47.笑って嫁げ
テーブルに置いた花を別のテーブルに移すように、セシリアの結婚相手が変えられようとしている。
以前はそれが当たり前と思っていたが、今のセシリアには到底受け入れがたい。
すでにセシリアはエルヴィスと共に歩んでいくのだと決めている。エルヴィス以外の相手など、もはや考えられない。
だが、父親にして王太子であるローガンがそう決めたのなら、セシリアの気持ちなど関係ない。
いくらセシリアの心を訴えても無駄だろう。
まして隣国王ケヴィンが関わっているのなら、もう逃げられる段階ではないはずだ。
だが、それでもせめて何らかの抵抗はしたかった。
「……隣国ローバリーの国王陛下は、ローズブレイドを取り込もうとしていました。この国に対する足掛かりとするためでしょう。王女を得て、この国ごと奪おうとしているのではありませんか?」
「そのようなこと、お前が考えることではない。余計なことは考えず、立派な後継ぎを産むことだけ考えろ。次代の隣国王となる僕の孫を、早く見せてくれ」
セシリアの警告も、ローガンは聞く耳を持たずに切り捨てる。
完全に道具扱いだ。しかも子を産むことを急かされ、セシリアはおぞましさがこみ上げてくる。
さらにこの言い方からすると、次代の隣国王との血縁を利用して、ローガンの側がむしろ隣国を飲み込んでやろうとでも思っているのかもしれない。
もしそうだとすれば、とても愚かなことだ。ローガンなど、隣国王ケヴィンに操られて終わりだろう。
「……後継ぎといえば、ローズブレイド家に後継者はいません。これでエルヴィスから爵位を剥奪など、ローズブレイド家を潰すつもりですか。建国当初からの由緒ある公爵家を潰すとなれば、それなりの……」
「何を言っている。後継者なら、先々代の次男がいるではないか。それも本来、現ローズブレイド公爵よりも血縁的に上位だという。彼が爵位を継いでローズブレイド家の当主となればよいだけだ。何も問題ない」
後継者問題を持ち出すセシリアだが、これもローガンはあっさり否定した。
叔父の話が持ち上がったことに、セシリアは驚く。だが、彼は爵位争いに敗れた後、行方知れずのはずだ。
「でも、姿をくらましたはずでは……」
「先日、挨拶に来ていたぞ。自分がローズブレイド公爵となれば、僕に支援を約束すると言っていた」
あっけらかんと語られる内容に、セシリアは絶句する。
エルヴィスとの爵位争いに敗れ、姿をくらました叔父が現れたというのだ。それも、再び爵位を狙っている。
しかもこのタイミングは、あまりにも出来すぎている。
隣国王ケヴィンの求婚、そして再び爵位を狙う叔父。こうもうまく噛み合うものだろうか。
そこでセシリアは、ローズブレイド公爵領の災害対策が、隣国ローバリーの技術を取り入れたものだったことを思い出す。
そして、その対策の中心となっていたのが、叔父であったことも。
叔父はもともと隣国と繋がりがあったということだ。それどころか、隣国王は叔父を支援していたとも聞く。
爵位争いに敗れ、いくらかの財産を持ち出して逃げた叔父は、隣国を頼ったのではないだろうか。
利害が一致し、叔父と隣国王が手を組んだのかもしれない。
「だから、お前とローズブレイド公爵の婚姻も不要になった。もっと別の役立つところに嫁げ」
ローガンがセシリアとエルヴィスの婚約を認めたのは、ローズブレイド公爵家を後ろ盾とするためだった。
だが、別の手段で支援を受けることができるので、エルヴィスはもう用済みということだろう。ならば別の役立つ相手のところに行け、と。
まるで物を動かすかのようだ。ローガンはセシリアに心があるなど、考えたこともないのかもしれない。
「しかし、隣国に一人で向かうのは心細いだろう。ヘレナと一緒に行くとよい。母親が側にいれば心強いだろう」
