第十章
(10)
1993年 9月 秋
次郎がまだ、二十代だった頃の話しだ。
当時、次郎は少年刑務所を出所してブラブラして居た。
十代からヤクザをして居たが、少刑に入る前に辞めた、いや、逃げた。
そして、何をするでもなくブラついて居たのだ、ただのチンピラ、小チンピラだ。
そんな時、少刑で同房であった野茂が、仮釈放で出所してきた。
「畑中さん、自分今日出所して来ました」
「おう野茂、おめでとうさん」
「ところでアレ、中で話して居たヤツ頼めますか?」
「ああ、アレかぁ。出所祝いに段取りしてやるわ。金は要らん。夜、家に取りに来い」
と、こんな感じで話しが進み、その夜、野茂は出所祝いを取りに来た。
その日以来、野茂から連絡は無かったのだが、礼の一つも無くつまらん男やのぅ、と思っただけで、気にもしなかった。
ここまで話をしたら、もうお分かりだろうが、そう、野茂は麻取りに捕られて居たのである。
久し振りの薬物で、量を間違えたのか、野茂はおかしく成ったのだ。
仮釈放で出所した場合、二十四時間以内に帰住地にある、保護観察所に行かなければ成らないのだが、野茂のバカは後回しにしたのだ。
先に薬物を使用して、おかしくなり翌日に成って保護観察所へと出頭したのだ。
もちろん、野茂を見た観察所の職員は、様子がおかしいので、同じビルにある麻薬取締局へと緊急連絡をした。
保護観察所と麻薬取締局の事務所は、同じ合同庁舎ビルの中に在るのだ。
麻取りも、そんな小者を捕りたく無かった筈だ。しかし、保護観察所からの緊急通報なので、緊急逮捕をしなくては成らず、仕方なく逮捕した。
逮捕すると言う事は、身柄を持つと言う事で、十人足らずの捜査官を一人、起訴するまで、取られる事に成るのだ。
そして野茂は、次郎の事をチンコロした。
野茂が次郎の事を調書にしたので、今度は次郎の事を逮捕しなければ成らず、いい加減にして欲しかった筈だ。
しかし、次郎の事を調べてみると、意外と面白いかも知れないぞ、と成ったらしい。
次郎が元居た組は、薬物を大きく扱って居る、有名な組織で在ったのである。
捜査方針が決まった、畑中次郎を内偵。
十一月、次郎は野茂が捕られて居た事を知った。野茂が捕られて二カ月後だ。
「ヤバイ。野茂の奴、捕られとったわ」
次郎は慌てた。アイツはチンコロだろう、いや、百パーチンコロするだろう。
次郎は、なぜあんな奴に出したのかと、今頃に成って後悔した。
もしチンコロして居たとすれば、時期的にそろそろ警察が自分を捕りに来るはずだ。
この時点で、もしではなく、既に次郎は売られて居たのだが、相手が麻取りだとは夢にも思って居なかった。
ガラをかわすか?何処に?
次郎は色々考えて、とにかくガラをかわすなら県外だろうと結論した。
影山に電話してみよう・・・
九州の少年刑務所で、次郎は影山の舎弟に成って居た。
「兄貴ですか?次郎です」
「おう次郎、元気か」
「はぁ、兄貴。実はちょっと、困った事に成りましてね・・・」
「どうしたんか」
「まだハッキリとは解らんのですが、どうやら、切符が出とるみたいなんすよ」
切符が出るとは業界用語で、逮捕状が出ると言う意味だ。
「おう、どうするか?ガラかわすか」
「はい、出来ればそうしたいと・・・」
「それやったら早いが良いぞ。すぐ来い」
「はい。明日、朝いちの新幹線に乗ります」
「よし分かった、待っとるぞ」
「あ、兄貴」
「なんか」
「すんません」
「バカ」
影山は、本当に困った時は助けてくれる。
今思えば、この事件が無かったら、次郎が九州へ行く事は無かっただろう。
それを思うと人生とは、解らないものだ。
次の朝一番で、次郎は九州へ向った。
九州での生活は、楽しいものであった。
食べ物が美味しくて、女の子が可愛い。
しかし、一番幸せを感じた事は、自分の今の立場を忘れて居られる事だ。
十二月に成り、何だか世間も慌ただしく感じる。いつもはゆっくりとして居る、師僧も走ると書いて師走とは、よく言ったものである。
「いいなぁ、娑婆は。このままずっと娑婆に居たい・・・」
次郎が独り呟いて居たら、携帯が鳴った。
ディスプレイ画面は、非通知と知らせて居る。いったい誰だろう。
「もしもし」
「畑中だな」
「はあ、誰や?お前」
「お前を探して居る者と言ったら、解るか」
「えっ」
「今、お前がこっちに居ない事は、解って居る」
「な、な・・・」
「そこで伝えたい事があって、連絡した」
「な、なにを」
「今年はもうこっちには、帰って来るなよ。もし帰って来る様な事があれば、お前を捕らねばならん。そうなると、俺の正月休みが無くなるから、帰って来ないでくれるか?」
「・・・」
「正月はお前も、娑婆でゆっくり過ごせよ、いいか伝えたからな」
電話が切れた。
何だ、今の電話は、いたずらだろうか?そうだとしたら、いったい誰が・・・
警察は絶対に、こんな電話はして来ない。
じゃあ誰が、こんな電話をして来るのか。
この時点で初めて、自分を探して居るのが警察では無い事に、気付いた。
「麻取りか?・・・まさか」
そう考えると、おかしな事があった。
野茂が捕られた事に、まだ気付いて居ない頃のことだ。
次郎のマンションに、ある親子が訪ねて来た事があった。
来年、娘がこのマンションに引っ越して来る事に成って居ます。良ければ部屋の間取を見せて貰えませんか?
