引き取られた家のお姉様の物はすでに盗られた後だった……
「お姉様。お部屋を見せて下さいませんか?私、お姉様のお部屋が見たいのです」
コリーヌは、意を決してレティリシアの部屋に押し掛けた。
ノックもしないで、扉を開けて、開口一番に、叫んだコリーヌ。
そして、わくわくしながら、見た部屋。公爵令嬢であるレティリシアなら、さぞかし、豪華な物で溢れた部屋であろう。そう思ったのに。
あまりにもシンプルな部屋で驚いた。
「何これ。何もないじゃない……」
コリーヌは、今日、パレントス公爵家に引き取られてきた15歳の少女である。
茶の髪でそばかすがあり、大した美人ではない。
それまでは街の食堂で必死に働いて生きてきた。
お給料もそんなに良くなくて、朝から晩まで働いて働いて、やっと生活してきたのだ。
住むところも狭い割には家賃が高くて、食堂のまかないの食事が無ければ、まともに生きていけないあり様だった。
コリーヌを雇っていた食堂経営の夫婦が悪い訳ではなく、食堂のある王都の物価が高いのだ。
かといって、コリーヌは王都で生まれた。酒場で働いていた母がどこぞの貴族と恋に落ち、コリーヌを産んで、女手一つで育ててくれた。
そんな母も病で亡くなって、コリーヌは食堂の夫婦の好意で働かせてもらっているのだ。
そんな時に、レティリシア・パレントス女公爵が、コリーヌを自分の妹として引き取りたいと。自分の父とコリーヌの母との間にできた娘がコリーヌだからと。
レティリシアはそれはもう銀の髪にエメラルド色の瞳の美しい女性で。歳は18歳だという。3歳年上だ。
コリーヌは有難くその話を受ける事にした
食堂で働く生活はそれなりに大変で。
パレントス公爵家の自分の義姉が自分を引き取ってくれるのだ。
女公爵レティリシアの妹として、贅沢が出来るのではないか。そう思ったのである。
喜んで了承し、食堂の近くの家から少ない荷物を持って来ると、レティリシアの待つ、豪華な馬車に乗り込んで意気揚々と公爵家に向かった。
これからの華やかな生活を思い描いて。
街のショーウインドウには、素敵なドレスやアクセサリーがキラキラ飾ってある店がある。
美味しいパンケーキや、香り高いコーヒーを出してくれる洒落た店がある。
自分が働いていた庶民的な食堂でなく、高級料理を出してくれる貴族用の店がある。
全てが憧れだった。
公爵家に着けば、すぐに食事の時間だと言うので、メイドに案内されるがまま、食堂へ向かう。
公爵家に相応しい広い食堂。
二人きりで、レティリシアが正面に座り、次々と出てくる豪華な料理は、どれも食べた事がなく、凄く美味しい味がした。
肉汁が滴るステーキ。ふわふわの白いパン、何が入っているか解らない美味しいスープ、洒落た色々な葉が使われているサラダ。
何もかも珍しく、思わずレティリシアに向かってお礼を言う。
「有難うございます。私、こんな美味しいものを食べた事が無くて」
「食事は栄養が摂れるものを食べないといけないわ」
「そうですよね。ああ、もう美味しくて幸せ」
そして、ご飯が終わった後、自分の部屋というところに案内されて、驚いた。
思ったより……何だかシンプル。
部屋は広いが、簡素なベッド、クローゼット、テーブル。それなりに揃っているのだが、豪華というより、何だかシンプルなのだ。
クローゼットを開けてみれば、これまたシンプルなドレスや寝巻がかけてあって。
ノックをしてメイドが入って来る。
「私がメイドのミリーです。お嬢様。お風呂に入りますか?」
「あの……着替えはこれだけ?」
「そうですね。これだけでございます」
「お風呂に入る前に、お姉様にちょっと会ってくるわ」
そして、冒頭のシーンに戻る。
自分は引き取られたのだから、シンプルな部屋やドレスや寝巻で仕方がない。
だが、姉であるレティリシアの部屋はさぞかし豪華な部屋で、素敵なドレスやアクセサリーにあふれているのだろう。
見たい。見てみたい。
そう、思って突進した。
おねだりしたら、ドレスやアクセサリーの一つでももらえるかもしれない。
そう思ったのだ。
ドアを開けて叫んだ。
「お姉様。お部屋を見せて下さいませんか?私、お姉様のお部屋が見たいのです」
