04.かつての義弟
ただ、罪を暴くとはいっても、相手は王太子と王太子妃である。
権力が彼らを守ることになり、簡単に太刀打ちできる相手ではないだろう。
前世で裏切られたことに加え、現在の人生でも親らしいことをするどころか貶められてきたので、心情的に抵抗はかけらもない。
しかし、今のセシリアは王女とはいえ、何の力も後ろ盾もない、無力な子どもだ。
まずは自分が力をつける必要がある。
「ローズブレイド公爵家に、自分がアデラインの生まれ変わりだと名乗り出て……いえ、頭がおかしいと思われるだけね」
手っ取り早く、前世の実家の力を借りることができればという考えが浮かんだが、セシリアは苦笑を浮かべてすぐに打ち消す。
前世の記憶が残っているという女神の忘れものは、実例はとても少ない。物語上の作り話ではないかともいわれているくらいだ。
まして、セシリアの両親である王太子夫妻は、アデラインの仇ともいえる存在である。その娘の言葉など、まともに聞こうとするだろうか。
「それに……もう、かつてのローズブレイド公爵夫妻は亡くなっているそうね……」
前世の両親である、ローズブレイド公爵夫妻はすでに亡く、養子となった息子が跡を継いだという話は、セシリアも聞いたことがあった。
爵位継承の際は揉めて、熾烈な争いがあったという噂だけを聞いた。
そのときはまだ前世の記憶などなかったので、聞き流した話だ。
前世の両親が何故亡くなったのかの理由も、知らない。
王家の腫れ物扱いだったセシリアは、世の中の出来事に疎かった。
もっとも、そのセシリアにも伝わってきたのだから、爵位争いは相当なものだったのだろう。
「エルヴィス……」
アデラインが亡くなった当時、まだ八歳でしかなかった義弟エルヴィスのことが思い出され、セシリアは胸が締め付けられる。
エルヴィスの本当の父は、アデラインの父の弟であり、公爵家の三男だった。おそらく、長男であるアデラインの父が亡くなった後、次男にあたる叔父との爵位争いが起こったのだろう。
かつての義弟の苦労を思うと、涙がうっすらと滲んできた。
「……周辺の状況を知ることから、始めましょう」
目元を拭うと、セシリアはまずは情報収集からだと、気持ちを切り替える。
今の自分は、あまりにも無知すぎる。
幸いにして、セシリアは王立学園に通い始めたところだ。
今までのように王宮の片隅に押し込められているわけではなく、学園で同級生との交流を持つこともできる。
もっとも、学園でも片隅で身をひそめているような状態で、自分から他人に話しかけるなど考えられないのが、これまでのセシリアだ。
入学して数日で高熱を出してしまったのは、それまでろくに他人と関わることがなかったのに、いきなりたくさんの同級生たちがいる状況に戸惑ったからかもしれない。
だが、今は前世の記憶が蘇ったのと共にアデラインの人格に引きずられているのか、他人と関わることに以前のような恐怖は感じられなかった。
まだ入学したばかりなので、今ならまだ自然に、学園内に溶け込むことができるかもしれない。
「ええと……今日は、学園のある日ね」
目が覚めたのは夜明けなので、まだ時間には余裕がある。
熱も下がっているようで、記憶の混乱をのぞけば体調に問題はない。
早速、今日から情報収集を始めようと、セシリアは身支度を整える。
「……不思議な感じね」
学園の制服を着て鏡の前に立つと、よく見知ったような、そうでもないような顔が映っている。
どことなく儚げな整った顔立ちは、両親のどちらかにはっきり似ているというわけではなく、色々と寄せ集めてきたように見える。
鏡を見るたびに、腹立たしい顔にそっくりなものを目に入れてしまうという災難からは逃れられたようだ。
アデラインはきつめの顔立ちだったが、セシリアは頼りなさげなぼんやりとした雰囲気で、記憶がまだ入り混じっている今は、少し奇妙な気分だった。
ただ、蜂蜜のような輝きのある金色の髪と、鮮やかな緑色の瞳は、アデラインと同じ色だった。
ローガンはもう少し濃い金髪で、ヘレナはストロベリーブロンドだ。そして二人とも瞳は青色だったはずなので、どちらにも似なかったらしい。
金色の髪も緑色の瞳も、王族の色彩としては珍しいものではないので、両親と異なっていてもおかしくはないだろう。
しかし、アデラインと同じ色彩であることに、何らかの意図的なものが感じられるようでもあった。
「さて、今日から第一歩よ」
セシリアは気合を入れて、学園に向かう。
前世では開校したばかりで男女共学だった学園だが、今は校舎が男女別になっている。
定期的に交流会というイベントがあるが、普段は学園内で男子生徒と女子生徒が関わることはない。
現在は何故そのようになっているか不明だったが、もしかしたらローガンとヘレナのような出来事を繰り返させないためではないかと、セシリアはふと思う。
「……教室はどこだったかしら」
気合を入れすぎたのか、かなり早めに登校してしまったようだ。
校門までは馬車でやってきたので問題なかったが、校舎内でセシリアは迷ってしまう。
前世の記憶にある校舎とは別の建物で、しかも今の人生でも通い始めたばかりでなじみが薄いため、道がよくわからないのだ。
誰かに尋ねようにも、廊下には人の姿が見当たらず、セシリアは途方に暮れてしまう。
だが、授業が始まるまでにはまだ時間があるのだし、ゆっくり探せばよいかと、思い直す。
時間が経てばそのうち生徒たちも登校してくるだろう。
校舎内の見学も兼ねて歩いてみればよいのだ。
すると、廊下の曲がり角で数名の集団とばったり出会い、セシリアはびくりとして足を止めてしまう。
「……もしかして、王女殿下?」
集団の中心にいた、二十代半ばほどの黒髪の青年が訝しそうに呟く。
低く落ち着いた声は聞き覚えのないものだったが、何故か懐かしさがわきあがってくる。
思わず相手の顔を見つめてみれば、どこかで見たことがあるような気がした。
だが、誰かがわからない。前世の父にも少し似ているようだが、何となく似ているといえば似ているといった程度だ。
考え込むセシリアを見て、青年は儀礼的な微笑みを浮かべる。
「これは失礼いたしました。私はローズブレイド公爵エルヴィスと申します」
青年の口から出た名前に、セシリアは心臓が止まってしまうのではないかというほど、驚く。
セシリア、というよりもアデラインの記憶では、エルヴィスは八歳の可愛らしい男の子だった。
だが、それから時が流れているのだ。当然、彼も成長しているというのに、他にも考えることが多すぎて、そのことに思い至らなかった。
目の前の青年こそが、かつての義弟の成長した姿なのだと、セシリアは唖然とする。