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02.婚約破棄

 煌びやかな大広間は、混乱のざわめきに満たされていた。

 栄えある王立学園の一期生の卒業パーティーという記念すべき催しは、別の意味で歴史に残ることになる。


「僕は真実の愛に目覚めた! よって、ローズブレイド公爵令嬢アデラインとの婚約を破棄し、ルーラル男爵令嬢ヘレナと新たに婚約を結ぶことを宣言する!」


 王太子ローガンが、大広間の真ん中にて高らかにそう宣言したのだ。

 彼の隣には、ストロベリーブロンドに大きな赤いリボンを飾った小柄な少女が、しがみつくように寄り添っていた。

 田舎の男爵家出身であるヘレナは自由奔放で、しきたりにとらわれた王都の上位貴族たちの一部には、その天真爛漫な姿が魅力的に映ったようだ。

 そして、彼女の魅力に骨抜きになってしまった一人が、王太子ローガンというわけである。

 何かをやり遂げたように、ローガンとヘレナの顔は達成感に満たされていた。


 王太子の婚約者にして、たった今婚約破棄を叫ばれた公爵令嬢アデラインは、二人の姿を呆れながら眺めた。

 本来ならば、国王夫妻も出席するはずだったパーティーだが、視察に出かけた帰り道で土砂崩れにあってしまい、帰りが遅れている。

 他に上位の存在といえば王太后だが、老齢で最近はすっかり弱ってしまい、パーティーは最初から欠席となっていた。

 諫められる者がいないからといって調子に乗りすぎだと、アデラインはこっそりため息を漏らす。


「……殿下、余興にしてもおふざけが過ぎますわ。個人の都合で婚約を破棄したり、結びなおしたりなど、できるはずがございません」


「何を言う! 僕は本気だ! それに、我が国は変革の真っ最中だ! ならば、そのような古き因習から変えていかねばならない! その第一歩として、僕はヘレナを妃に迎えて愛を育んでいくのだ!」


 至極まっとうなことを述べたアデラインだが、ローガンは顔を真っ赤にして反論した。

 古き因習を変えるというのなら、王位の長男相続制を廃して、ローガンよりはまともな第二王子が王位を継ぐようにしてほしいと、アデラインは切に願う。


「……私は、愛妾を許さぬほど狭量ではございません。ヘレナ嬢は愛妾としてお迎えになって、愛を育んでいけばよろしいのですわ」


 それでも、アデラインは寛容に申し出る。

 王や王子が愛妾を持つのは、珍しいことではない。この国は一夫一妻制だが、妻は政略結婚で迎え、身分の低い女性を愛妾として囲うのは、貴族にはよくあることだ。

 ローガンとアデラインとの婚約は政略であり、アデラインは恋心を抱いているわけではない。

 王族に嫁ぐ者としての義務は果たすというだけで、ヘレナに対して嫉妬するような心もわいてこなかった。


「愛妾など、そのような日陰の身にヘレナを置いておけるか! お前が身を引けばいいだけだ! 嫉妬するのは仕方がないが、僕の心はお前にはないのだから、諦めろ!」


「……アデラインさまには、申し訳ございません。ですが、ローガンさまは私を選んで下さったのです。愛の下には人々は身分などなく、誰もが平等なのです。選ばれなかったアデラインさまは、身分を笠に着るような浅ましいことなどせず、どうか潔く諦めて下さいませ」


 話が噛み合わない二人に対し、アデラインは頭痛を覚える。

 アデライン個人の気持ちでいえば、このような愚かな男と結婚したいはずがない。だが、立場がそれを許さないというのに、この二人にはどう説明すればわかってもらえるのだろうか。


