醜いカエルになった王
昔々、ある所にスノウランドという美しい王国があった。
緑に溢れ、美しい湖とそこに映る美しいアルプス。
誰もがこの風景を見て溜息を漏らす程、美しい王国だった。
そしてその王国を治める優しい王と王妃。
王国の人々は、この平穏が永遠に続くと思っていた。
だが突然悲劇は訪れる。
ある日王妃が病に倒れ、王の献身的な介護も空しく、この世を去った。
王妃の死を嘆いた王は、王妃に続くように病に罹り、僅かな時間でこの世を去った。
残されたのは一人の王子。
自分が王位に就くのはまだまだ先だと考えていた、まだ15歳の王子は、突然の即位に戸惑った。
だが周りの家臣に持ち上げられ、次第に自分はとても有能な王に違いないと感じる様になった。
自分が、悪事を働く家臣達の隠れ蓑になっているとは微塵も知らなかった。
ある日、新しい王の祝福に、古の魔女が城へ訪れた。
古の魔女と言えば、その膨大な魔力と知識に数々の国が助けられ、その影響力は計り知れない。
きっと美しい女神の様な人なのだろうと期待を込めて、古の魔女の来訪を待っていたが、やって来たのは、酷く腰の曲がった汚らしい老婆だった。
ボサボサの長い白髪と、その白髪から覗く鷲の様に高い鼻。
服は擦り切れ、所々に泥が付いている。
いぼだらけの手で、これまた汚らしい杖を持ち、近くに寄らなくても酷い臭いがする。
王は堪らず鼻を押さえた。
「なんだお前は!?お前の様な者など呼んでいないぞ!」
「はぁ。王様、儂は古の魔女と呼ばれる者でございます。今日は王様の祝福にやって参りました。」
老婆の言葉に、王は憤慨した。
「ふざけたことを申すな!お前の様な汚らしい者が古の魔女である筈が無い!今すぐ我が国から出ていけ!」
王は近くに控えていた兵に、老婆を追い出す様指示を出した。
兵士達に囲まれた老婆は、溜息をつくと、右手を前に掲げた。
「やれやれ。先代の王は心の優しい賢王だったが、お前さんは駄目だね。」
「何をっ!?」
老婆がぼそぼそと呪文を唱える。
途端に、老婆以外の者は身動きが取れなくなった。
喋りたくても、声も出ない。
「仕方ないさね。これも約束だ。」
曲がっていた腰を、ピンと伸ばしスタスタ王の前までやって来る。
「ル・ゲーラ」
老婆が唱えると、王の身体は煙に包まれた。
突然の出来事に、王は何とか逃げ出そうとするが、怪しい術のせいで全く体が動かない。
あぁ、これで私は死んでしまうのか。王は死を覚悟した。
しかし、いくら待っても死は訪れない。
おそるおそる目を開けてみると、変わらず老婆が目の前に立っていた。
周囲にいる者の目が驚きに見開かれている。
何だ?何を驚いている?
「お前さんが真に王に相応しい存在になったなら、その呪いは解けるよ。」
そう言い捨てて、老婆は姿を消した。
老婆が消えた途端、身体が動く様になった。
あの無礼な老婆を牢屋に閉じ込め拷問してやる。
早速指示を出そうとして、自分が人間ではない事に気付いた。
「げぇこっ。」
「げぇこっ、げぇこっ。」
幾ら喋ろうとしても、全く言葉が出ない。
何だ、この声は!?自分から出ているのか!?
私は、私はどうなってしまったのだ!?
