14 元婚約者の破滅・後
いびつに曲がったお守りが、引き出しの奥底から出てきた。
人生で初めて作ったというレティシアがくれたもの。
プレゼントされた際、ジャークスはこれをくれた意味を計りかねていた。お守りなどいつでも買える。それがハルクフルグ公爵の息子である自分ならば、それこそもっと高級なお守り、高品質の魔導護符を何個でも買うことが出来る。
『ジャークス様の幸せを思って作りました』
そう言うレティシアに、当時のジャークスは『ありがとう』とだけ返した。
お礼を言ったのにレティシアは眉根を寄せ、悲しそうに微笑んでいた。
なぜそんな顔をするのだろう。
婚約破棄をした今でも、彼女が悲しんだ理由は分からなかった。
「ジャークス様、どうなされたんですか?」
「あぁイースチナ。悪いな、少し考え事をしていた」
「あ! お守りじゃないですか!!」
そう言って、イースチナはレティシアが作ってくれた古びたお守りを、つまむように手に持った。ぷっと吹き出し、クスクス笑っている。
「なんですかこの変なお守り。面白過ぎて涙が出ちゃう。ジャークス様、このお守りはどこで買われたものなんですか?」
「これは……レティシアに貰ったものだ。初めて作ったから形が変なのだろうな」
「これがあのレティシア様が作られた物!?」
イースチナはことさらに大声を出し、声を出して笑い始めた。
ひとしきり笑った後、満足したように目を細めてお守りを見る。その顔は愉悦に満ちていた。
「ジャークス様、これはもう捨ててもいいですよね?」
「……そう、だな」
執務室の机の、引き出しの奥底から引っ張り出した物。おそらくお守りの効果は切れているだろう。そもそも素人が作ったものだ、最初からお守りとしての効果はなかったのかもしれない。
使い終わったお守りにはきちんとした処分の方法がある。教会や神殿で、聖なる炎で燃やしてもらうのだ。お守りは基本的に魔導具師の魔力で作られるものだから、同じく魔力で生み出した炎なら燃え尽きるもの。
けれどその手順は踏まず、イースチナはクズ籠にお守りを捨てた。
魔女であるレティシアが作った物なら、正当な処分をせずにそのまま廃棄してもいいかもしれない。
(そうか。あの時のあの悲し気な表情も、俺を油断させるための罠だったのか)
魔女としての本性を隠すために、あえて儚げな演技をしてみせた。十分にありえることだ。建国神話でも、そうやって情を売り色香を売り、王国を破滅へと導いたのだ。
そう思えば、お守りを見てジャークスの中で芽生えたレティシアへの情も、憎しみへと変貌する。クズ籠の中に入ったお守りなんて、もう二度と見たくない。
「あれを今すぐ廃棄しろ」
「御意に」
侍女長が進み出て、クズ籠ごと持ち上げて部屋から出ていった。
そこまですることで、ようやくジャークスの心は晴れていった。
◇
それから、ジャークスの周りでは奇妙なことが起こり始めた。元々、ジャークスはとても運のいい男だと言われていたのだ。例えば家族旅行に行った際に、獣に襲われたことがあるのだが、ジャークスだけは襲われずに済んだ。たまたま拾ったハンカチが、実は宰相閣下の奥方のもので、それをきっかけに宰相閣下とお近づきになれた……などなど。
そういった小さな幸運が、お守りを捨ててからというもの、パッタリ途絶えてしまった。
それどころか不運が続いている。
昨日なんて、外を歩いていたときに鳥に糞をかけられた。馬を駆ろうとしたら、いきなり前足をあげたものだから、バランスを崩して落ちてしまった。
(…………もしかして、俺は不運体質だったのか?)
思い返してみると、レティシアと出会うよりもはるか前、ジャークスは頻繁に体調を崩していた。
それがレティシアと会うようになって、体調が崩れることがなくなり、お守りがあると幸運なことが続いた。
(そんなことありえない! ……あの魔女が、俺の不運体質を抑え込んでいたなんて……!)
はるか古来には、その場にいるだけで周りを幸せにする女性がいたという。彼女は女神と呼ばれ、崇められていた。こんなの伝承の一つに過ぎないが、ジャークスに後悔の念を抱かせるには充分すぎる伝承だった。
(くそっ、なんでこんなことに!)