そして、驚いた。
自分の部屋と変わらない。
レティリシアは寝巻を着て、鏡の前に座っていた。
とてもシンプルな水色の足元まである寝巻で。自分とあまり変わらない。
昼間着ていたドレスはそれなりに高価な濃い赤のドレスだったのに。
レティリシアは立ち上がると、
「ノックもしないで入ってくるなんて失礼よ」
「申し訳ないです」
コリーヌは必死に訴える。
「お姉様の部屋が見たかったので、突進しちゃいました。素敵なドレスやアクセサリーとか見たいです」
「無いわ」
「へ?」
「そこに座りなさい」
部屋にあるシンプルなソファに腰かければ、レティリシアが目の前に腰かけて。
「無いわ。貴方の前に来た妹に盗られたのよ」
「私の前に来た妹?」
「そう、貴方達親子の事を知っていて、父を騙して入り込んだ女とその娘の事よ。父は見事に騙されて、義母になった女はアンナ。妹と名乗った女はサリーヌとか言ったわね」
アンナ……サリーヌ……、
アンナは母と同じ酒場で働いていた女性で、共同住宅の隣の部屋に住んでいた。サリーヌとお留守番をさせられ、よくサリーヌに虐められた事を思い出した。
レティリシアはため息をつきながら、
「アンナは父の妻におさまって、さんざん散財を繰り返したわ。サリーヌはわたくしの物を何でも欲しがって、父もアンナもサリーヌに与えなさいというから、わたくしはドレスもアクセサリーも何もかも盗られて、この部屋には何もないのよ」
「でも、昼間着ていたドレスはとても高そう」
「それはそうよ。わたくしは18歳で父を追い出して、女公爵になったんですもの。酷い恰好は出来ないわ。
父はパレントス公爵家の入り婿で、亡くなった母がパレントス公爵家の血を引いていたの。だから、父はわたくしがこのパレントス公爵家を継ぐまでの後見人みたいなものだったのに、好き放題したから。わたくしが18歳になったのを機会に、王家に訴えて、追い出したのよ。父もアンナという義母だった女も、サリーヌもね。
おまけに調べてみたら、サリーヌはお父様の子ではないということじゃない。どれだけ、わたくしを馬鹿にしているのかしら。
妹を名乗ったサリーヌはわたくしの婚約者だった、エリックまで色目を使って、盗ったの。だから、わたくしは両親やサリーヌを追い出すと同時に、エリックと婚約破棄もして。今頃、あの人達はどうしているかしら。
エリックは伯爵家の三男だったけれども、わたくしに婚約破棄をされたので、家を追い出されたというし。今となっては関係ないわ。わたくしが女公爵になったのですもの。本当にあんな人達はこりごり」
ものすごいストレスだったのだろうなぁとコリーヌは思った。
レティリシアは吐き捨てるように、父やその妻だったアンナ、妹として入り込んだサリーヌや、元婚約者のエリックの事を言っているのだから。
コリーヌはふと疑問に思った。
「なら何故?私をこの公爵家に引き取ったの?こりごりなのでしょう?」
「放ってはおけないじゃない。偽物の妹でなくて、本物の妹が見つかったのよ。あの親子は貴方達親子に成りすまして、我が公爵家に入り込んだの。父も関係を持った酒場の女の記憶があやふやでね。貴方のお母様と、アンナは髪色も顔立ちもなんとなく似ていたから。本当にどうしようもない父。でも、父の娘である貴方を引き取らないわけにはいかないでしょう。わたくしと貴方は血が繋がっているのだから。例え、パレントス公爵家の血が貴方に入っていないとしてもね」
凄く不機嫌にそう言われた。
レティリシアは立ち上がって、
「ドレスは皆、レンタルよ。わたくしは余計な物は持たない事に決めたの。亡きお母様の形見のオルゴールも、アクセサリーも皆、サリーヌに盗られたわ。そしていつの間にか、売られてしまった。わたくしは思い出も物も、何もいらない。サリーヌに盗られなくたって、いつなんどき失うか解らないじゃない。だから、愛する人だっていらない。何もいらない。貴方の事は仕方なく引き取ってあげただけよ。さぁ、そろそろ寝る時間だわ。部屋に戻って頂戴」
有無も言わせない言葉で追い出された。
コリーヌは自分の部屋に戻ったら、ミリーが待っていて。
「レティリシア様は如何でしたか?」