チラリと隣に座る王妃を見る。
幼い頃から婚約者だった愛しいルビアナは、両目を見開きこちらを見ていた。
「げぇこっ。」
ぴょんと、ルビアナの膝の上に乗った。
「きゃああ!!誰か、誰か、この悍ましいカエルを何処かにやって!」
ルビアナは一瞬硬直すると、次につんざく様な悲鳴を上げた。
側に控えていた兵士達が、一斉にルビアナの元に向かう。
手に持っていた槍を構えたはいいが、突然カエルになってしまった王に、どうしたものかと戸惑っているように見えた。
すると、玉座の左側に控えていた宰相が立派な口髭を触りながら、兵士たちに述べた。
「その者は王ではない。ただの醜いカエルだ。即刻、切り捨てよ。」
宰相の言葉に耳を疑った。
即位してから、王を支えてくれたのはルビアナとこの宰相だ。
宰相はルビアナの父であり、王にとって義理の父でもある。
幼い頃から、王を導き、王の在り方を教えてくれたのも宰相だった。
宰相の言葉を聞いた兵士の内の何人かが、殺意の籠った眼差しをこちらに向ける。
身の危険を感じた王は必死にルビアナの身体をよじ登った。
「ひぃぃぃぃ!!」
ルビアナの右手で思い切り振り払われ、びたんと、身体が床に叩きつけられる。
そこを狙うかの様に、槍が突き出された。
必死で槍を避け、出口を目指す。
何人かの兵士は立ったまま、こちらを見ていた。
兵士達の裏側に逃げても、何もしてこなかった。
立ちんぼの兵士を盾にして槍を防いでいると、突然兵士の内の一人が、王の身体をむぎゅっと鷲掴み、そしてそのまま窓から放り投げた。
カエルの身体は簡単に下に落ち、幸い、木に生い茂った葉に上手く乗ることが出来た。
窓から宰相と兵士達がこちらを見ている。
王は慌ててその場を逃走した。
◆
いつの間に眠ってしまったのか、王は藁の上にいた。
毛布とは言い難い、汚い布の端切れが掛けられていた。
のそりと起き上がり、辺りの様子を窺うと、此処がみすぼらしい小屋の中である事が分かった。
戸の無い入口から、痩せっぽちの子供が入って来た。
「カエルさん、起きたんだね!」
ボサボサの煤けた髪から、キラキラ輝く瞳が覗く。
声の感じからして、女の子なのだろう。男か女かわからない位、ガリガリだった。
ガサガサの汚い手で、遠慮なく王の身体を触ろうとしたので、思わず身をよじった。
「お腹空いてる?何か食べるかな?」
そう言われると、確かにお腹はぺこぺこだった。
朝食後のデザートに、シェフ特製のケーキとマカロンを頂いてから、何も食べていない。
今はカエルとなった自分の腹を見つめた。
「じゃあ、一緒に食べに行こっか。」
無造作に女の子のポッケに突っ込まれると、そのまま女の子は走り出した。
何処に行くのかと、ポッケから顔を覗かせる。
教会の前に着いた。
(ははぁ。此処で施しを貰うんだな?)
教会ではいつも無料の食事を、貧しい者達に施している。
その内容は野菜のスープに、硬いパンが一つと言った簡素な物だが、日頃まともに食事にありつけない者達からは、大いに喜ばれた。
「はい。」
女の子から渡された食事に目を見開く。
(何だこれは!?私が以前目にした物とは全然違うではないか!)
まだ王が幼い子供だった頃、母親に連れられ教会を訪れた事がある。
そこで見せてもらった食事は、野菜がたっぷり入ったスープと、美味しくは無いが、腹持ちの良いパンだった。
だが今女の子が差し出してくれた食事は、野菜のかけらがほんの少し入っただけのスープ。
自分にスープを飲ませ、女の子はパンを食べるのかと思ったが、パンなど何処にも見当たらない。
「げぇこっ。」(こんな物では、腹が膨れんではないか!)
前足でスープをどけると、女の子の顔が曇る。
「・・いらない?カエルさんは、スープなんて飲まないのかな?」
通りの向こうから、美味そうな匂いが漂ってきた。
ポッケから飛び出し、匂いの元に向かう。
「あっ!待って!」
女の子がスープを両手で大事そうに抱えながら追いかけてくる。
匂いの元は、美味しそうな牛串を売っている店だった。
値段も手頃だ。
「げぇこっ。」
喉を鳴らし、女の子に催促する。
女の子が困った表情を浮かべた。
店の前で立ち尽くす女の子とカエルに気付いた店主が、フンと鼻を鳴らした。
「あっちへ行った、行った!お前みたいな乞食はお呼びじゃないよ!店の邪魔になるから、その醜いカエルを連れて、さっさとどっか行ってくれ!」
なんて無礼な。王は怒り、店主に跳びかかろうとした。
女の子が、跳ぼうとするカエルの身体を掴み、ポッケに突っ込む。
そのまま逃げる様に、小屋に戻った。
◆
数日女の子と過ごす内に、民の暮らしが驚く程悪化している事に気付いた。
両親が健在だった頃は、王国に暮らす誰もが幸せな笑みを浮かべていた。
だが今、人々の顔は近付くのを躊躇う程暗い。
その原因が自分である事にも気付いた。
ルビアナに、民の暮らしは十分潤っているから、獲れた作物を隣国への輸出に充ててはどうかと言われた。
王はよく調べもせず、ルビアナの言う事ならと、獲れた作物の大半を輸出に充てた。