◇
「俺にドレスを売れない……? どういうことです?」
「申し上げました通り、ジャークス様にドレスは売れません。話は以上でございます。どうぞ他の商会をあたってくださいませ」
そう言って立ち去ろうとする初老の商人を、ジャークスは慌てて呼び止めた。
髪を掻きむしり、オルバートを睨みつける。オルバートは穏やかな笑みをたたえているが、決して話の主導権を渡してはこない。
「俺はこれでも、誠意をもってあなたに接しているつもりです。不当に安く売れと言っているわけでもない。なのになぜ──」
「まず、私どもの心情といたしましては、いいものは出来る限り長く使っていただきたいという思いがございましてね。失礼ながら、お二人が普段どのような生活を送られているのか確認させていただきました」
「俺もか!?」
「ええもちろん。そして残念ながら、お二人は私どもが最高の品を売るに値する方々ではなかった。申し訳ございませんが、どうぞお二人は肩を落とさず。ただの価値観の相違なのですから」
「価値観の相違だと? ふざけるな! 俺は金を出しておまえたちの品を買ってやるって言ってんだぞ!! なのになぜ俺が断られる!?」
「──さきほどは申し上げませんでしたが」
オルバートの雰囲気が、鋭いものに変わった。ジャークスは喉の渇きを潤そうと、生唾を飲み込んむ。
「私どもは商人です、例えどのような相手でもお客様はお客様ですし、商品を売った方が商会のためにもなりましょう。儲けを不意にすることになりますから。けれど、私は元会長として今後ロー商会のためにならない人とは取引しないと決めているのです」
「ためにならないだと……!?」
「人を大切に扱うことが出来なければ、物も大事に扱えない。逆も然りです」
「その言い草、不敬に値するぞ! 俺はハルクフルグ公爵が長子、ジャークス・ハルクフルグである!」
「私は商人です。何代も前のロー商会の人間なら通用したでしょうが、そのような脅し文句、今の私には通用致しません」
「なっ……」
オルバートは遠回しに、ジャークスの主張は時代錯誤であると指摘している。我が国は、特権階級よりも法を重視する傾向にある。ちょっとやそっとの失礼な言葉は、本人の機嫌は損ねるだろうが、不敬罪で捕縛するようなことはない。
王族への不敬罪でないのなら、なおのこと。
しかしただの商人なら、ハルクフルグ次期公爵を怒らせたとなれば、インパクトも大きいだろう。震え上がって謝罪をしてしまうに違いない。
(まさかこの男、最初からこの俺を牽制するつもりで俺との商談に臨んだのか……!!)
ロー商会の背後にはルヴォンヒルテ公爵家がいる。
ジャークスがオルバートに強く言えない理由が、まさにそれ。特にロー商会の元会長であるオルバートは当代公爵とも、その息子とも強い信頼関係にある。
商談を持ちかけたのはジャークスだが、それに深い意味はない。ただ愛するイースチナへ美しいドレスを買ってあげたい、そんな感じだ。
ロー商会は、最初から取引に応じるつもりなんてなかった。あえて商談の場に出てきて、向こうから取引を断る。ジャークスが強く言えないことを見越しているのだ。
それは牽制以外のなにものでもない。
(でも、なぜだ? 俺も父上も、ルヴォンヒルテ公爵家に何かを言ったつもりはないぞ……)
ルヴォンヒルテは格上の政争相手。まだ力を蓄えている段階で攻撃を仕掛けるほど、ハルクフルグ公爵家は愚かではない。
牽制されるような謂れは……。
(レティシアか……!?)
最近ジャークスが行った派手な振る舞いといえば、レティシアへの断罪以外ない。しかし、レティシアを断罪してなぜルヴォンヒルテ家がでしゃばってくるのかが理解できなかった。
「それでは、この辺りで失礼いたします」
去っていくオルバートの背中を、ジャークスはただ見つめることしか出来なかった。
◇
ドレスのことは諦め、別の商会に作ってもらうことにした。
ただどこの商会も、ジャークスの名前を聞くと渋った顔をする。どういうわけだか、奇妙な噂が流れているのだ。
『魔女として断罪されたレティシア・ランドハルスは実は無実で、イースチナ・レイツェットこそが魔女である。実は蜂蜜色の髪の下に白髪を隠している』
最初は商人の間だけだったこの噂も、社交界にまで流れ始めている。ただの噂だとジャークスとイースチナが否定しても、野次馬たちが次から次へと質問してきてキリがない。
対応に疲れたイースチナが、ついに癇癪を起こした。怒鳴り散らすのは当たり前、ちょっと嫌なことがあればすぐに皿を割ってしまう。いくら愛する婚約者だからと言っても、限度というものがある。ジャークスがイースチナを叱ると、イースチナはヒステリックな声をあげて泣き始めた。
(レティシアなら、こんなことで泣きわめいたりしないぞ……)
薄れつつある恋心を隠しつつも、今さらレティシアとよりを戻すことはできない。仕方ないのでイースチナの機嫌を取るために旅行に出掛けた。
その最中、ジャークスとイースチナは魔物に襲われ、翌日の新聞の表紙を飾ったのだった。
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