【コミックス③発売記念SS】エルヴィスの黒歴史
エルヴィス15歳のときの話です。
「お帰りなさいませ、エルヴィスさま」
学園から邸宅に帰ってきたエルヴィスを、執事が出迎える。
「ああ、戻ったよ。スタン」
「学園はいかがでしたか?」
「正直、つまらないところだ。甘やかされた貴族の子供しかいない。あんなところで学ぶことなんてあるのだろうか」
「人脈を作るのが目的の場所ですから。それに結婚相手探しも。誰か気になるご令嬢は……」
スタンの言葉に、エルヴィスは嫌そうにしかめっ面をする。
「冗談ではない。纏わりついてくる女生徒など、鬱陶しいだけだ」
エルヴィスがそう言えば、スタンは困ったような顔になった。
「しかし、エルヴィスさまの立場を固めるためにも、有力な貴族のご令嬢と縁を結ぶのは得策かと」
「必要ない。叔父上が当主の座を狙っているとはいえ、私の命を狙うほどの度胸はない方だ。当主代理として、領地でおとなしくしているではないか。わざわざ結婚する必要などない」
現在、ローズブレイド公爵家の当主は不在だ。叔父が領地で当主代理を務めている。
今は学園に通うために王都で過ごしている十五歳のエルヴィスだが、学園を卒業して十八歳になれば、正式に当主の座に就くことになっている。
「ですが、隣国王が当主代理を唆し、エルヴィスさまを排除しようと企んでいる可能性も」
「それはあり得るな。あのクズ野郎なら」
エルヴィスは吐き捨てるように言った。
敬愛する義姉の命を奪う一因となった隣国王は、ローズブレイドを取り込みたいらしい。彼に対して恨みを持つエルヴィスより、叔父のほうが御しやすいだろう。
「では、ご結婚を……」
「しないと言っているだろう! お前も行く先々で、女生徒が次々と倒れていく目にあってみろ! 入学式で一回、倒れた女生徒を介抱しただけで、他の女どもも私を見る度に倒れるのだぞ! こんな、ろくでもない生き物など、願い下げだ!」
「エルヴィスさま、落ち着いてください。確かにモテすぎるのも考えものですね……」
苦笑しつつ、スタンがなだめるように言った。
エルヴィスは、大きく深呼吸してから答える。
「……とにかく、結婚など不要だ。それよりも領地経営を学び、叔父上が何か企んでも対処できる力と知恵を身に付けることを優先する」
「かしこまりました。しかし、女性に慣れる必要はあるかと」
「……それはいずれ何とかする」
エルヴィスはそう言うと、自室へと向かった。
自室に入ると、すぐに制服から部屋着に着替える。そしてソファにどっかりと腰掛けた。
ゆっくりと息を吐き出すと、壁に飾られた肖像画を見上げる。
今は亡き義父、義母、義姉というローズブレイド一家が描かれたものだ。
「……義姉上」
かつての家族の肖像の中で、変わらず微笑む姿を見つめながら、エルヴィスはぽつりと呟いた。
*
「家庭教師だと?」
「はい。ローズブレイドの分家筋にあたる、ウィーズリー夫人が来られるそうです。領地を離れているエルヴィスさまのため、最近の領地の状況を教えてくださるそうです」
エルヴィスは、執事スタンの言葉に顔をしかめた。
「確か、ウィーズリー家は一年ほど前に当主が亡くなり、息子が跡を継いだのだったな。ならば、現当主の母君か?」
「はい。後妻だそうですが」
「……どうせ叔父が何か企んでいるのだろう。しかし、私のことを心配して、などと言われれば、断りようもないな」
エルヴィスはため息をついた。
「まあ、現当主の母君ならば、若くはないだろう。女生徒よりはマシだな」
「エルヴィスさま……」
スタンが、困った顔をした。エルヴィスは話を変えるように尋ねる。
「それで、家庭教師はいつから来るのだ?」
「今日からです」
「早くないか?」
「はい。私どもも、エルヴィスさまが女性に慣れる良い機会かと、今まで黙っておりました」
「お前な……」
エルヴィスは呆れながら、もう一度ため息をつく。そして、諦めたように言う。
「仕方がない。だが、私は浅ましく言い寄ってくる女が嫌いなだけで、女性そのものを嫌悪しているわけではないからな。そこは勘違いするなよ」
「かしこまりました。では、お通ししてきます」
スタンは恭しく礼をすると、部屋を出て行った。そして、一人の女性を伴って戻ってくる。
「エルヴィスさま、ウィーズリー夫人をお連れしました」
スタンがそう声を掛けると、夫人はゆっくりと部屋に入ってきた。
その姿を見て、エルヴィスは目を見開く。
「義姉上……」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、エルヴィスは思わず呟いていた。
記憶の中の亡き姉と、目の前の女性の姿が重なって見えたのだ。
「初めまして、エルヴィスさま。本日から家庭教師として参りました、エメリーン・ウィーズリーと申します」