「仕方がないからって私を引き取ったって言ってた。あ、お風呂に入ってくるわ」
風呂に入って、それから、ミリーがタオルで拭いてくれて、髪を梳かしてくれた。
ミリーは髪を梳かしながら、
「レティリシア様は寂しいのだと思います。信じられる人が誰もいないのですもの」
「確かに、そうかもしれないわね」
ミリーの言う通りだと思った。
父が連れてきた新しい家族に何もかも奪われて、婚約者にも裏切られて、姉は傷ついているのだろう。
コリーヌはミリーに向かって、
「私、レティリシアお姉様の寂しさを癒して見せるっーーー」
「コリーヌ様になら出来ますよ」
「有難う。ミリー」
コリーヌは翌日から実行することにした。
レティリシアの寂しさを埋めて癒してあげるのだ。
「お姉様っー。今日はどこへお出かけなのですか?」
「わたくしは女公爵になったのですから、仕事よ。とても忙しいの」
王宮に用があるという。
コリーヌはレティリシアに、
「私もお出かけしたいです。一緒についていっていいですか?」
「仕事の邪魔をしないのならいいわよ」
外出前に綺麗な桃色のドレスをミリーが持ってきて、
「こちらはレンタルされたドレスです。汚さないようにとのレティリシア様からの伝言です」
公爵令嬢になったのだから、酷い恰好で外出は出来ないということなのだろう。
初めての外出用の生地の良い桃色のドレスが、コリーヌには嬉しかった。
桃色の帽子を被り、ドレスを着て、ブーツを履いて、玄関を出れば馬車が止まっていて。
レティリシアが先に乗り込んでいて、
「遅いわよ」
「ごめんなさい。こんな素敵なドレスが着ることが出来て嬉しいです」
「レンタルなのだから、汚さないでよ」
「解りましたっ」
レティリシアは品の良い、今日は紺のドレスを着ていた。
一緒の外出はわくわくする。
馬車は進み、しばらくすると王宮に着いた。
門番が門を開け、更に馬車は進んで、王宮の入り口の前で馬車は止まる。
コリーヌがレティリシアと共に王宮の入り口に下り立ち、その建物を見上げれば、あまりの豪華さにくらくらする。
市井の者ならば一生来ることはない王族が住む王宮。
王宮の入口に入り、受付を済ませて、レティリシアと共に豪華な王宮の廊下を歩くコリーヌ。
「やぁ、レティリシア」
「ダリウス第二王子殿下。ごきげんよう」
優雅にカーテシーをするレティリシア。
コリーヌは慌てて、お辞儀をする。
ダリウス第二王子は、金の髪に青い瞳のそれはもう美しき男性で、王国中の女性達の憧れだった。
コリーヌだって噂で聞いた事がある。
ダリウス第二王子は凄い美形だって。
目がつぶれる。
あまりの美しさで。
筋肉がっーーしっかりと筋肉がついていて、コリーヌはじいいいっとダリウス第二王子殿下の顔を見つめてしまった。
ダリウス第二王子はコリーヌを見て、
「誰だい?この女性は」
レティリシアが答える。
「新しい妹ですわ。コリーヌと申します」
コリーヌは再びお辞儀をして、
「コリーヌです。この度、パレントス公爵家に引き取られました」
「コリーヌ嬢。私はこの王国の第二王子ダリウスだ。よろしく頼むよ」
きらっきらの笑顔で微笑んで来るダリウス第二王子。
コリーヌは真っ赤になった。
胸がドキドキする。いや、もうドキドキ過ぎて胸が痛い。
しかし、ダリウス第二王子はレティリシアに、
「私との婚約、考えてくれた?」
がーーーんっ。一目惚れからの失恋だっ。お姉様が好きなのかしら。
コリーヌはレティリシアの答えをドキドキしながら待った。
レティリシアは一言、
「わたくしは誰とも結婚する気はありませんわ。わたくしは、前にいたサリーヌのせいで、婚約を解消しておりますの。パレントス女公爵として一人で生きていきますわ」
コリーヌは思った。
それではいけない。お姉様はこのままではいけない。こんな傷ついたまま、一生過ごしていくなんて、そんなの悲しすぎるのではないかと。
ダリウス第二王子の事をあまりよく知らない。
王太子殿下の事は下々まで、優秀な方だとか、聞こえてくるけれども。ダリウス第二王子はそれはもう美しいお方だという事が有名で、詳しい事は解らないのだ。
もし、浮気者で色々な女性に手を出していたらどうする?