「……はい?」
婚約破棄や隣国王に嫁ぐといったこと以上に、衝撃的な内容だった。
思わずセシリアは疑問の声を漏らしてしまう。
ヘレナと一緒に隣国へ行けなど、何の嫌がらせだろうか。心強いどころか、頭痛の種でしかない。
だが、すぐにこれがセシリアのためではなく、ローガンのためなのだと気付いた。
「……真実の愛で結ばれたはずの妻を、厄介払いですか」
苛立ちを抑えきれず、セシリアは刺々しい声を出す。
「人聞きの悪いことを言う。ヘレナにはこの地が合わないようだから、転地療養するだけだ。夫としての愛情ともいえるな。ヘレナも、いつまでも僕の足枷になっている状態は不本意だろう」
「……一生、離婚も再婚も許されないというのは覚えておいでですか。愛妾も認められないはずです」
何やらローガンの様子に不穏なものを感じて、セシリアは彼が結婚を認められたときの条件を並べる。
「そのようなものもあったな。だが、その条件は僕が国王になってしまえば、どうとでも変えられるようなものだ。あのような状態のヘレナに王妃は務まらないから、仕方がない。妃を失い、唯一の子も他国に嫁いだとなれば、国には新しい王妃が必要となるだろう」
セシリアは、ローガンの返事を聞いてぞっとする。
国王になれば別の女性を王妃とすることを宣言しているようなものだ。しかも、ヘレナのことは亡き者として扱っているようでもある。
だが、セシリアの心を占めるのは、それよりもエルヴィスのことだ。
仮にローガンがヘレナを葬るくらいの覚悟を持てるのなら、用済みになったエルヴィスのことなど、あっさり始末してしまうかもしれない。
「……エルヴィスは、これからどうなるのですか?」
「母親のことよりも、男の心配か。叛意があったのだから、爵位を剥奪して処刑が妥当だが……そうだな、お前の態度次第では追放に留めてやってもよい」
嘲笑うローガンだったが、ふと何かを思いついたらしい。
面白がるように、セシリアを見下ろす。
「笑って嫁げ。途中で逃げ出そうとされたり、反抗的な態度を取られたりしても厄介だからな。精いっぱい隣国王に媚を売って、支援を引き出せ」
「……そうすれば、エルヴィスの命を助けてくれるというのですか? 本当に?」
「約束しよう。ただし、平民に落とした上での追放だがな。懺悔の塔から出し、命を助けることは誓ってやる」
セシリアは唇を噛みながら、考え込む。
このまま、エルヴィスが今の状態に甘んじているとは思えない。
処刑を急がれてしまっては危ないかもしれないが、ローガンの提案をのめば、時間が稼げるはずだ。
ローガンの約束など信用できないが、セシリアが隣国王に引き渡されるまでの間くらいは、あえて破ることもないと信じたい。
そもそも、この提案を断ったところで利点はない。
セシリアがごねた場合、見せしめにエルヴィスに危害を加えられる可能性もある。
それならば、セシリアに目を引きつけておくため、従順に振る舞ったほうがよい。
王女を隣国王に引き渡すとなれば、そちらに労力が割かれるだろう。そうすれば、エルヴィスが動く隙ができるかもしれない。
別れ際にエルヴィスが言った、『対策を進めていますので、心配しないでください』という言葉をセシリアは信じる。
「はい……それならば、笑って嫁ぎましょう」
セシリアは背筋を伸ばし、唇をやわらかくほころばせた。
憎いローガンを見つめる目にも、まるで敬愛の情が浮かんでいるかのように、心を制御する。
かつてアデラインが未来の王妃として身につけた、完璧な貴婦人の微笑みだ。
ローガンが一瞬息をのみ、怯んだのがセシリアにはわかった。
今のセシリアにできることは、この程度のささやかなことくらいだ。それでも、少しでもエルヴィスから目をそらさせる助けとなることを願った。