夫人はにっこりと笑って挨拶をした。
軽やかにお辞儀をする彼女から、ふわりと薔薇の香りが漂ってくる。今は亡きアデラインが好んでいた香りだ。
その香りに、エルヴィスの胸が詰まった。
「エルヴィスさま、どうされました?」
夫人に声を掛けられて、エルヴィスははっと我に返った。
「ああ……失礼しました、ウィーズリー夫人。どうぞ、お掛けください」
エルヴィスは慌てて取り繕うと、夫人にソファを勧めた。
夫人は軽く礼をすると、エルヴィスの向かいのソファに腰掛ける。
心を落ち着かせようと、エルヴィスはゆっくりと深呼吸をした。
よく見れば、蜂蜜色だったアデラインの髪とは違い、夫人は金茶色だ。瞳の色も、義姉の緑色ではなく、もっと青色に近い。
けれど、顔立ちはアデラインによく似ていた。分家筋だというから、似ていてもおかしなことではないのかもしれない。
年齢は二十歳前後といったところだろうか。
予想していたよりも遥かに若い。本当に現当主の母君なのだろうか。
「では、エルヴィスさま。早速ですが、授業を始めましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」
夫人の声で、エルヴィスは我に返り、慌てて返事をした。
「では、私は失礼いたします」
スタンは二人に礼をすると、部屋を出ていった。
夫人と二人きりで残されたエルヴィスは、何から話せばいいのかわからず、黙り込む。
「エルヴィスさまは、女性に対して苦手意識があると伺いました。まずは、女性に慣れるところから始めましょう」
夫人が明るい声で口を開く。そして立ち上がると、エルヴィスの方に近付いてきた。
「少し、触れてもよろしいですか?」
エルヴィスのすぐ目の前で立ち止まり、夫人は尋ねる。
断るべきなのに、薔薇の香りに惑わされ、エルヴィスは無意識のうちに頷いてしまっていた。
「どうぞ肩の力を抜いてください」
そう言うと夫人は、ゆっくりとした動作で、エルヴィスの頭を撫で始めた。
髪を梳くような手つきで触れてくるその手の感触は、驚くほどに優しくて心地良いものだった。
「エルヴィスさまの髪は、とても柔らかいのですね」
夫人の指は、髪を撫でたあと、頬に下りてくる。そして手のひらで包み込むように触れてきた。
その感触に、エルヴィスは身体が熱くなるのを感じた。しかし次の瞬間には夫人がすっと離れていく。
エルヴィスは無意識に、夫人の手を目で追った。
もっと触れて欲しいと願ってしまったことに、羞恥で顔が熱くなる。
「ふふ……物足りなかったですか?」
夫人が悪戯っぽく笑う。その笑顔が、アデラインに似ていて、エルヴィスは胸がぎゅっと締め付けられる気がした。
「いえ、そんなことは……」
否定しようとするが、それ以上は言葉にならない。
夫人の笑みが深くなる。
「もう少し触れてみましょうか」
そう言って、今度はソファの隣へと移動してきた。そして再び頭を撫で始める。
しばらく夫人は優しく頭を撫でてくれていたが、不意にエルヴィスの頭に手を添えると、自分の方に引き寄せた。そしてそのままぎゅっと抱きしめてくる。
「え……!?」
突然のことに驚いたものの、夫人の体温と柔らかさに抵抗することもできず、されるがままになってしまう。
夫人の細い腕に抱きしめられ、エルヴィスは頭が真っ白になった。心臓が激しく脈打つのを感じる。
幼い頃、義姉の胸に抱かれていたことをぼんやりと思い出し、懐かしさと愛おしさがこみ上げてくる。
「義姉上……っ」
思わずエルヴィスの口から言葉がこぼれ落ちる。
すると、夫人は一瞬だけ動きを止めたものの、すぐに抱きしめ直すと、エルヴィスの耳元で囁いた。
「いいのですよ、私をアデラインさまだと思っても」
甘い声が耳をくすぐり、エルヴィスはソファに押し倒される格好になった。
夫人はその上に覆い被さるように、身体を密着させてくる。
「何を……」
エルヴィスは動揺しながらも、なんとか言葉を絞り出す。
しかし、夫人はエルヴィスの服に手を掛けると、ゆっくりと脱がし始めた。
「ま、待ってください! 何をするのですか!?」
慌ててエルヴィスは声を上げる。
夫人は手を止め、にっこりと微笑んだ。
「早く女性に慣れるためです」
「でも……こんな……」
抗おうとしても身体が動かないのは、夫人から漂う薔薇の香りのせいか、義姉の面影を重ねているのか。
「大丈夫、すぐに気持ち良くなりますわ」
夫人は再びエルヴィスの服に手をかける。
このままではいけないと思うものの、抵抗することができない。頭がぼんやりとしてきて、何も考えられなくなる。
「アデラインさまだと思って、身を委ねて……」
夫人は甘く囁きながら、エルヴィスのズボンのベルトに手をかける。
カチャリと金具の音が響き、エルヴィスは我に返って夫人を見た。