ダリウス第二王子は姉と同じ18歳。いまだに婚約者がいないのはおかしい。
コリーヌは聞いてみる。
「ダリウス第二王子殿下はどうしていままで婚約者がいないのですか?」
ダリウス第二王子はレティリシアを見つめて、
「レティリシアの事が忘れられなくてね。私の一目惚れなんだ。王立学園でも同じクラスで、その時、レティリシアには婚約者がいたから。婚約が解消になったと聞いてすぐに申し込んだ。でもなかなか承諾して貰えない」
コリーヌはレティリシアの手を握って、
「この第二王子殿下がどんな方だか、私は知りません。でも、お姉様がこのまま、恋もせず、仕事に生きるなんて悲しすぎる。私は応援します。お姉様が新しい人生を生きていくことを。だから、前向きに考えてみてはどうでしょうか。このきらっきらの王子様が浮気者ではなくて、誠実な方だったら、婚約しても良いのではないでしょうか」
レティリシアは、コリーヌを見つめながら、
「ダリウス第二王子殿下の事はよく知っているわ。一緒に、生徒会の仕事をやっていたのですもの。でも、王族と貴族の婚約は、市井の者のように簡単ではないの」
ダリウス第二王子は、レティリシアに向かって、
「私が優秀だという事は解っているはずだ。私程の男ならば、パレントス公爵家の婿として、君は助かるはずだ。何より父上だってパレントス公爵家に私が入る事を賛成しているよ。君は怖いのだろう?前の婚約者に裏切られて。私は君を裏切らない。君の真面目で仕事熱心な所が大好きだ。だから、どうか前向きに考えてみてくれないか。私との婚約を」
「ええ。でも、わたくしは……」
「では、私の誠意を見せるとしよう。一緒にテラスでお茶をしようか」
コリーヌはお邪魔ではないかと思い、
「私は先に帰ります。お姉様。どうか、前向きに。前向きに」
「解ったわ」
コリーヌは、そのまま王宮から帰る事にした。うろうろしていて、不審者だと思われては困るし、絶対、迷う。
馬車がどこで待っているか解らず、いっそのこと、歩いて帰ろうと思った。
一本道だし、なんとか帰れるだろう。
お天気もいいし、春の陽気が気持ちがいい。
30分位歩いて、やっと、見覚えのある屋敷の門の前にたどりつけば、見た事のある女性が門番に向かって喚いていた。
「私はこの家の娘なのっ。中に入れなさいよ」
同じ茶髪だが顔が美人な容姿はサリーヌだ。
追い出されたと言っていたが、何故に戻って来たのか。
コリーヌは声をかける。
「サリーヌ、久しぶりね」
「あら。コリーヌじゃない。貴方、なんて格好しているのよ」
「ふふん。素敵でしょう。お姉様に買って貰ったのよ」
レンタルだけど、ちょっとぐらい見栄を張りたい。
サリーヌは擦り切れた服を着ていて、生活は苦しそうだ。
そしてコリーヌはサリーヌに詰め寄る。
「貴方達は私達親子のふりをしてパレントス公爵家を騙したのねっ」
「何よ。ふりなんてしていないわ。お母様が言ったのよ。パレントス公爵様と関係を持って生まれたのが私だって」
「でも、本当の娘は私よ」
「きぃぃぃいいっーー。私こそ、本当の娘よ」
サリーヌが飛び掛かって来た。コリーヌも負けてはいない。
互いに髪を引っ張り合い、取っ組み合いの喧嘩をした。
そういえば、意地悪をするサリーヌによく飛びかかって、二人で取っ組み合いの喧嘩をしたっけ。
門の中から使用人が出てきて、コリーヌとサリーヌを引き離した。
コリーヌは叫ぶ。
「私がお姉様の本当の妹なの。貴方は偽物。二度と関わらないで頂戴」
「何言っているのよ。諦めるものですか。お父様もお母様も行方不明。エリック様は私の家に転がりこんでいるし、生活は苦しいの。私が本物っ、本物なのよ」
