40.好色王の本心と策略
王太子ローガンは、来たときと同じくらいの性急さで帰っていった。
嵐が過ぎ去ったようで、セシリアとエルヴィスはひとまず息をつく。
だが、招かれざる客はまだ残っている。隣国王ケヴィンはローガンのように簡単にあしらうことはできず、厄介だ。
「疲れましたね……少し、休みましょう」
エルヴィスに促され、二人は談話室に戻った。
さほど時間は経っていないはずだったが、すでに一日が流れたくらいに感じる。
それでも、ゆったりとお茶を飲んでいると、大分落ち着いてきた。
「予想外の来客がありましたが、これからが本番です。今日中に……」
話し始めたエルヴィスを遮るように、扉をノックする音が響いた。
セシリアは背筋がざわりとする感覚に襲われる。
「失礼するよ。面白いお客が来ていたようだね。ご挨拶しておくべきだったかな?」
扉が開き、招かれざる客がやってきた。
ケヴィンが楽しそうに二人を眺め、笑みを浮かべる。
「エイリアス伯爵をご紹介しておくべきでしたか?」
「うーん……彼とはいちおう面識があるのだけれど……本気で気付かないかもしれないね。まあ、それはどうでもいい。セシリア姫に伝え忘れたことがありましてね」
ケヴィンは軽やかに、セシリアに近づいてくる。
「私には十二人の側妃がいます。ですが、セシリア姫が正妃となってくださるのなら、全員を廃しても構いません」
突然の申し出に、セシリアは唖然とする。
エルヴィスもとっさに声が出ないようだ。
好色王という呼び名の由来ともなった、十二人の側妃を全員廃するなど、セシリアもエルヴィスも予想だにしなかった。
それだけセシリアに対して本気だということだろう。
しかし、セシリアはそれほど想ってくれているのかと喜ぶ気持ちは、一切わき上がってこない。
心を占めるのは、恐怖だ。
ほんのわずか顔を合わせただけのセシリアに、それほど執着する理由がわからない。考えられるのは、セシリアを通して見ていた、何かに対するものだろう。
さらに、廃された側妃はどうなるのだろうか。
子もいるはずだが、その扱いはどうなるのだろうか。
様々な疑問が浮かんでくるが、セシリアは良い未来を想像できず、恐ろしい。
「……セシリアは、私の婚約者です。彼女はいずれローズブレイド公爵夫人となるのであって、ローバリー王妃ではありません。お引き取りください」
エルヴィスはセシリアとケヴィンの間に割り込むと、きっぱりと言い切った。
だが、ケヴィンは余裕のある笑みを浮かべたままだ。
「セシリア姫のお気持ちはいかがですか?」
ケヴィンは、セシリアに問いかけてくる。
やわらかく穏やかな物言いだったが、セシリアは怖気づいてしまう。
だが、ここははっきりと拒絶しなくてはならない。セシリアはエルヴィスの腕につかまりながら、ケヴィンに向き合った。
「……とても光栄なお誘いですが、私には荷が重すぎます。側妃さまたちを大切にして差し上げてくださいませ」
断りの言葉を口にするセシリアだが、ケヴィンの表情は余裕あるまま、変わらない。
「セシリア姫にとってローズブレイド公爵は協力者としてだけではなく、それ以上の存在だということですか?」
探るような問いかけに、セシリアは心臓の鼓動が跳ねあがった。
先ほど、互いの気持ちを確認したばかりだったが、そのときのことを思い出して恥ずかしさが募る。
「は……はい……私はローズブレイド公爵エルヴィスのことを、お慕いしております……」
顔が燃え上がりそうなほど熱かったが、ここでごまかすわけにはいかない。
セシリアはどうにか、想いを述べる。
すると、ケヴィンは大きく息を吐き出し、近くにあった椅子にどかりと腰掛けた。
「……つい先ほどまでは、ローズブレイド公爵に対しても遠慮があったようでしたのにね。随分と短い間に、結びつきが強まったものだ。もしかして、私が橋渡しの役をしてしまったのかな」
ふてぶてしい笑みを浮かべながら、ケヴィンはだらしなく椅子にもたれかかる。
朝にケヴィンと会ったときは、まだセシリアが己の想いを自覚していなかった。正妃にと言われたことがきっかけで、本当の心に目を向けることになったのだ。
そう考えれば、ケヴィンが橋渡しをしたことになるのかもしれない。
「これ以上、道化の役割はごめんだ。私は帰ることにしよう」
あまりにもあっさり諦めの言葉を吐くケヴィンに、セシリアとエルヴィスは思わず顔を見合わせる。
執着を見せていたわりには、あっけない。
「我が国は、そちらのように女神の加護があるわけではないのでね。血筋が王座を重く支えてくれることもなく、王といえどもそれなりの結果を出さねばならない。ただ座っているだけでよい、そちらの国王がうらやましいよ」
愚痴までもが、ケヴィンの口から飛び出した。
彼は彼なりに、色々と抱えているらしい。
「さて、世話になったね、ローズブレイド公爵。技術者たちは仕事が終わるまで置いておくが、私は一足先に帰るよ。見送りは結構」
椅子から立ち上がると、ケヴィンは背筋を伸ばして微笑む。
本当にセシリアのことを諦めて帰るつもりのようだ。とてもありがたい展開だが、セシリアもエルヴィスも拍子抜けしてしまう。
失恋した男が潔く身を引く姿にも見えるが、本当にそうだろうかと、セシリアは訝しむ。
「人の心も状況もうつろいゆくもの。またお会いしましょう」
去り際に、ケヴィンはセシリアに向かって優しく笑いかける。
その微笑みの奥に隠されたものが何か、どこまでが本心でどこまでが策略なのか、セシリアにはわからなかった。










