50.わがままヘレナ
慌ただしく、セシリアは馬車に押し込められる。
いまさら王太子ローガンやその周辺の人間と交わしたい言葉などない。セシリアは優雅に微笑んだまま、だんまりを決め込む。
ローガンもセシリアが嫁げばそれで十分だと言わんばかりに、何も言うことはなかった。
それでも、さすがに一時は真実の愛で結ばれたヘレナには、馬車に乗る前に何か声をかけているようだった。だが、セシリアにはどうでもよかったため、さっさと馬車に乗り込んだ。
「……お友達と旅行なんて、楽しみね!」
セシリアの後から馬車に乗ってきたヘレナは、貼り付けたような笑顔で、やたらとはしゃいだ声をあげた。
本当は厄介払いなのだが、彼女の中では楽しい旅行になっているらしい。
そっとため息を漏らしながら、セシリアは窓の外を見る。
隣国王に正妃として迎えられる王女の輿入れにしては、あまりにも寂しい。
通常であれば、豪華なお召し馬車でゆったりと進み、街道で見送る民衆に向けて花や金貨をばらまくこともあるだろう。
ところが、走り出した馬車はひっそりと身を潜めるように、黙々と急いで進んでいく。
輿入れどころか、まるで逃亡者だ。
「ちょっ……ちょっと、大変、ね……! 舌、噛み……そう……!」
あまりにも急ぐため、馬車が揺れる。
はしゃいでいたヘレナも、危険だと思ったのか、途中から喋らなくなった。
やがて休憩で馬車が止まったときには、セシリアもヘレナもぐったりしていた。
それでも、外の空気が吸いたくて、セシリアは頑張って馬車から出る。ヘレナもそれを追って、ついてきた。
侍女数名も別の馬車でやってきていたが、彼女らもぐったりしているようだ。
「椅子をご用意いたしました。こちらにどうぞ」
だが一人だけ、しっかりとした様子の侍女がいる。彼女は折り畳み椅子を二つ準備して、セシリアとヘレナにすすめた。
「ありがとう……」
セシリアはありがたく椅子に座る。
馬車が揺れた上に、体を締め付けるドレスのため、かなり気分が悪い。吐き気もこみあげてくる。
「馬車酔いに効く薬湯をお持ちいたしました。どうぞお召し上がりください」
一人だけ元気な侍女は、カップをセシリアに差し出す。
おそらく、彼女は馬車酔いに強いのだろう。うらやましいことだと思いながら、セシリアはカップを受け取ろうとする。
「私にちょうだい!」
ところが、そこにヘレナが勢いよく割り込んできた。
侍女の手にぶつかり、カップが地面に落ちて割れてしまう。薬湯も地面に染み込んでしまった。
「まあ、こぼれたわ! 愚図な侍女ね! ちょっと、そっちの侍女たち! 怠けていないで、お前たちも働きなさい! 早く薬湯を持ってきて!」
ヘレナは詫びるどころか、侍女を罵った。さらに、ぐったりしている侍女たちを叱りつけ、薬湯を持ってこさせようとする。
ぐったりした侍女たちは、のろのろとしながらも、動き出す。
「私がすぐに代わりのものを……」
「お前は愚図だから嫌よ! またこぼされたら、たまったものではないわ!」
元気な侍女が言いかけたのを、ヘレナは怒鳴りつけて黙らせる。
セシリアは呆れるが、具合が悪くて何か言うだけの気力もない。
結局、顔色の悪い侍女たちが用意した薬湯を飲むことになった。すっとして、少しだけ気分が楽になったようだ。
「……木が」
周囲に目を向ける余裕が出てきたセシリアは、辺りに倒れた木が無数に散らばっていることに気付く。
切り倒したような綺麗な切り口ではなく、生々しく裂けて倒れたような跡が痛々しい。おそらく、災害で風になぎ倒されたのだろう。
まるで金切声のような甲高い風の音が響き、セシリアは身を震わせる。
「悲鳴みたい……」
風の音が、悲鳴のように聞こえる。それも、セシリアの心を揺さぶって、助けを求めているかのようだ。
もしかしたら、女神が嘆いているのだろうかと、ふと思い浮かぶ。
だが、もしそうだとすれば、いったい何を嘆いているのだろうか。
答えは出ないまま、やがて馬車の馬が替えられ、再び馬車は走り出す。
揺れに苛まれる、地獄の時間がまた始まった。
今度はヘレナも最初から口を開くことなく、二人ともただ黙って苦しみに耐えるだけだ。
「……ううっ……」
ようやくどこかの町にたどり着いたときには、セシリアは吐き気をこらえるので精いっぱいだった。
窓から外を見る余裕もなく、宿らしき場所で馬車から降ろされて、やっと周囲を見回す。
だが、馬車はすでに庭に入っていて、どこの町かはよくわからなかった。もっとも、町並みを見たところで、セシリアにはわからない可能性が高いが。
セシリアとヘレナは、それぞれ別の部屋が用意された。
簡素な部屋だったが清潔で、やっとセシリアは一息つく。
「ここはどこなのかしら……」
馬車はかなり急いでいたが、どこまで来たのだろうか。
隣国に入ってしまえば、脱出は難しくなるだろう。どこかで隙を見て、逃げ出すべきなのだろうか。
本気で逃げ切れるとは思っていないが、時間稼ぎにはなるかもしれない。
だが、もしエルヴィスがまだ懺悔の塔に囚われているのであれば、見せしめとして処刑されてしまう可能性もあるので、悩みどころだ。
「失礼いたします。お食事をお持ち……」
「一緒に食べましょう!」
侍女が食事を持ってやって来たところに、ヘレナが割り込んできた。
しかも、ヘレナも食事を持っている。それも、二人分だ。
ヘレナはずかずかと部屋の中に入ってきて、テーブルの上に持っていた盆を置く。
「お前、まだいたの? 私はお友達と二人で食べたいの。邪魔だから早く行って」
部屋の入口で立ち尽くしている侍女に向け、ヘレナは冷たく言い放つ。
セシリアは呆れつつ、哀れな侍女に視線を向ける。すると、馬車酔いに強い侍女だった。よほどヘレナの気に障るらしい。
「早く行きなさいよ。お前を見ていると、私を田舎の小猿と罵ってきた女を思い出すわ。その顔を見たくないから、私とお友達の前に現れないでちょうだい」
「し……失礼いたしました……」
かなり理不尽な言いがかりをつけられた侍女だが、おとなしく去っていった。
かわいそうだったが、今のヘレナに何を言っても無駄だろう。セシリアは諦めて、大きなため息を吐き出す。
結局、セシリアはヘレナと二人で食事をすることになった。
しかし、ヘレナもさすがに疲れているのか、あまりはしゃいだ様子もなく、おとなしく食べていた。
「今日は疲れちゃったわね。早く旅行先に着いて、ゆっくりしたいわ」
食事を終えると、ヘレナはあくびをしながら去っていった。
ヘレナのわがままから解放されたセシリアは、疲労がどっしりとのしかかってくる。
もう寝てしまおうかと思ったところで、扉をノックする音が響いた。
またヘレナが何かを思いついてやってきたのだろうか。ここで無視しても、激しく扉を叩き続けるだけかもしれない。セシリアはうんざりしながらも、どうぞと声をかける。
「ごきげんよう、セシリア姫。待ちきれず、迎えに来てしまいました」
すると、扉が開いて現れたのは、予想外の人物だった。セシリアは唖然として、自分の目を疑う。
隣国の好色王ケヴィンが、にこやかな笑顔を浮かべていたのだ。