と言うもので、次郎は親切心から、部屋へ招き入れて、隅々まで見せてやった。
今考えたら、アレはおかしい。
マンションを契約するなら、普通は事前に不動産が見せる筈だ。
アレはきっと、野茂の供述調書を合わせる為に確認しに来たのだ。薬物引き渡し事件の場所が、次郎宅であった為に、裏取り捜査と在籍確認の両方を遣って退けたのだろう。
次郎の経験上、警察では有り得ない。
麻取りとはこんな捜査をするのかと、次郎は思った。背筋が寒くなるのを感じた。
絶対に地元には帰らないと、次郎は心に誓ったのだ。
年が明けて、早くも二月に成った。
去年あれだけ心に誓ったのだが、次郎は地元に帰って来ていた。
理由は女だ。
次郎には、当時付き合って居る彼女が居たのだが、次郎の逃避行で余り上手く行って居なかった。
逃避行の理由を教えて居なかった為、
「なぜ帰って来ないのか」
「どこに居るのか」
「他にも女が居るのか」
と、毎日の様に責められて居たのだ。
売り言葉に買い言葉で、毎日ケンカをしていた。
挙句、とうとう彼女の口から「もう別れよう」と言う言葉が出たのだ。
次郎は女々しい男である。そう言われると、居ても立っても居られない気持ちに成り、説得する為に帰郷する事にしたのだ。
「なぁ、別れるとか言うなよ」
「だって、私ずっと一人ぼっちだよ」
「分かっている、分かっているけど、俺にだって色々と事情があるから・・・」
「何よ、その事情って」
とその時である、二台のハイラックスサーフが二人の前に止まった。
中から五~六人の大学生風の男達が降りて来た。今からスキーにでも行くのだろうか。
次郎とは一切目を合わせない。
大学生風の男達は談笑しながら、次郎たちをゆっくりと囲んで来た。
「何やお前ら」
次郎が叫んだ瞬間に、その中の1人がゆっくりと次郎を捕まえた。
「畑中さん。麻取り、麻取り」
「ええ!嘘やん」
次郎の女に、麻取りの1人が身分証を提示して、麻薬取締局への同行を求めて居た。
それを見て、次郎は本物なのだと思った。
「麻薬取締官の廣本と言います」
次郎は合同庁舎ビルの最上階にある、麻取りの事務局へと連れて来られた。
そこへは、地下駐車場にあるエレベーター(鍵付き)から最上階まで上がって来た。
「ま、通称麻取りや、知っとるやろ」
廣本は急に砕けた感じで話しかけて来た。
「知っとるけど、解らんやったわ」
「そうやろ、すぐに解る様じゃあ、潜入捜査とか出来ないからね」
「まだ信じられんわ」
「野茂がべらべら謳ったから、面倒な事に成ったんや」
「やっぱりあのバカが・・・」
「ま、畑中さん、災難やったね」
「ホンマや」
二人で声を出して笑い合った。
「あ、女は帰らせてよ、関係無いから」
「それは分かっているよ」
「で、どうする?畑中さんは」
「どうするって?」
「一応ションベン出とるけど、誰か名前出せる?乙で調書とるから表には出ないよ」
調書には、甲と乙があって、乙調書は裁判資料には残らないらしい。
「それはなん、取引?」
「そう、取引」
なんてアバウト何だろう。
「名前は出せないって言ったら?」
「刑務所に入る事になるね」
「そっか、それなら仕方ない。刑務所やね」
「お!男やね。だいたい皆ここで折れるのやけどね」
「じゃあ、拘置所に入る手配するね。調べは明日からで、俺達が拘置所の調室に出向くから」
薬物自己使用の調書など、一日で終わったが、十日拘留の間、廣本は毎日出向いて来てくれた。
残りの九日間は、殆んど雑談だ。
廣本は、二度と誰か名前を出せとは言わなかった。勿論、次郎も出すつもりは無い。
次郎は物珍しさで、麻取りの捜査を根掘り葉掘り聴いた。
廣本はざっくばらんに答えてくれた。
拘留満期の最後の日、廣本は「私たち麻取りに捕られた事は、自慢に思ってくれ」と言って帰って行った。
自慢には思わないが、麻取りは自分の職業に誇りを持って居るのだなと思った。
この時の刑期は、一年十カ月だった。
俗に言うションベン刑だったが、それでも懲役に行くのは気が重い・・・
次郎は拘置所の窓から外を眺めて、独り溜め息をついた・・・