宰相に、王国にやってくる商人達が悪徳な商売ばかりするから、高い関税をかけて懲らしめてはどうかと言われた。
経済の事はよくわからないから、宰相に全て任せた。
薬師や、治療師が、貴族に法外な治療費を請求するから、彼らの薬を王宮で管理し、使用料を取ろうと言われた。それも勿論承認した。
気付けば、王国の人々に行き渡る筈の作物が無くなり、商人達も殆ど寄らなくなった。
王国に店を構えていた人が出て行ったと、話しているのを聞いた事もある。
薬師も、治療師も王国を出ていき、国内は病人が溢れた。
唯一の例外は、王宮に暮らす女王と、側近の貴族だけだった。
王がカエルになった後、ルビアナが女王として即位し、宰相が摂政となった。
彼らはいなくなった王を探そうともせず、毎晩豪華な夜会を開いた。
また彼らに優遇される商人と、薬師、治療師だけが、豪華な生活を楽しんだ。
私は何と愚かだったのだろう。
見えるものを見ようともせず、ただ人の言葉を鵜吞みにして、自分が守らなければいけない人達の幸せを奪った。
カエルとなってしまった今では、その罪を償う事も出来ない。
後悔ばかりが押し寄せ、何度も死にたいと思った。
「カエルさん、どうしたの?」
女の子、ミモザが心配そうに顔を覗き込む。
ミモザは優しく、温かい人だった。
漸く手に入れたパンも、道端に座り込んだ自分より小さな子供に与え、その日の食事を我慢した。
また、毎日数回、近くの池に王を連れて行き、王はそこで小さな魚を捕まえて食べる事が出来た。
何度か捕まえた魚をミモザに渡した事があるのだが、あまりに小さ過ぎて、これじゃあ焼くことも出来ないと、笑われた。
いつしか王はミモザの事が大好きになった。
ボサボサの煤まみれの髪も、ガサガサした泥だらけの手も、全てが美しく見えた。
ミモザの明るい声が、王の落込んだ気持ちを明るくさせた。
この子の為に、自分は何を出来るだろうか。
気付けばそればかり考える様になった。
◆
ある朝目覚めると、いつもと自分の様子が違っていた。
すらりとした手足が見える。
あの日、古の魔女にカエルにされる前の自分がいた。
不思議な事に、あの時の王の衣装をそのまま身に着けていた。
指には豪華な指輪が嵌り、頭には幾つも宝石のついた立派な王冠。
まだ寝息を立てているミモザの近くにそっと寄り、その指に指輪を嵌め、頭に王冠を乗せた。
気配を感じたのか、ミモザが目を覚ます。
途端に、王の身体がカエルに戻った。
ミモザは自分の指に嵌った指輪と王冠に驚くと、それを持って教会に向かった。
そして、教会から他国の商人に売るようお願いした。
ミモザはその売り上げの半分を教会に渡し、残り半分を国中の貧しい人達に渡してもらうよう、神父に頼んだ。
教会に寄付した半分は、全て貧しい者達への施しの費用に充ててもらった。
ミモザにお金は残らなかった。
王はミモザの行いに驚いた。
ミモザの為に指輪や王冠をあげたのに、ミモザはその全てを他人の為に使ってしまった。
ミモザは相変わらず空腹で、碌に食べる物も無かった。
それでもミモザは幸せそうだった。みんなが食べる物があって嬉しいと言っていた。
その日の晩。月を見上げ、王は考えた。
自分はミモザの幸せを願い、その様に行動した。
対してミモザは自分以外の全ての人の幸福を願った。
全ての人を幸せにするなんて、無理だ。
しかし、今日の恵みが多くの人の命を明日に繋いだ事は間違いない。
自分に同じ真似が出来るだろうか。
いや、出来ない。何故なら自分は王だから。
人を導く立場にある者が、己の身を削ってまで民を護ろうとするのは愚策だ。
自分という絶対の土台があるからこそ、人々は安心して暮らし、国を営む事が出来る。
王は倒れてはいけない。
王と民は一心同体であり、どちらが倒れても国は崩壊する。
今になって、父の言っていた事が理解出来た。
◆
次の日から、王はカエルにならなくなった。
ミモザは最初こそ驚いたものの、この珍妙な王を温かく受け入れてくれた。
王は、着ていた衣装を同じように教会に持って行き、そして、その売り上げの半分を自分の取り分とし、ミモザと自分の衣服や食料に充てた。
次第に人々は、この不思議な王に注目した。
最初こそ王の身綺麗な出で立ちに、どこぞの貴族がやって来たと怯えていたが、この青年は農民に交ざり、畑仕事やどぶ攫い等の汚れ仕事を平気でやる。
綺麗な髪に泥が飛び散っても、全く気にしていなかった。
ミモザと共に、農民に交じって仕事をする様は不思議な美しさがあった。
◆
ある日、騎士が王とミモザの元に訪れた。
騎士は膝をつき、王に忠誠を誓った。
この騎士は、古の魔女が来たあの日、王を外に放り投げた兵士だった。
王はミモザに身分を明かし、自分についてきて欲しいと頼んだ。
何とミモザは、自分と変わらない歳だったのだ。
ミモザと王は、民衆と共に立ち上がり、そこに騎士が加わった。
やがて女王が退位し、新しい王が即位した。
新王の隣には、美しい瞳を持った王妃がいたという。
古の魔女が祝福に訪れ、王国は活気を取り戻した。
この王国はカエルを幸福の象徴とし、いつまでも栄えたという。