33.好色王ケヴィン
「わざわざお越しとは、いったいどのようなご用件でしょうか、陛下」
さりげなくセシリアを後ろにかばうように踏み出しながら、エルヴィスは冷淡な声で言い放つ。
最後の呼び方によれば、やはり目の前の人物は隣国王ケヴィンのようだ。
セシリアは、いったい何が起こっているのかと戸惑う。
「おや、せっかくエイリアス伯爵としてやってきたのに、つまらない。最後に会ったのは随分前のことだったはずなのに、よくわかったものだね」
「そもそも、先触れもない隣国の伯爵など、本来ならば会う必要がないでしょう」
「なんだ、最初からわかっていたのか。あの頃はまだ少年だったのに、成長したものだね。かなり遅くなってしまったが、ローズブレイド公爵となったこと、お祝い申し上げるよ」
「それは、ありがとうございます」
どことなく火花が散っているようにも見えるやり取りを眺めながら、この二人に面識があったのかと、セシリアは驚く。
「さて、そろそろ、そちらの美しい姫のことを紹介してくれないかな」
「……こちらは私の婚約者、未来のローズブレイド公爵夫人となるセシリアです。セシリア、このエイリアス伯爵という偽名を名乗っているのは、隣国のケヴィン国王陛下です」
からかうようなケヴィンに対し、エルヴィスは儀礼的な微笑みを浮かべて答えた。
だが、セシリアにはエルヴィスがうんざりしていることがわかる。さらに、セシリアのことも婚約者であることを前面に出し、けん制しているようだ。
そして、やはり目の前の相手は隣国王ケヴィンだった。
「セシリアと申します。お目にかかれて光栄に存じます」
淑女の礼を取りながら、セシリアは挨拶を述べる。
かつてアデラインに対して余計なことを仕出かし、さらに十二人も側妃がいるという、印象の良くない相手だ。嫁がされそうになったという因縁もある。
それでもケヴィンは一国の王であり、いくらお忍びであろうと、邪険にすることはできない。
しかし、エルヴィスは挨拶を終えたセシリアを覆い隠すように、ケヴィンとの間に割り込んだ。
あからさまな態度に、ケヴィンが苦笑する。
「随分と警戒されているようだね。まあ、セシリア姫は私との縁談もあったのだから、無理もないだろう。でも、私から申し込んだわけではなく、そちらの国の王太子から末席の側妃でよいのでと売り込んできたのだから、そこは誤解しないでほしいな」
やはり、ローガンからセシリアを差し出し、後ろ盾を得ようとしたらしい。しかも、かなりへりくだっていたようだ。
娘に対する愛情などないとはわかっていたが、あまりにもぞんざいな扱いだと、セシリアは呆れる。
ケヴィンの口調にも、ローガンを軽んじているような響きがにじんでいた。
「……申し込んできたのはお前たちの側だというのに、勝手に取り消すなとでも、お怒りなのですか?」
後ろにセシリアをかばったまま、エルヴィスが問いかける。
「うーん……ちょっと違うかな。怒りを感じているというのなら、自分自身にだね」
ケヴィンはそう言うと、エルヴィスの斜め前に移動して、セシリアをのぞき込む。
「こうしてお会いすると、あのとき側妃ではなく、正妃にとこちらから望んで、話を押し通さなかったことを後悔いたしますよ。自分の愚かさに怒りを覚えます」
「まあ、ご冗談を……」
おそらくこれは、女性を褒めなくてはならないという、彼の礼儀なのだろう。さすが好色王と呼ばれるだけのことはある。
セシリアはそう思い、まともに取り合うことなく、微笑んで受け流す。
「いいえ、冗談などではなく、心の底からそう思っていますよ」
ケヴィンは穏やかに返したが、その目を見たときにセシリアは固まってしまう。
口元こそ微笑みに彩られていたが、セシリアを映した瞳の奥底から、激しい感情がわき上がっているようだった。
それも、セシリアのことを欲しているといった、艶めいたものではない。憎悪、悔恨といった、寒気を覚えるようなものだ。
だが、それはセシリアを通した何かに向けられているようでもあった。
セシリアにはケヴィンがどのような思惑を抱いているのかわからず、恐ろしい。
「いいかげんにしていただけますか? 彼女は私の婚約者です」
そこにエルヴィスが割り込んできて、セシリアはほっとする。
しかし、肩を抱き寄せられてエルヴィスに密着する形になると、今度は恥ずかしさで戸惑う。
「おやおや……嫉妬深い男は嫌われるよ」
ケヴィンの瞳から剣呑な光が消え、呆れたようなものになる。
いっとき見せた激情のようなものは、跡形もなく消えていた。
「ご用件を早くおっしゃってください。そして、早々にお引き取り願います」
笑顔ではあったが、すでにエルヴィスは苛立ちを隠そうともしていない。
「……最近、そちらの国は随分と災害が多いそうじゃないか。以前、災害対策の技術を教えた我々としては、現状がどうなっているのか気になってね。様子を見に来たというわけだよ」
ようやく来訪の目的を答えたケヴィンだが、その内容はセシリアの予想外のものだった。
ローズブレイド公爵領が他国から技術を取り入れて、災害対策を行ったという話は聞いていた。その他国とは、隣国ローバリーだったらしい。
「わざわざ、隣国の国王陛下ともあろうお方が直接訪れるようなことではないと思いますが……お心遣いは感謝いたします。幸い、お伝えいただいた技術が素晴らしく、被害はほとんど出ておりません。ですので、心置きなくお帰りいただければと存じます」
「いやいや、実際にどのようなものか調べてみないと。我が国の技術がそのまま使用に耐えたのか、それとも改善の余地があるのか。技術者も連れてきたので、調査させてほしい。我が国の技術に関するプライドの問題だ」
どうにか帰らせようとするエルヴィスだが、ケヴィンは技術を持ち出してかわす。
実際に、ケヴィンの申し出はありがたいものではある。
災害対策を強化して悪いことはないだろう。一度携わった以上はその後も面倒を見るなど、この上ないほど親切な対応ともいえる。
問題は、わざわざ一国の王が直接出向くような事柄ではなく、明らかに別の目的が隠されていることだ。
とはいえ、その目的がわからない以上、表向きは素晴らしい申し出を断ることは難しい。
「私は数日滞在させてもらおうと思うが、長居するつもりはない。安心してくれ」
まったくもって安心できないケヴィンの言葉が、勝利宣言のように響いた。










