54.ヘレナの懺悔と最期
「大丈夫ですか、セシリア!」
顔色を変えたエルヴィスが、地面に倒れたままのセシリアを抱え上げる。
力強い腕と広い胸の温もりが感じられ、セシリアはこれが現実なのだと徐々に心に染みこんできた。
「エルヴィス……本当に……?」
それでも、まだ信じ切れずにセシリアは問いかける。
すると、セシリアを抱きしめる腕の力が、こらえきれないかのように強まった。
少し苦しく感じられ、セシリアは身じろぎする。エルヴィスはすぐにはっとしたように、力を緩めた。
「……恐ろしい思いをさせてしまいましたね。遅くなってしまい、申し訳ありません。もう大丈夫です。ローズブレイド騎士団を連れてきました。一緒に帰りましょう」
優しいエルヴィスの声で、セシリアは緊張の糸が切れる。
全身の力が抜けていき、足を始めとした体のあちこちが痛み出した。
「……まだ、息はあるな。気を失っている今のうちに……」
エルヴィスが地面に倒れ伏す侍女を見下ろしながら、呟く。
そこで、はっとセシリアは思い出す。
「そうだわ! ヘレナ……! ヘレナが私をかばって刺されたの……! 彼女は、彼女はどうなったの……!?」
「落ち着いてください、セシリア。すぐに向かいましょう」
気が動転して周囲を見回すセシリアだが、木々しか見当たらない。
それをなだめ、エルヴィスは侍女を放置して、セシリアを抱えたまま走り出す。
セシリアの感覚では森の奥深くまで入り込んだようだったが、実際はそうでもなかったらしい。エルヴィスはあっという間に木々を抜けてしまった。
馬車を人々が取り囲んでいるのが見えて、セシリアはぎょっとする。だが、そこにいるのが見知ったローズブレイドの騎士たちであることに気付き、安堵した。
ケヴィンは馬車の近くに座り込んだままで、腰が抜けているのかもしれない。
そして、ヘレナは騎士の一人が手当てをしているようだった。
生きているらしいとほっとするが、手当てをしている騎士はセシリアとエルヴィスに気付くと、首を横に振った。
セシリアはエルヴィスの腕から抜け出し、ヘレナに駆け寄る。
「そんな……」
ヘレナのドレスは元の色がわからないほど赤く染まり、あちこちが切り裂かれていた。
セシリアが逃げたときは、ここまでの惨状ではなかったはずだ。
侍女を行かせまいとしがみつき、離さなかったのだろう。腕は特に損傷がひどく、直視できないような有様だ。
ヘレナが引き留めていたからこそ、セシリアは助かった。もう少し早く侍女にたどり着かれていたら、間に合わなかっただろう。
「どうして……」
セシリアはヘレナの側に、愕然とへたり込む。
これまでずっとヘレナはセシリアに対し、つらく当たってきた。王子の死の責任をなすりつけられ、暴言を浴びせられてきたのだ。
それなのに、何故これほどひどい状態になってまで、セシリアをかばったのか。
まるで、娘を愛する母親のようではないか。
「……よかった……無事だったのね……こうして最期に会えるなんて、女神さまのおかげだわ……」
虚ろな目をセシリアに向け、ヘレナがかすれた声を出した。
「ずっと……ずっと……暗闇の中にいるようだったわ……あの子を無事に産んであげられなかったときから……いいえ……もっと前……アデラインさまが命を絶ってしまったのも……きっと私がいなければ……」
ヘレナは小さな声で、うわ言のように呟く。
それを聞き逃すまいと、セシリアはじっと黙って耳を傾ける。
周囲を取り囲む騎士たちも、エルヴィスやケヴィンも、口をつぐんでいた。
「何故かしら……あなたを見ていると、自分の罪を暴かれているようで恐ろしかったの……だから、ずっと逃げようとしていたわ……そのせいで……ひどいことを……」
焦点の定まらない目で見つめられ、セシリアは震えそうになる。
もしかしたら、ヘレナはセシリアの中にアデラインの存在を感じ取っていたのかもしれない。
ずっと罪を突きつけられているようで、逃れようとしていたのか。そのために、心を病んでしまったのか。
ヘレナにとってアデラインの死は、心にとても大きな傷を残したようだ。おそらくセシリアが考えるよりも、ずっと深く刻み込まれていたのだろう。
「あなたが生まれたとき……本当に嬉しかったの。必死に泣く小さな姿を見て……守ってあげないといけないと思ったわ。どうして……そのときの気持ちを忘れてしまったのかしら……ごめんなさい……ごめんなさい……」
涙を流しながら、ヘレナはセシリアに謝り続ける。
セシリアはぐっと唇を噛みながら、拳を握り締めた。
心には様々な感情が渦巻き、怒るべきか、悲しむべきか、それとも喜ぶべきか、何もわからない。ただ、胸が苦しい。
そのとき、ヘレナが咳き込んで血を吐き出した。
すでに顔面は蒼白で、苦しそうだったが、それでも口元には何かをやり遂げたような達成感が浮かんでいるようだった。
「ああ……これで、やっと終わる……セシリア、今度こそ幸せになるのよ……」
満足そうに微笑んで、ヘレナは目を閉じる。
その目が開かれることも、体が動くことも、もう二度とない。
田舎の男爵令嬢から王太子妃に昇りつめながらも、不遇の日々を過ごしていたヘレナの生涯は、こうして幕を下ろした。










