第五章
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2002年 12月 冬
「被告を懲役4年6か月の刑に処する。罪状は、有印書偽造、同行し詐欺罪。また覚せい剤の使用である」
あの夜、捕られてからN県警察本部に移送されて一年近く立っている。今日ようやく次郎の判決が下った。結局は、交通違反をした時に別れた後から照会をかけたらしい。
エヌ県警から逮捕状要請が出ている者を取り逃がしたと、次郎の地元のF県警は慌てたことだろう。
実際にその時取り逃がした警察官は叱責処分を受けたらしい。その後結局は捕られているのだから、次郎には関係の無いことだ。
次郎が最後に捕られたのだと刑事から聞いた。パルコたち中国人も先に捕られていたのだ。警察での取り調べ調書も、楽なものだった。
前に捕られた人間たちが全部喋っているのだ。全貌は明らかになり、後は確認作業のみを残すだけの状態で、要するに、次郎が一番悪いと言うコトの確認だ。
被害総額8億円、田舎のN県警が統括して全国をまたにかけた犯罪者グループを摘発した。
地元の新聞には一面を飾ったと聞いて、次郎は思わず笑ってしまった。田舎警察署だから暇だったのだろうと思ったからだ。
被害弁償は全部銀行側がしたそうだ。偽造の銀行印を見抜けない銀行が悪いらしい。
どうせ後から次郎は銀行側から訴えられて民事裁判にかけられるだろう。
しかし次郎は被害弁償などする気はサラサラない。何年も懲役を務めるのだ、その後で何億も払える訳がない。
銀行側はどうせ保険に入っているはずだ。一番罰を被るのは保険会社と言うことだ。
公判はすべて警察署から行った。拘置所に移送になったのは、実に判決が下った後からだった。
接見禁止が取れると、すぐ影山が面会に来た。
なぜ自分に黙って中国人なんかと悪さをしているのかと、面会所でどやし付けられた。
自分は一切関係無いのだと言うスタイルを見せたのだ。まぁ、それは始めから約束していたことだ。
次郎がすべてかぶれば良いのだ。
未決通算を差し引いても、4年は刑務所に入らなくてはならない。気が重い限りだ。
「おい、お前。壁にすがるな!」
「はぁ、すいません」
「壁が汚れるだろ。分かったか!」
刑務所は、エヌ県にある N刑務所にそのまま下獄することになった。
まず一発目の新入考査工場に配属されてすぐのことだ、刑務官からどやし付けられてしまった。壁にすがると壁の方が汚れるのだそうだ。
この時点で人間扱いはされてないのだと悲しくなってしまう。
エヌ刑務所はB級刑務所で、刑務所にもランクがあるのだ。
A級刑務所は、初犯刑務所。B級刑務所とは、累犯、即ち2回目からはこっちに入れられるのだ。その他にLA級、YA級、LB級などがあるが、LAはロングの初犯だ。
YAは初犯少年刑務所。LBはロングの累犯、と言ったものである。
ロングとは長期刑務所のことで、8年以上の刑を受けたものが下獄するところだ。
少年刑務所は26歳未満の人間が入るのだが、成人しているのに少年とは意味が分からない。
女子刑務所は、初犯も累犯もロングも関係ない。
男性の刑務所は大抵各県に1所ずつ存在するが、女子刑務所となると各管区に1所だけ存在する。
男と女では、犯罪を犯かす人間の数がこうも違うのだ。
女子刑務所には、一度入所してみたいと次郎は思っていた。
こうして次郎の刑務所生活は始まった。
「イッチ・ニィ・イッチ・二ィ」
「ぜんた~い、止まれ!」
「イッチ・二ッ」
刑務所生活はいつもこの掛け声で始まる。 受刑者が歩く時は行進をしなくてはいけないのだ。軍隊さながらである。
下獄するとまず、新入考査工場というところに2週間ほど配属される。
そこでみっちり行進動作を叩き込まれるのだ。
実はこの動作だが、各刑務所によって微妙に違うのだ。全国統一ではダメなのだろうか?そしてこの考査工場を経て、各工場に分類されるコトになる。
次郎が分類されたのは金属工場であった。
刑務所に入所するコトは、何のプラスも無いのだが、一つだけ為になるコトがある。
それは各県の人間と知り合いになれることだ。普通の暮らしの中では、他所の県の人と知り合うコトなどあまり無いだろう。
懲役に行き、この他所の県の人と知り合えるのが、唯一の財産に成るのだ。
不良であればなおさらで、シノギの幅が広がるのだ。
うちの県ではこんなシノギがある、なんて聞いているだけで勉強になる。しかし、それは話し半分である。皆、自分の話に尾ひれを付け、盛って話している輩が多いのは事実である。
まともに信用して居ては、後でバカを見る羽目になる。
出所してみないとホントのところは分からない。出所して会ってみれば、何やコイツ なんてコトはよくある話しである。
そんな中でも次郎は何人かと仲良くなり、出所してからの再開を約束していた。
「映画やドラマみたいに、あれから4年 みたいにならんものかねぇ」
「ははは、畑中さん、そんな訳にはいかないよ」
「それにしても、この懲役ってヤツは。全く色がない、灰色一色やないですか」
「ま、そうですね。言われて見れば、どこ向いても灰色ですね」
「早く出所したいっすゎ」
「まだ、来たばっかりやないですか?」
「そうですが、ここに来たら時間がホントゆっくりやけ。どうにかなりそうですゎ」