そこにいたのは、アデラインとは似ても似つかない、欲に濡れた瞳の女だった。
「……やめろ! 義姉上はこんなことはしない!」
エルヴィスは、夫人の手を乱暴に払いのけながら叫ぶ。
「エルヴィスさま……」
夫人が驚いたように呟く。
その隙をついて、エルヴィスは夫人の手から逃れると、慌ててソファから降りて距離を取る。
「誰か! スタン!」
エルヴィスが叫ぶと、扉が開いて執事のスタンが入ってきた。
「どうかなさいました? ……って、どうなさいました!?」
スタンは、服を乱されて涙目になっているエルヴィスを見て、慌てて駆け寄る。
そして夫人の方を向くと、厳しい声で言う。
「夫人、エルヴィスさまに対して何をなさいました?」
「エルヴィスさまの女性嫌いを克服する手助けをしていただけよ」
悪びれもせず、夫人は答える。
スタンは眉をひそめた。
「だからといって、品位の欠けた真似をしていい理由にはなりません。エルヴィスさまの望まぬ行為を強要するなど、言語道断です」
スタンの言葉に、夫人はわざとらしく肩を竦める。
「まあ怖い。私はエルヴィスさまのためを思ってしたことだというのに」
「言い訳は不要です。お引き取りください」
スタンの口調は厳しく、有無を言わせぬ口調だった。
夫人は諦めたようにため息をつくと、部屋から出ていく。
エルヴィスは乱れた服を直すと、ソファにぐったりと座り込む。そして両手で顔を覆った。
「エルヴィスさま……」
スタンが心配そうに声をかけてくる。
しかし、エルヴィスは俯いたまま小さく言った。
「……義姉上の肖像画を、屋敷中に飾ってくれ」
「はい?」
「あんな女に、義姉上の面影を重ねるなど、失礼すぎる。これも、私が義姉上のことを忘れかけてしまっているせいだ。思い出せるように、義姉上の肖像画を屋敷中に飾り、毎日眺めるようにする」
エルヴィスの心に渦巻くのは、自身に対する嫌悪感と、怒りだった。
夫人に迫られたとき、アデラインの面影を重ねて流されそうになってしまった。
アデラインはあのような卑しい真似はしない。そうわかっていたはずなのに、理性を失いかけた自分が情けない。
まるで義姉を穢して貶めたようで、自分自身が許せなかった。
夫人に対する怒りもあるが、それ以上に自分に対して腹が立つ。
「……かしこまりました。すぐに手配いたします」
スタンはエルヴィスの様子を見て、何かを察したのだろう。反論せずに、そのまま部屋から出ていった。
*
それからほどなくして、ウィーズリー夫人は屋敷から追い出されて領地に戻った。
どうやら彼女は、叔父の指示でエルヴィスに近付いたようだ。叔父はエルヴィスを篭絡させて、次期当主の座を奪おうとしたのだろう。
「申し訳ございません。私どもの考えが甘かったばかりに……」
謝罪するスタンに、エルヴィスは首を横に振る。
「いや、甘かったのは私だ。叔父上に対し、もっと警戒しておくべきだった」
エルヴィスは深いため息をつく。
「もう油断はしない。私は学園をすぐに卒業することにした。叔父上が本格的に動き始める前に、先手を打つことにする」
「え……学園はまだ二年以上残っていますが……」
「早期卒業制度を作らせる。学園に通っている時間も惜しい」
「しかし、それは……」
スタンが慌てた様子で言いかける。
しかしエルヴィスは首を横に振った。
「すでに決めたことだ。これ以上、叔父上に好き勝手されてたまるか」
エルヴィスは強い決意を持って宣言した。
もともと、当主の座は義姉の復讐のために都合が良かっただけで、さほど執着はなかった。
叔父が仇を討とうというのならば、彼が当主で自分が補佐で構わない。
しかし、叔父はそのつもりはないようだ。
さらに今回のように、アデラインの面影を持つ女性を送り込んで、エルヴィスの大切な思い出を穢した。
こんなことが今後も繰り返されるようであれば、我慢ならない。
エルヴィスは、もう迷わないことに決めた。
叔父とは決別し、自分が当主になるために動くことを決断したのだ。
「……その、結婚は……」
スタンがおずおずと尋ねる。
エルヴィスは彼を睨みつけると、低い声で答えた。
「女などもうたくさんだ。私は、当主になって義姉上の仇を討つ。そのために生きていく」
その言葉に、スタンは悲痛な表情を浮かべる。そして何も言わずに頭を下げた。
2024/2/9に双葉社モンスターコミックスf様より、コミックス『毒親に復讐したい悪役令嬢は、契約婚約した氷の貴公子に溺愛される』3巻が発売されます。
早ければ今日から並んでいる書店さんもあるようです。
色々な物事が動き出す、スリルたっぷりの内容になっています。
BEKO先生によって、キャラの心情や背景が原作より細やかに描かれていて読み応えがあります!
ぜひお手にとっていただけると嬉しいです。










