32.不意の来訪者
「……あなたがそう決意したのなら、私は支えるだけです。ですが、命を縮めるような行為は慎んでください。そのようなことになるのなら、全て放り出して構いません。あなたが無事でいることが、私の一番の願いです」
苦渋に満ちた表情だったが、エルヴィスはセシリアの意思を尊重してくれた。
だが、復讐を諦めてもよいと取れる言葉に、セシリアは驚く。
もともと、この婚約も復讐のためだったはずなのに、セシリアが無事でいることのほうが大切だなど、本末転倒だろう。
セシリアにとっても、本来するべきは罪を暴くことだ。今のエルヴィスの発言は、目的から遠ざかるといってもよいだろう。
それなのに、セシリアの心に広がったのは、喜びだった。
「だ……大丈夫ですわ。私も命を縮めるなど冗談ではありませんし、無理はいたしません」
胸を温かく染める感情に戸惑いながら、セシリアは答える。
もとより、無理をする気はない。エルヴィスがここまでセシリアのことを案じてくれるのは予想外だったが、無事に終わらせたいのは同じだ。
「……そもそも、全素質なのか限定素質なのかは、どうしたらわかるのでしょう。今まで読んだ中には出てきませんでしたわ」
ふと、セシリアは疑問を口にする。
二種類あるとわかっているのだから、区別する方法もあるのだろう。
自分が読んでいない記録の中にあるのだろうかとセシリアはエルヴィスを見るが、彼も首を横に振った。
「私が読んだものにも、判別方法はありませんでした。でも、ここ以外に王家の秘法に関する記録は……」
途中まで言いかけたところで、エルヴィスは考え込む。
その姿を見て、セシリアも思い当たることがあった。
「そういえば、途中で不自然にスペースが空いていましたわね。もしかして、そこに本来は本があったのでしょうか」
「……私もそれを思いました。この部屋に入れるのは、基本的には当主のみです。当主が誰かを伴ってということはありますが……先代が持ち出したのか……いや、まさか……」
エルヴィスの眉間に皺が寄っていく。何か思い当たることがあるらしく、表情が暗くなっていった。
「先代が病を得た後、一時期叔父が当主代理をしていたことがありました。この部屋に入ることも可能だったかもしれません」
「……叔父さまが持ち出したということですか?」
「いえ……持ち出すことが可能だったかもしれないというだけです。先代、あるいはそれ以前の当主が持ち出したか、そもそも本を中途半端に寄せてしまっただけかもしれません」
エルヴィスは断言を避けたが、セシリアは何かが引っかかるようだった。
叔父は爵位争いに負け、いくらかの財産を持ち出して姿をくらませたと聞く。その際に、過去の記録も持ち出したのだろうか。
ここにあるのは王家の秘宝そのものではなく、それに関する知識だけのはずだ。仮に持ち出したとしても、使い道がとても限られてしまうだろう。
だが、叔父が持ち出したとは限らず、考えても答えが出るものではない。
「……そろそろ、出ましょう。もうすぐ夕食です。図書室はいつでもご自由にお使いください。この部屋に入りたいときは、私に声をかけてくださればご案内します」
いつの間にか、夕食の時間が近づいていたらしい。
セシリアはエルヴィスの言葉に頷くと、いったん考えを打ち切って、二人で部屋を出て行った。
それから、しばらく穏やかな日々が流れた。
セシリアはローズブレイド公爵領に滞在しながら、勉強をしたり、庭を散策したり、ときにはエルヴィスと連れ立って街に買い物に行くこともあった。
毎日が楽しかったが、目的のために何かをしているとは思えない。
セシリアは少し不安を覚え、エルヴィスに大丈夫なのかと尋ねた。
「今は、あなたがローズブレイドに滞在しているということが重要なのです。ここにいるだけで十分、目的に向かって進んでいますので、ご安心ください」
しかし、エルヴィスは落ち着き払ってそう答えるだけだ。
どういうことだろうかと思ったが、ローズブレイド公爵領のみ、災害の被害がたいしたことないのは、セシリアのおかげという設定を思い出す。
セシリアがローズブレイド公爵領に滞在していれば、その設定に信ぴょう性が出てくるだろう。
その噂が広まるのに時間が必要なので、今はただ待つしかないのかもしれない。
エルヴィスだけではなく、家令のトレヴァーを始めとした使用人たちも、セシリアに対して優しい。
かつてアデラインが好んでいた菓子や花などが用意されることは多かったが、最初のお茶のとき以降、そのことに触れられることはなかった。
だが、何も触れてこないことが、あえてそうしているのだとセシリアには感じられる。
いっそ、アデラインの記憶を持っていることを明かしたほうがよいのだろうかと、セシリアは迷う。
だが、セシリアがアデラインと同一人物というわけではない。
あくまで記憶を持っているだけで、もしかしたら人格が入り交じったところはあるかもしれないが、セシリアはセシリアなのだ。
何より、エルヴィスのアデラインに対する愛の重さが怖い。
セシリアの脳裏には、王都のローズブレイド邸で見た、壁一面の肖像画が焼き付いている。
これで記憶のことを明かし、セシリアとアデラインを同一視されてしまったら、エルヴィスがどういった行動に出るかがわからなく、恐ろしい。
もしかしたら今とさほど変わらないのかもしれないが、一度試してしまえばもう後戻りは不可能だ。あまりにも分の悪い賭けとなってしまう。
結局、セシリアは現状維持という結論に達する。
「エイリアス伯爵と名乗る方がお目通りを願っていますが……いかがいたしましょうか」
あるとき、セシリアとエルヴィスがお茶の時間を過ごしているところに、このような知らせがもたらされた。
先触れもなかったような気がするが、緊急の用件があったのかと、セシリアは首を傾げる。しかも、聞いたことのない名前だ。
エルヴィスの様子をうかがってみれば、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……ふざけているな。だが、会わないわけにもいかないだろう。応接室に通せ」
渋々といった様子で、エルヴィスはそう命じる。
「あの……エイリアス伯爵がどういった方なのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「クズ野郎ですよ」
セシリアの問いかけに対し、エルヴィスはにっこりと笑いながら答える。
これまでエルヴィスの口から汚い言葉が出るのを聞いたことがなかったセシリアは、唖然としてしまう。
「本当はあなたをあんな奴に見せたくないのですが……どうせ諦めないでしょう。一目だけ会わせてやって、さっさと帰らせましょう。申し訳ありませんが、少しだけお付き合いください」
エルヴィスはつらそうな表情で、セシリアの手を取る。
状況がよくわからなかったが、エルヴィスがこうして対応しなくてはならないとは、かなりの重要人物のようだ。
緊張しながら、セシリアはエルヴィスに促されるまま、応接室に向かう。
「……おお、そちらが噂のセシリア姫か。これは女神の再臨といわれても納得の美しさだ」
応接室で待ち構えていた男は、エルヴィスと連れ立って現れたセシリアを見るなり、そう口にした。
挨拶を交わす前から、かなり不躾な態度だ。セシリアは不快感を覚えるが、男の顔に見覚えがあるような気がして、記憶を探る。
それなりに整ってはいるが、どことなく軽薄そうな印象を受ける顔立ちだ。だが、それでいて自信に支えられた、堂々たる佇まいを見せている。
横柄な態度に女好きらしき言動と考えたところで、答えは一瞬で出た。
アデラインの記憶よりはかなり年齢を重ねているが、状況と照らし合わせても、おそらく間違いないだろう。
かつては隣国ローバリーの王子であり、今は好色王と呼ばれるケヴィンが、何故かセシリアの目の前にいた。