娑婆では一日で出来ることが、懲役では1週間も2週間もかかってしまう。
本の差し入れがあっても、その本が自分の手元に届くまで2週間は普通にかかるのだ。
手紙を出すには、発信日と言決められた日があり、その日にしか出すことが出来ない。
それ以外の日に早急に発信したい時でも、特別発信と言うシステムもあるのだが、それでも手続きやらで、2日くらいかかってしまう。
こんなところで何年も生活したら、きっと頭がどうにかなってしまうはずだ。
たとえ親兄弟が死のうが、出ることは許されない。
出所日が来ない限りは、絶対に出られないのだ。
もし無期懲役と言われたら、次郎はきっと発狂してしまうだろう。
「畑中さん。今回仮釈狙っているのですか」
「まさか、仮釈なんか今までもらったこと無いですわ」
「ま、でも辛抱仮釈、損気は満期ですよ」
「満期で良いですわ。満期が楽ですゎ」
「たしかに、泣いても笑ってもその日が来れば出られるのですからね」
「仮釈考え出したら、タダでさえ長い懲役がもっと長く感じますゎ」
懲役刑には仮釈放と言う制度がある。仮釈放で出所しようとするなら、いくつかの条件がある。娑婆に出たとき、身元を引き受けてくれるものが居る。
被害者が居る事件の場合は、その被害者感情が審査条件に入る。
勿論、審査基準は知らされない。
そして一番大事なのは、受刑者本人が規律違反を起こさず、真面目に務めて居ると言うコトなのだ。
人間なのだから、ちょっとした油断は必ずあるものだ。
例えば作業をしていて、目の前を視察の為に刑務官が通るとする。目の前が刑務官の影で暗くなり、反射的にその方向を見てしまった。これだけで「脇見」と言う立派な規律違反なのである。
今一例を述べたが、こんなレベルの違反行為は数えられない程ある。
その上刑務官のとり方次第で、どうとでも捻じ曲げられてしまう。
そんな不条理の中で、仮釈放で出所することなどとても出来そうにない。
真面目にすれば、少しだけ早く出所させてあげるから、頑張って真面目にしなさいと、受刑者の心理状態を読んだ、よく出来た制度である。
しかし、一日中気を張って生活しないといけない。
仮釈放が近づいて来ている受刑者が毎日まだかまだかと、イライラしたり、ソワソワしたりしている姿を見ると、一日が長いだろうなぁと思えて来る。
だから次郎は、はじめから満期で出所するのだと決めているのだ。
その方が絶対に楽であるに違いない。
「畑中さん、出たら何をするのですか?」
「いや、まだ何も考えとらんのですよ」
「そうですか、いやね、自分もまだ考えてはないのですが、畑中さんとなら何か出来そうな気がするのですよね。出たら組んで何かしましょうよ」
「ええですね。何かしましょう」
「約束ですよ。自分が少し早く出るからハガキ入れときますゎ。連絡下さいね」
「絶対連絡します、ハガキ頼んますゎ。何かしましょう」
「ええ、何かしましょう」
全くお笑いである。何をするかも決まって無いのに、何かをすると言う約束だけが成立しているのだ。
いったい何をするのだろうか?
ハガキを入れると言うのは、文字通りで出所した人間が連絡先を書いたハガキを、まだ残っている人間あてに郵送するのである。
勿論、そのハガキは本人の手元には届かない。官がストップをかけるのだ。
しかし出所するときには交付される。いくら刑務所でも勝手に捨てることは出来ないのだ。出所する前は、ノートやら私本やら、徹底的に検査される。
受刑者間での連絡の交換は、絶対に許されないのである。
もし書いているのが見付かれば、廃棄処分か上から塗りつぶせと強要される。仮釈放で出所する人間の場合だと、最悪、仮釈放の取り消しになるだろう。
受刑者の方も分かっているから暗号で書いたりするのだが、娑婆に出て、ノートの暗号を解こうとしても分からなくなっていた、なんて話はよくあるのだ。
せっかく聞いた連絡先も、教えた本人自体が何年も娑婆を留守にしている間の連絡先なのだ、繋がらない可能性は充分にあるのである。
だから絶対に連絡を取り合いたい相手にはハガキなのである。
実際ハガキを入れると言いながら、入れない輩も多いが、簡単な約束すら守れないような人間なのだ、付き合う価値もないだろう。
「畑中さん、いや、次郎ちゃん。それじゃあ先に出るけど、残り頑張ってや」
「寂しくなるよ、信ちゃん。もっとゆっくりして行けば良いのに・・・」
「ははは、相変わらずやね。次郎ちゃん、娑婆で待っとるから」
「出てからは、ゆっくりやで。焦っても何も良いことなんかないから」
「分かっとるよ。ハガキは絶対に入れとくからね」
「連絡、絶対にするから、信ちゃん」
知り合いが出所することは、とてもおめでたいコトなのだが寂しい。
特に残される方は、たまらなく寂しい。それでも懲役は続くのだ。
明日満期出所隔離になるのは、村上信也と言う名前だ。
始めの頃は、お互い「さん付け」で名前を呼びあって居たのだが、今ではすっかり仲良くなり「ちゃん付け」で呼び合う様な仲にまで成って居たのだ。
これからの次郎の人生に大きく関わってくる人物である。
一人が出所し、また1人出所する・・・仲の良い人間が出所するたびに、次郎は取り残される様な気持ちに成る。
そんな日々が暫らく続いたが、いつの間にか次郎の出所の日も近づいて来た。
来年の春には、次郎も晴れて満期出所だ。
そして次郎の3度目の懲役が終わった。