偽物とわかって追い出されたはず。いや、たとえ本物だって、レティリシアが自分を引き取ってくれたのは、仕方なくで、サリーヌ達がレティリシアにした仕打ちは許されるものではないのだ。二度と、顔も見たくはないであろう。
酒場で働く母同士が仲が良かった。だから、似たような時期に生まれた、娘たちに似たような名前をつけたのだ。
幼い頃からの苦しい生活。
綺麗な物に憧れた。美味しい物に憧れた。
その中で、サリーヌには結構意地悪されたのだ。
リンゴの大きい方を取られたり、母に初めて買ってもらったクッキーを食べられたり、本当にひどい目にあったのだ。
サリーヌなんて大嫌い。
だから、傷ついた姉レティリシアの気持ちがとても解る。
屋敷の人が、サリーヌを追い返してくれて、ボロボロの恰好になったコリーヌは屋敷の中に入り、そして真っ青になった。
「レンタルなのだから、汚さないでよ」
レティリシアに言われていたのだ。
見たらドレスはボロボロで、帽子はかろうじて無事だったけれども。
初老の男性が現れて、
「私は執事のセバスティアンと申します。コリーヌ様はパレントス公爵家の令嬢なのですぞ。取っ組み合いの喧嘩など。令嬢として恥ずかしい真似はやめてほしいですな」
厳しく叱られた。
「ごめんなさいっ。今度から気を付けますから」
本当に今度から気を付けなくては。そう、思うコリーヌである。
しばらくして戻って来たレティリシアにダリウス第二王子とはどうだったか聞きたかったが、始終不機嫌そうな様子だったので、聞けなかった。
これだけは言わなくてはと、レンタルドレスを駄目にした件を謝ったら余計に不機嫌になってしまったので。
それから三日後、コリーヌはレティリシアの部屋に突撃した。
「お姉様。私、街で美味しい物を食べたいです。豪華な食事をして、素敵なカフェでケーキとお茶をしたいですっ」
「ノックをしなさいと言ったでしょう」
仕事中なのか、机の上の書類を見ていたレティリシア。
「だって、こんないい天気なのですもの」
「解ったわ」
二人で馬車に乗って街に出かけた。
以前、入ってみたいと思っていた素敵なカフェに、レティリシアと共に入った。
オシャレな高級なチョコレートケーキに、香り高いコーヒー。
コリーヌはチョコレートケーキを一口食べて、
「わぁ、美味しいっ。ここのケーキが食べられるなんて夢みたい」
「そうなの?」
「だって、私のお給料ではとてもとても、高くて食べられないケーキですから」
「それなら良かったわ」
「それで、お姉様。ダリウス殿下とはどうだったの?」
「ダリウス第二王子殿下……そうね。婚約をお受けすることにしたわ」
「おめでとうっ」
「だって、王家からの申し込みを、これ以上、断るわけにはいかないでしょう。結構、しつこく申し込まれていたのよ」
「そうだったんですね」
しかし、レティリシアは不機嫌そうで、コリーヌは心配になる。
「もしかして、気乗りしないのですか?」
「わたくしは……不安なの。人を愛することが不安なのよ。裏切られるのではないかって。勿論、今回はパレントス公爵家の為に良い婚約だって解ってはいるのだけれども」
コリーヌはレティリシアの手を正面から握り締めて、
「私はお姉様の傍にいますっ。絶対に裏切りません」
「本当かしら」
「本当です。お姉様の妹として絶対にっ」
「そう、だったら嬉しいわ」
「今回の婚約も、ダリウス殿下が、誠意ある方ならば信じてみてはいかがでしょうか」
「そうね」
「このまま、恋もしない人生なんてとても寂しいと思います。何より、あの連中に負けた人生なんて嫌でしょう」
