【書籍化記念SS】春の訪れ
本編29話くらいの、ローズブレイド領での使用人たちです。
ローズブレイド公爵領の屋敷では、使用人たちの間で騒ぎが起こっていた。
「旦那さまが婚約なさったって……!」
「しかも、お相手はあの憎き王太子夫妻の娘だとか……いったい何を考えていらっしゃるんだ……!」
「旦那さまなら、もっと良い相手がいくらでもいるはずなのに……よりにもよって、お嬢さまの仇の娘なんて……」
王都にて、ローズブレイド公爵エルヴィスが、王女セシリアとの婚約を結んだというのだ。
王女セシリアは、王太子ローガンと王太子妃ヘレナの娘である。
かつて真実の愛に目覚めたとやらで、ローズブレイド公爵令嬢アデラインに婚約破棄を突きつけ、死に追いやったのがローガンとヘレナなのだ。
アデラインの事件がきっかけで、ローズブレイド公爵家は次々と災難に見舞われた。
しかも、立派な令嬢だったアデラインは、王太子夫妻の思惑によって悪役令嬢として語られている。
十七年前の事件ではあるが、古参の者にとっては未だ風化しない怒りとして残る忌まわしい出来事だ。
「トレヴァーさんが、怒り狂って王都に向かったそうだ。この首をかけてでもお諫めしなくてはならない、と……」
「……旦那さまは厳しい方だからな。さすがにトレヴァーさんといえども、無事ではすまないのでは」
「まさに命がけなんだろう……でも、仕方がないよな……あの王太子夫妻の娘なんて、どんな悪辣なわがまま王女なのか……」
すでに家令のトレヴァーが、エルヴィスを諫めるために王都に向かったという。
先々代の当主の時代からローズブレイド家に仕えるトレヴァーは、アデラインが生まれた時からを知る人物だ。それ故に、アデラインを害した王太子夫妻の娘など、許せないのだろう。
だが、ローズブレイド当主であるエルヴィスが折れることなど、ないだろう。
となればトレヴァーはどうなるのだろうか。家令の職から降格となるのか、それとも首になるのか。
仮に何のお咎めもなかったとしても、禍根は残るだろう。
使用人たちは波乱の予感に、暗澹たる気分となっていた。
「もうじき、未来の奥方さまをお連れになって、旦那さまがお戻りになる。皆、気合いを入れてお迎えするのだ!」
ところが、王都から戻ってきたトレヴァーは上機嫌となっていた。
以前は命に代えても認めないと言い張っていたセシリアのことを、完全に受け入れている。それもしぶしぶではなく、心から喜んでいるようだ。
いったい何があったのかと、使用人たちは不気味で仕方がない。
「セシリアさまは王太子夫妻の娘ではあるが、彼らに虐げられていたそうだ。仇の娘ではなく、仇による犠牲者といえる。何とおいたわしい……我らが、少しでもお慰めしなくてはならぬ」
うっすらと涙ぐむトレヴァーの姿に、使用人たちはあっけにとられる。
彼のこのような姿を見たことがある者はいない。十七年前の事件のときですら、人前で涙は見せなかったのだ。
セシリアは悪辣なわがまま王女ではなく、虐げられる薄幸の王女だったらしい。
ただ、いかにセシリアが哀れな境遇とはいえ、それだけでこれほど一気に手のひらをかえすものだろうか。トレヴァーをよく知る古参の者は疑問に思う。
「トレヴァーさん、何があったんですか?」
古参の者たちは集まると、こっそりとトレヴァーに尋ねてみた。
「セシリアさまは、旦那さまと志を同じくするお方だ」
「それは……ご自分の両親でもある相手に復讐をすると……?」
「そうなるな。それに何よりセシリアさまは……いや、私がどうこう言うことではない。直接見てみればわかるだろう」
完全に理解したわけではないが、それなりに納得した古参の者たちは、セシリアを未来の奥方として扱うことにした。
当主であるエルヴィスが選び、家令のトレヴァーも推しているのだから、きっと何も問題はないのだろう。
セシリアに問題がないのなら、エルヴィスの結婚はとても喜ばしいことだ。
ローズブレイド公爵家に後継者はいない。
早く結婚するべきだと急かされながらも、エルヴィスはこれまで言い寄る令嬢たちに見向きもしなかったのだ。
おそらく二人の間にも愛情があるわけではなく、協力関係なのだろう。だが、政略結婚もそのようなものだ。互いに信頼できるのなら、それでよいのだろう。
古参の者たちを含め、使用人たちはセシリアをいちおう未来の奥方と認め、準備を進めるのだった。
そして、とうとうエルヴィスがセシリアを伴ってローズブレイド公爵領の屋敷にやって来た。
馬車から先に降りたエルヴィスは、セシリアに手を差し出す。それは当然の行為ではあったが、義務感などうかがえない。セシリアに対する心遣いが、エルヴィスの全身からあふれているかのようだ。
「…………」
ひそひそと囁くような不躾な真似はしないが、使用人たちの間には明らかに動揺が広がっていった。
使用人たちの知るエルヴィスはいつも無表情で、冷淡な雰囲気が立ち上っている。
愛おしげな優しい微笑みを浮かべ、甘い雰囲気を漂わせているエルヴィスなど、誰も見たことはない。
「お気に召しましたか? ご案内しますよ」
セシリアの手を取るエルヴィスの声も、いつもの冷たさなどかけらもうかがえない。優しくやわらかい声は、いったい誰のものだと使用人たちは混乱する。
案内されるセシリアは穏やかな微笑みを浮かべて頷くと、優雅に歩く。
二人の間には愛情による結びつきが感じられ、使用人たちは驚きながらも、歓迎すべきことだと浮き足立つ。
古参の者たちも、単なる協力関係ではないらしいことは予想外だったが、むしろ喜ばしいことだと受け入れる。
しかも、セシリアからはどこか懐かしい雰囲気が漂っているようだ。
蜂蜜のように輝く金色の髪と、鮮やかな緑色の瞳は、アデラインと同じ色だった。遠目には、アデラインが帰ってきたようにすら見える。
セシリアがエルヴィスと連れ立って屋敷に入っていくのを見送ると、古参の者たちの中には、そっと目元を押さえる者もいた。
見てみればわかるとは、このことだったのかと古参の者たちは納得する。
「やっと旦那さまにも春が来たか……もしかしたら初恋かもしれないぞ」
「いや、それはさすがに……でも、幼い頃から苦労なさった方だからな……何はともあれ、幸せになっていただきたいものだ……」
「もしかしたら、セシリアさまはお嬢さまの生まれ変わりで、こうしてお戻りになったのかもしれないぞ」
「まさか、そんなことがあるはずは……それよりも、仕事に戻ろう。忙しくなるぞ」
誰かが期せずして口にした真実は、単なる冗談として流されていく。
仲睦まじい二人の姿を見て、ローズブレイドの未来は明るいと、使用人たちは期待に胸を弾ませる。
アデラインが喪われてから永らく冬の時代となっていたローズブレイドだが、ようやくセシリアが春を運んできたようだった。
「……お帰りなさいませ、お嬢さま」
誰にも聞かれないよう、そっと囁かれたトレヴァーの声は、風の中に消えていった。
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