51.好色王の偏執
あまりにも驚きすぎて、セシリアは表情を取り繕うこともできない。
笑って嫁げと言われていたが、心の準備もなく隣国の好色王ケヴィンの顔を見れば、苛立ちと不快感を抑えきれずに、表情が歪んでしまう。
しかしケヴィンは、セシリアの表情を見てもただ微笑んでいる。彼は静かに扉を閉めると、セシリアに向き合った。
「お疲れのところ、申し訳ありません。ですが、一目だけでもお会いしたくて、こうしてお部屋まで押しかけてきてしまいました。それにしても、よくお似合いです……いつかの、最高の貴婦人のようだ」
ケヴィンの言葉の最後は小さく消えていき、セシリアにはよく聞き取れなかった。
だが、そのようなことはどうでもよいくらい、苛立ちが募る。
「まあ、このような時代遅れのドレスが似合っているとおっしゃいますのね。私の好みではありませんわ。陛下とは趣味が合わないようですこと」
かなりはっきりと不快感を示したが、ケヴィンは穏やかな表情を崩さない。
「強引に事を進めてしまい、お腹立ちはごもっともです。ですが、私はどうしてもあなたを手に入れたかったのです。かつて、何もできずに失ってしまったものの大きさを後から思い知り、後悔に苛まれたものでした。もう二度と、あのような愚は犯さない」
口元は穏やかに微笑んでいたが、ケヴィンの目には偏執的な光が宿っていた。
セシリアはぞくりと身を震わせ、苛立ちよりも恐怖が勝ってくる。
「それにしても、そちらの国王も王太子も、救いようのない愚か者ですね。これほど素晴らしい宝をあっさり手放すとは。……ところで姫は、女神の加護を目の当たりにしたことがありますか?」
「……どういうことですか?」
突然、話を変えられてセシリアは戸惑う。
答えることなく問い返したが、ケヴィンは気にすることなく続ける。
「そちらの国とこちらの国は、歩いて渡れる程度の川を隔てただけで、地面の色すら違うのです。国境で嵐が暴れようと、被害はこちらの国だけで、そちらの国は凪いだままです。女神の加護は、目に見えるほどなのですよ」
前世も含めて、王都とローズブレイド領の往復しか知らないセシリアは、国境を見たことはなかった。
そこまで女神の加護とは、はっきり国を守っているものなのかと驚かされる。
「とうとう、その加護が我が国のものになるとは、歓喜に震えます」
ところが、続くケヴィンの言葉でセシリアは唖然とする。
どうしてそうなるのか、意味がわからない。
「……何故、そちらの国のものとなるのですか?」
「姫が私のものになるからですよ。あなたの蜂蜜のような甘い金色の髪、鮮やかに輝く緑色の瞳、まさに全素質の特徴だ」
ケヴィンの口から全素質という言葉が出てきたことに、セシリアは驚く。
しかもローズブレイドの図書室で、全素質か限定素質かを区別する方法は見つからなかったはずだ。
何故ケヴィンがそのことを知っているのか怪訝に思うと、彼は二冊の本を取り出してセシリアに見せた。
「これは亡命してきた、とある貴族が手土産に持ってきたものです。女神の加護について書かれた、とても貴重な書物でした」
とある貴族とは、爵位争いに敗れた叔父のことだろう。
図書室で不自然に本棚の空きがあったが、そこに収まっていたものが、目の前にある二冊の本らしい。
ローズブレイド家のみならず国家の秘密でもあるそれを、隣国王に渡してしまうなど信じがたい。セシリアは拳を握り締め、叔父への怨嗟を心で呟く。
「限定素質とは、契約を維持するのみだそうです。ところが全素質は、契約の変更や解除も可能だとか。守る場所の位置を変えることもできるので、それをそちらの国からこちらの国に変更すればよいのです」
この話で、以前お茶会でヘレナから聞き出したことがセシリアの頭に思い浮かぶ。アデラインが国外に行くことなど許せないと、マリエッタが言っていたというのだ。
もしやそれは、マリエッタもこの話を知っていたのではないだろうか。
他国に女神の加護が移ることを恐れて、隣国の王子から望まれていたアデラインを始末したというのなら、納得だ。
ローズブレイド家も秘法の素質を受け継いでいて、アデラインは蜂蜜色の髪に緑色の瞳だった。全素質の持ち主だったのだろう。
「あなたを捨てた愚かな国のことなど、忘れなさい。王太子への復讐でも、あなたの望みは何でも叶えよう。気に入らぬ者の首をあなたの前に並べてみせる。ローズブレイド公爵のことを忘れられないのなら、過ちを犯せぬように処理をした上で飼ってもよい。だから、私のものになってください、セシリア」
狂気じみたことを言いながら、ケヴィンがセシリアに近づいてくる。
恐怖でセシリアの体が固まり、動けない。呼吸が浅くなり、空気を求めているのに息をうまく吸えず、頭の中が白くなっていく。
頭には逃げなくてはと浮かぶのに、体が言うことを聞かない。やっとのことで足を動かしたが、もつれてしまって転びそうになる。
そこをケヴィンに抱き留められ、セシリアはさらに気が動転して、叫び声をあげようとする。だが、口から漏れたのは苦しげな息と掠れた音だけだ。
「やはり、あなたはまだ乙女のようですね。何も恐ろしいことなどありませんよ。あなたはただ身を委ねていればよいのです」
ケヴィンはセシリアの恐怖を、乙女の恥じらいからくる怯えとでも思っているのか、微笑んだままだ。
そして、ゆっくりとケヴィンの顔が近づいてくる。
絶望に苛まれながら、セシリアは恐怖と悔しさで涙がにじんできた。