「確かにそうだわ。あの人たちのせいで後ろ向きになっても仕方ないもの。有難う。コリーヌ」
姉にお礼を言われて嬉しかった。
カフェの後は、二人で色々なお店に回った。
レティリシアは、コリーヌに素敵な髪飾りを買ってくれた。
「お姉様、色違いにしましょう。今日の日の思い出に」
桃色の髪飾り。コリーヌの茶の髪に可愛らしく似合う。
銀の髪のレティリシアに、碧い美しい色違いの髪飾りを、共に買った。
夕食も高級料理店で豪華な食事を食べて。
そして、ふと思う。
迎えに来た帰りの馬車で、コリーヌは、
「王都はとても市井の者にとって住みにくいです。少しでも、住みやすい街になれば……」
レティリシアは頷くも、
「わたくしにはどうすることも出来ないわ。領地経営だけで大変で。王都は王族の直轄の地ですもの。だから税金も物価も高いのよ」
「そうですよね」
気になる事は多々あるけれども、こうして姉と共に過ごせる幸せを噛み締めるコリーヌ。
しかし、ダリウス第二王子が、パレントス公爵家に顔を度々見せるようになって、気持ちが揺らいで来た。
仲良さげに庭を歩くダリウス第二王子と、レティリシア。
コリーヌにもお菓子を買ってきてくれる優しいダリウス第二王子。
いずれはこの公爵家に婿に入るはずだ。
自分で勧めたはずなのに。二人の姿を見ていたら心が痛い。
どっちに嫉妬しているのだろう。
お姉様を取られたから嫉妬?
それともダリウス第二王子殿下に恋しているの?
いずれにしろ、彼がこのパレントス公爵家に入ったら、自分は出て行った方がいいだろう。
一緒に食事をするなんて嫌だ。
仲良さげにする姿を間近で見るなんて嫌だ。
何だか心が痛い。
とても痛い……どうしてなんだろう。
メイドのミリーに相談した。
ミリーは一言。
「レティリシア様を取られた嫉妬ですかね」
「やっぱりそうかな」
姉に必要とされたい。
姉に愛されたい。
姉に……
でも、姉の傷を癒すのは、自分ではなかった。
ダリウス第二王子殿下なのだわ。
そう思ったら悲しくなった。
涙がこぼれる。
せっかく家族が出来たのに。
もっとお姉様の傍にいたかったな。
お姉様を守りたかった。
だから、決心したのだ。お姉様に害をなす、あの偽物を……
ミリーが声をかけてきた。
「あまり過激な事をしちゃだめですよ。コリーヌ様」
「へ?」
「だって思い詰めているような顔でしたから」
「ばれたかな。しないわ。だってこの家に傷がつくもの」
「そうですそうです。それに、レティリシア様がそのうち黙っていないでしょう」
「そうなの?」
「公爵家なんですよ。公爵家。あまりにも害があるなら、ね?」
ミリーは意味ありげに笑った。
そういえば、サリーヌはあの日以来、姿を見せていない。
後でミリーが教えてくれたのだが盗みを働いて、サリーヌとエリックは騎士団に捕まったという。
レティリシアはコリーヌに向かって、
「騎士団に行くわよ」
「解りました」
騎士団にお金を払って、二人に会わせてもらう事にした。
地下牢にいる二人。
レティリシアとコリーヌを見て、サリーヌとエリックは喚きたてた。
「盗みなんてしていないわ。ここから出してよ」
「おおっ。レティリシア。俺だ俺っ。昔の婚約者エリックだ。ここから出してくれ」
レティリシアはにっこり微笑んで、
「あまりにもしつこいものだから、騎士団に捕まえて貰いましたの。せっかく温情をかけてあげたのに。婚約破棄の慰謝料も取らないで、市井の者達と暮らして反省してもらおうと思っていたのですわ。エリック様。それにサリーヌ、貴方はさんざん、わたくしの物を盗んだのに、許してあげたのよ。少しは苦労すれば反省するかもと。それなのに」
