39．王太子襲来
セシリアがローガンを差し置いて女王の座を狙っていると知れば、彼は怒り狂うだろうことは想像していたことだ。
だが、わざわざローズブレイド公爵領まで、本人が直接乗り込んでくるとは、予想外だった。
それとも、第二王子と交渉していることを勘付かれたのだろうか。あるいは、隣国王が滞在していることを嗅ぎ付けたか。
もしそうならば、油断ならない。セシリアとエルヴィスは、気を引き締めて応接室に向かう。
「お前たち、いったいどういうつもりだ！」
応接室に入るなり、ローガンの怒声が飛んできた。
礼儀も挨拶もあったものではない。
「王都にまで、セシリアを次期女王にという声が聞こえているぞ！ まさか、ローズブレイド公爵はセシリアを傀儡の女王として仕立て、自身が権力を握るつもりで、僕に近づいてきたのか！？」
「落ち着いてください、殿下。セシリア姫を次期女王にという声は、誰が発したものなのですか？」
激昂するローガンに対し、エルヴィスは落ち着き払って問いかける。
「みんな言っているぞ！」
「……それは特定の誰かがですか？ それとも、民衆、あるいは貴族の噂話といったものですか？」
エルヴィスの声は穏やかなままだったが、最初の一瞬の間で、呆れていることがセシリアにはわかった。
だが、ローガンはそれに気づくこともなく、少しだけ頭が冷えてきたのか、考える素振りを見せる。
「王都ではみんなが言っていると……」
「つまり、それは勝手な噂話の類というわけですね。貴族も民衆も、適当なことを面白おかしく騒ぎ立てるものです」
静かだが有無を言わせぬエルヴィスの前に、ローガンは勢いを失った。
しかし、ローガンは不満そうに顔を歪め、何か言おうと考えているらしい。
「……何故、セシリアを次期女王になどという声が出てきたのだ」
「セシリア姫が滞在している我が領地は、災害の被害がほぼないのです。そのため、ローズブレイド公爵領の災害を鎮めたと民衆に思われているようです。そこから、国全体の災害が治まることを期待して、次期女王にと言われているのはないでしょうか」
ローガンが絞り出した疑問に、エルヴィスは滑らかに答える。
すると、ローガンは不服そうに唇を歪めていたが、ふと思いついたようにセシリアに向き合った。
「……まさか、お前にそのような力があるのか？」
「い……いえ……私にもよくわかりません……その女王がどうのという話が王都で言われているなんて知りませんでしたし……」
どうやら、ローガンは第二王子や隣国王のことに気付いているわけではないようだ。単純に、自分にとって都合の悪い話を聞いて頭に血が上り、わざわざ遠くまで押しかけてきたらしい。
それならば、セシリアは何も知らずに戸惑っていたほうがよいだろうと、おどおどとしながら答える。
「そうだな。お前のようなとろくさい奴、何もわからなくて当然か」
ローガンはあっさりとセシリアから視線をはずした。
その表情には、少し満足気なものが漂っている。セシリアを貶めることにより、自尊心が回復したらしい。
「そもそも、殿下は何をそれほどお怒りなのですか？」
「それは、セシリアが僕を差し置いて女王となろうとしているから……」
かなり落ち着いてきたらしく、ローガンはエルヴィスの問いに対して、素直に答える。
「女王にという話はセシリア姫からではなく、民衆たちが勝手に言い出したことであったはずです。何より、セシリア姫のご高名が響き渡るのは、殿下にとっても歓迎すべきことかと存じますが」
「……どういうことだ？」
ローガンが訝し気に眉根を寄せる。
「殿下の御立場が弱かった要因の一つに、世継ぎの男子がいなかったことがあります。しかし、殿下のご息女であるセシリア姫が世継ぎとなれる、それも民衆の支持を得ているというのは、御父君である殿下のご威光に繋がるかと存じます」
「言われてみれば……まあ、それもそうか……」
エルヴィスの甘言に、ローガンはあっけなく流されようとしている。腕を組みながら難しい顔で何かを考えているようだが、口元がわずかにつり上がっていた。
「僕の後継ぎとしていずれ女王になるというのなら、おかしなことではないな。裏切り者のジェームズとギルバートにも一泡吹かせてやれる。そうだな、悪い話ではなかったようだ」
第二王子たちへの恨みをにじませながら、ローガンの機嫌はいとも簡単に上向いた。
彼の中では、あくまでも次期国王は自分であり、その次の女王としてセシリアが望まれているのだということになったのだろう。
都合よく物事を考えるものだが、その思考はセシリアとエルヴィスにとっても都合がよい。
「セシリアは僕の娘だ。すなわち、セシリアに対する称賛は、僕に対する称賛と同じこと。これからも僕の役に立つように精進しろ」
上機嫌で傲慢に言い放つローガンに対し、セシリアは苛立ちを覚える。だが、今はそれを飲みこんで、しとやかに微笑んだ。
エルヴィスも表面上は完璧な微笑みを浮かべ、内心の不快感はうかがわせない。
「さて……それでは僕は失礼しよう。セシリアが気になり、つい抜き打ちで様子を見に来てしまったが、変わりなく安心した。先触れもなしに訪れた非礼は、娘を思う親心として容赦願いたい」
あからさまな嘘で取り繕うローガンだが、セシリアもエルヴィスも笑顔で頷くだけだ。
無事に言いくるめて帰すことができるのだから、上出来といえるだろう。
ローガンに対する殺意は、微笑みの仮面の奥に隠す。
そしてローガンを見送り、セシリアとエルヴィスは二人きりになったところで、笑顔の仮面を取り払ってお互いを見つめる。
心が通じ合っているということが疲労感と共に伝わってきて、何も言わずとも二人は互いを理解できた。
