが出来たぼくは、寒さに身震いしながら、柚花を誘導しようと下を見る。そういえば、高いところは苦手だったことを、今更ながらに思い出し、もう一度身震いした。

「ねえ、大丈夫? 上れた?」

 部屋からひょこっと頭だけ出して、柚花が言う。人の気も知らないで、と喉まででかかった言葉を飲み込んで、

「柚花、ぼくの手に掴まれ、引っ張りあげてやる」

 と、屋根の端から両手を伸ばした。細い腕がしっかりと掴んだのを確認すると、渾身の力を込めて、柚花を引き上げる。思ったよりも、彼女の体重は軽く、難なく屋根の上に引き寄せることが出来た。

「うひゃあ。高いね」

 屋根に上がった柚花は、すぐさま立ち上がり、コートに着いた埃を叩いた。ぼくはと言うと、やはり高いところが怖くて、立ち上がることが出来ないでいた。

「見晴らしサイコーっ」

 柚花は楽しそうに辺りを見回した。周囲は住宅街で、このアパートより高い建物はない。その向うには、高層の建物が林立するビル街だ。何の変哲もない、都会の外れからの景色も、屋根に上ってみると、違った風景に見えるから不思議だった。

「ソラっ、見て見て、ビルがクリスマスツリーみたいっ」

 今にも踊り出しそうな勢いで、両手を広げた柚花がビル群を指差した。丁度ビルに灯る明かりが三角形を描き、クリスマスツリーに見えなくもない。

「柚花っ、騒ぐな、はしゃぐな。落ちたらどうするんだ。それに、他の住人や大家さんに見つかったら、怒られるぞ」

「怒られるのは、ソラだから。別にいいじゃん」

 ぼくに窘められた柚花は、頬を膨らませて言った。前言撤回したほうがいいのかしら。頑固者じゃなくて、わがまま姫だ。

「ぼくは怒られ役かよっ! まったく……それよか、星を見るんだろ」

 溜息交じりでぼくが夜空を指差すと、柚花はまるで忘れていたかのように「そうだった」と両手を叩き、夜空を見上げた。

 そこには見事な……曇天があった。月も星も、藍色の夜空も黒い雲がべったり塗りつぶしてしまい、何も見えない。柚花はきょとんとしながら、ぐるりと空を見渡す。

「何も見えないよ?」

 夜空のどこにも光点がないことを知った、柚花の横顔に寂しげに俯いた。

「そりゃ、曇ってるんだから、星どころか空も見えないさ。残念だったな、お姫様」

 ぼくは、少しだけ意地悪な笑顔をしてやった。ニヤリと歪むぼくの表情に、さすがのわがまま姫も察しがついたのだろう。ぼくが最初から、曇りであることを知っていたのを。

「え? もしかして、ソラってば、天気予報知ってたの?」

「天気予報なんて知らなくても、今日は朝から雲が張ってたじゃないか」

「し、知らないわよっ。わたしは、ソラと違って、真面目に授業受けてたもんっ。空なんて見る余裕なかったもんっ。だいたい、知ってるんだったら、最初に言ってようっ」

 柚花がぼくを睨みつけた。してやったり。ぼくは意に介さぬ振りをして、口笛なんか吹いてみる。

「と、言うわけだ。ほれ、降りるぞ。このままじゃぼくが風邪引いちゃうよ」

 手招きしながら、ぼくは屋根瓦を滑って、屋根の縁に掴まった。また雨どいを伝って下へ降りなければならないと思うと、上ったときより怖いことに気付く。

「ソラの意地悪……」

 ぼくが振り返ると、柚花は空を見上げて呟いた。

「柚花のわがままに付き合ってやったんだ。ありがとうくらい言えよな」

「いいわよ、言ってあげる。でも、ちゃんと星空を見ることが出来たらね。それまで、毎日屋根に上るからっ」

 柚花は腰に手を当てて誰に宣言するでもなく、言い放った。

「マジで?」

「うん、すっごいマジでっ」

 ぼくの方を向いてニッコリと微笑む顔が、ぼくには悪魔の微笑に見えた。もしかして、これから柚花の望む星空が見られるまで、ぼくは付き合わされてしまうのか? そう思うと、何だか寒気がしてきた。きっとそれは、冬の木枯らしの所為だ。だから、風邪を引く前に三度、前言を撤回したい。柚花は頑固者じゃなくて、わがままじゃなくて、頑固でわがままな姫だ。


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