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情鳩  作者: 佐倉治加
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第一話

 もう何年も前のことです。私は、道端に落ちていた鳩をひろいました。高校の補習授業からの帰り、夏の暑い日のことでした。その鳩は、太陽が照りつけるアスファルト道路の上にうずくまっていたのです。

 私が両手で鳩を持ち上げると、鳩は私を見上げてデーデーポッポーと喉を震わせました。鳩の胸の羽毛が大きく膨らんで、首を包む羽毛が魚のエラのようにパクパクとしています。


 連れていってください。


 そう言われているような気がして。私は鳩を(すく)い上げたまま、静かに立ち去りました。

 この姿が誰かに見咎められやしないか。蜃気楼めいた不安が背後から忍び寄ってきていました。しかし走ることはできません。手の中の鳩が無垢なフリをして、私を窺っていたからです。


 不安と暑さで汗だくになりながら家に着いたというのに、鳩は平気な顔をしていました。そして私の部屋に入るなり、我が物顔で窓の桟に飛び移りました。それから私をじっと見つめていたかと思えば、急に胸を膨らませデーデーポッポーと鳴きました。何度も、何度もです。それを不思議に思い、姿見に目をやって私はハッとしました。セーラー服に下着が透けていたのです。鳩の独楽コマの模様のような目は、私の下着のシルエットを見定めているかのようでした。


 この時私がセーラー服を着ていたということは、つまり高校の三年生です。何が「つまり」なのかと言いますと、私の一つ下の学年からは、ブレザーに変わったのです。それが二学年分あった時でした。ですから私は最上級生でした。

 セーラー服を着ることは、私にとって密かな優越感でした。時代に置き去りにされてしまったような、セーラー服。水兵でもないのに陸で四角い襟をハタハタとさせる。たかだか十数年しか生きていない小娘でしたので、ノスタルジィを謳歌できるこの服が特別に思えたのでした。


 私の学校のセーラー服は、紺色でした。紺色に白いラインが入ったものが冬服で、その時はスカーフも白です。夏になると、白地に紺のラインが入った制服に変わります。どちらもスカートは紺色です。ただ、夏服と冬服ではスカートの透け具合が違います。上のセーラー服も夏は透けます。この時は夏でしたので、膝の少し上が透けるような、スカートの生地です。


 上下に透け感がある私のこの制服姿に、鳩は欲情したのではないか。私はそう推察しています。


 鳩を拾ってから度々あったことですが、制服姿のまま床に転がった私の上に鳩は飛び乗り、デーデーポッポーと鳴きながら足を踏みならしました。初めは何かの偶然だと思っていました。しかし、度々(・・)です。意図的としか思えませんでした。鳩にもきっと意図があるのでしょう。

 そして何度も胸を踏まれると、私だってそういう気分になってくるではありませんか。

 いえ、物事には順序というものがあります。鳩と私は、まだそういう関係になっていませんでしたので、


 鳩、私とお付き合いいたしませんか。


 私が真面目に聞きますと、鳩はやはりデーデーポッポーと鳴き私の胸をやわやわと踏みながら、この誘いを了承してくれたのでした。


 この鳩はキジバトという種類の鳩です。雉のような美しい模様があるからキジバト。最低のネーミングセンスだとは思いませんか。だって、鳩は鳩として美しくあろうとしたのに、よりによって同じ鳥類の名前をとってつけられるなんて、酷い侮辱だと思います。

 鳩は鳩で良いのに。


 鳩と私は一緒にいました。高校を卒業するまで、私が学校に行く前に窓から飛び立ち、学校から帰ってきた時には、窓のところにいるのです。そして、当たり前のように部屋の中に入ってきて、鳩の定位置に座り込みました。


 高校卒業後、就職しようと決めていた私には時間がありましたので、何度か鳩とデートをしました。鳩と私が行くのは近くの広い公園です。美術館やショッピングにも行ってみたかったのですが、動物は盲導犬を除き中に入れないことになっている場所が多く、行き先は限られていました。それでも、私は鳩と一緒に出かけられることが嬉しかったのです。


 私は自分にお弁当を作り、鳩には食パンを持って。


 しかしデートの度に何かしらのトラブルが起きました。例えばある日は、鳩とお弁当を食べていたら、見知らぬおじさんが、鳩に餌をやるな、と怒鳴ってきました。いいえ、これは私の鳩なのです、と弁解しましたら、紛らわしい事をするな、紐で繋いでおけ、と訳の分からないことを唾を飛ばしながら叫んで行ってしまいました。


 またある日は、沢山の鳩が公園に集まっていました。鳩は積極的に鳩の群れには混じったりはしなかったのですが、私から見ると全部同じ鳩に見えました。どれが私の鳩であるか分からなくなってしまったのです。

 鳩も鳩で何人もの人間が行き交う中、どれが私であるかが分からなくなったようで、私たちはお互いに見えているはずなのに迷子になってしまいました。種族を超えて愛し合うことの難しさがそこにはありました。


 この時、私は鳩を本当に愛しているのか、鳩も本当に私を愛しているのか、非常な不安を抱いたのです。不安になったまま急いで家に帰り、私はセーラー服に着替えました。鳩の好きな服です。休日にセーラー服でうろつくのはおかしなことのように思いましたが、鳩に認知してもらうためには、これしかありませんでした。


 走って戻った公園には、まだ鳩が群れていました。しかし、その中から一羽がセーラー服を着た私の方に向かって飛んできました。他の仲間たちはめいめいにその場を歩き回っていましたが、ただ一羽。真っ直ぐに私を目がけて。

 模様や大きさがどう、というのは同じ種族にしかわからないことです。しかし、私のこの格好を見てこちらへ飛んできた。そしてデーデーポッポーと鳴きながら足元でくるくると回る。これが私の鳩に違いないのです。


 このセーラー服が私の母校からなくなったのは、平成の終わり頃のことです。しかし、拾った鳩は居なくなりはしませんでした。

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