サリーヌは叫ぶ。
「苦労なら生まれた時からしていたわ。働いても働いても、楽にならない生活。だったら、少しでも贅沢したい。そう思って何が悪いの」
エリックは、
「本当に市井の生活がこんなに大変だとは思わなかった」
「何言っているのよ。あんた、働かないじゃない」
「だって、どうやって働けばいいんだよ。俺、働いたことなんてないぞ」
二人が喧嘩し始める。
コリーヌはサリーヌに少し同情した。いくら意地悪されたとはいえ、生活が苦しい辛さは解るのだ。かといって盗みはいけないと思う。断じて。
コリーヌはサリーヌに、
「盗みはいけないと思うわ。サリーヌ。しっかりと罪を償って」
「だからしていないって」
「お姉様の物をさんざん盗ったでしょう」
「それは、だって欲しかったんですもの。レティリシアの物、だから婚約者だったエリックも盗ったのよ」
レティリシアは一言、
「鉱山へ送って頂戴。そこでじっくり反省するといいわ」
二人は喚く。
「鉱山は嫌だっーーー」
「嫌よっーーー」
コリーヌがレティリシアに、
「エリック様は辺境騎士団はどうでしょう」
「辺境騎士団って、あの?殿方が内股になるという?」
エリックは叫ぶ。
「そこはもっと嫌だっーーーーー」
結局、エリックは辺境騎士団へ、サリーヌは鉱山へ行かされた。
そして、半年後、レティリシアはダリウス第二王子と結婚した。
王都の教会で、沢山の参列者に祝われて。
結婚式でコリーヌは大泣きした。嬉しくて嬉しくて。
姉が幸せになる姿が嬉しかった。
結婚するまで、ダリウス第二王子が来ない日は、うんとレティリシアに甘えた。
沢山、妹として思い出を作った。
いつの間にか、何もなかった部屋は、色々な思い出の物で溢れた。
レティリシアの部屋には二人で買った可愛い縫いぐるみや色々なアクセサリー、ダリウス第二王子から贈られたプレゼントも勿論ある。同じく、コリーヌの部屋にもレティリシアとの思い出の品々が。そして、二人の部屋は女性らしく華やかになった。
結婚式の準備にレティリシアが幸せそうに笑って、そう……お手伝いした自分もとても幸せだった。
それと同時に、強く思っていた事に対して行動に移した。
少しでも市井の人の苦労を知って貰いたい。王族の人に。
ダリウス第二王子殿下とレティリシアを連れて、自分が昔、働いていた食堂へお忍びで連れて行った。
久しぶりに会うコリーヌに、食堂経営夫妻は喜んでくれた。
そこで、食べた食事は決して美味しいものではない。
それを食べて貰った後、市井の生活を見て貰った。
ダリウス第二王子は、あまりにも貧しい生活に、ため息をついて。
「これを王太子たる兄上に見て貰いたいのだが、私から進言出来る程、仲が良い訳ではないのだ」
すまなそうにそう言われた。
諦めない。ダリウス第二王子が駄目ならば……
コリーヌは二人が結婚したら、公爵家を出ると決めていた。
王宮の下級女官になると決めて、勉強に励んだ。
出世すれば、上級女官になれて、王妃様や王太子妃様をお世話することが出来るかもしれない。
王妃様はとても慈悲深い方だと聞く。
少しでも、市井の生活に興味を持ってくれたら。
今度は王妃様や王太子妃様に訴えてみるつもりだ。
苦しい生活をしている市井の者達は多い。
そんな現状が少しでもよくなったら。
コリーヌはダリウス第二王子に寄り添う、幸せそうな真っ白なドレスのレティリシアを見つめた。
本当に、お姉様に会えてよかった。
大勢の人たちが祝う中、幸せを感じながらコリーヌは空を見上げた。
秋の空はどこまでも澄み切っていて、鱗雲が並んでいてとても綺麗だった。