「これは、とんだ場面に遭遇してしまったようだ。アデライン嬢の立場に、もう少し配慮するべきではないのかな?」


 そこに、声が割り込んできた。

 視察にやってきていた、隣国の王子ケヴィンだ。

 隣国は大国で、その王子ともなれば、ローガンも大上段に構えるわけにはいかず、怯んだような様子を見せる。


「婚約が破棄されたというのなら、アデライン嬢は自由の身ということでよいのだね。ならば、私がアデライン嬢に求婚しよう」


 ところが、かばってくれているのだと少しだけ気を許したアデラインを、さらなる混乱に叩き落す発言が飛び出した。

 まるで、油断したところを後ろから斬りかかられたようだ。


「なっ……どういうことだ! まさか、お前が先に隣国の王子と通じていたというのか!?」


 衝撃を受けるアデラインが立ち直るよりも先に、ローガンの叫びが響き渡る。

 自らの行いを棚に上げた内容ではあるが、アデラインに向けるローガンの顔は憤りに歪んでいた。


「そのようなことはございません! ケヴィン殿下とは、これまでまともに会話を交わしたことすらございません!」


 慌てて、アデラインは釈明する。

 これまでケヴィンとは何回か会ったことはあったが、挨拶を交わした程度だ。

 それも、二人きりで会ったことなどない。常に、誰かが一緒にいた。


「嘘を言え! その程度でいきなり求婚などあり得ないだろう! 恥を知れ! これは国家反逆罪になり得るぞ!」


「殿下! 私の話を……」


「誰か、この恥知らずな裏切り者を懺悔の塔に連れていけ! 話はそれからゆっくり聞かせてもらおう!」


 取り付く島もなく、ローガンは兵士に命じてアデラインを連行させる。

 その剣幕と、あまりの展開についていけないようで、ケヴィンは呆然と立ち尽くしていた。

 ざわざわとした不穏な雰囲気の中、アデラインは抵抗することもできずに、パーティー会場から連れ出されていった。




 懺悔の塔に押し込められ、アデラインは一人になる。

 高貴な身分の囚人を収容するのが懺悔の塔で、部屋の調度品も公爵家と比べれば簡素なものの、十分に上等なものが用意されていた。


「せいぜい数日の辛抱よ……」


 アデラインはソファに座りながら、己に言い聞かせるように呟く。

 隣国の王子ケヴィンとは何の関係もないのだし、調べればすぐにわかるだろう。

 父であるローズブレイド公爵は、このまま黙ってなどいないはずだ。

 今は王太子ローガンが調子に乗っているが、国王夫妻は数日中に帰ってくるはずで、そうすれば必ず状況は変わる。

 すぐに疑いは晴れ、懺悔の塔から解放されるはずだと、アデラインは心を落ち着かせようとする。


「せっかくの卒業パーティーだったのに……」


 晴れ舞台のはずの卒業パーティーだったが、いくつもの波乱で台無しだと、アデラインはため息を漏らす。

 婚約破棄もいったい何事かと思ったが、それよりもケヴィンの求婚の件だ。

 突然の求婚があまりにも衝撃的で、婚約破棄がかすんでしまった。

 それがなければ、懺悔の塔に送られることはなかったはずだと、アデラインはケヴィンに対して苛立ちを覚える。

 しかも、ろくに言葉を交わしたことすらないのに、いきなり求婚とは理解しがたい。


「確か、隣国は何人もの妃を娶ることができたはず……感覚が違うのかもしれないわね」


 この国では王族も一夫一妻制で、愛妾には妻としての権利はない。

 だが、隣国では一人の正妃と何人もの側妃がいて、側妃にも妻としての権利が認められているという。

 生涯の伴侶というよりは、コレクションをひとつ増やすくらいの感覚なのかもしれない。

 それはそれで、不快感があるが。


「殿下も殿下よ。先に裏切っておいて、人を裏切り者扱いして……」


 だが、元はといえばローガンが婚約破棄など宣言したからだ。

 それがなければ、ケヴィンの求婚もなかっただろう。

 やはり諸悪の根源はローガンだと、アデラインは腹立たしさがわきあがってくる。


 ただ、単純にアデラインの不貞を疑っただけで、懺悔の塔に放り込んだわけではないだろう。

 国家反逆罪がどうのということは、おそらくアデラインが隣国に通じて、この国を裏切っていたという可能性を考えているはずだ。

 この国は女神の加護があるというが、それは眉唾な伝説ではなく、本当に王家の人間に受け継がれる秘法である。

 アデラインも将来の王妃ということで、その話は一般人よりも詳しく学んだ。

 その秘法を隣国に漏らしたことを、疑われているのだろう。


 もっとも、アデラインの知っていることなど、書物で得られる知識程度のものだ。

 秘法は成人した王族男子に伝えられるという。

 また、王族男子の妃にも秘法の一部が伝えられるというが、通常は正式に結婚した後、さらに子を授かってからとなる。

 アデラインは当然、王太子の婚約者でしかなかったので、伝えられていない。


 ただ、アデラインの出身であるローズブレイド公爵家は建国当初からの名家で、その後も度々王族の血が入っている。

 アデライン本人も現王妃の覚えがめでたく、可愛がってもらっていた。

 なので万が一、慣例を無視して秘法が伝わっているかもしれないと、疑いを持ったのだろう。


「問題が山積みだわ。帰ったらエルヴィスと本を読もうと思っていたのに……」


 日常が恋しくなり、アデラインは宙を見上げる。

 今年八歳になる義弟のエルヴィスのことを思い出し、きっと寂しがるだろうと、アデラインは心苦しくなる。

 エルヴィスは父の弟の息子なのだが、本当の両親を亡くして引き取られてきたのだ。

 最初の頃は警戒されていたが、今ではすっかりお姉ちゃまとなついてくれている。


「……弱気になってはいけないわ。どうせ、少しの辛抱ですもの。ゆっくり休みましょう」


 無実が証明されてアデラインが懺悔の塔から出ることができても、それからが本当の勝負ともいえるのだ。

 突然、ローガンが婚約を破棄してきた事実は変わらない。

 これからその対応で、忙しくなっていくだろう。

 そのためにも、無駄に体力を消耗することなく、今後に備えて休んでおこうと、アデラインは結論づける。


 すると、これまで張り詰めていた緊張の糸が切れたせいか、急に眠気が襲ってきた。

 アデラインはソファにもたれたまま、目を閉じる。

 すぐに意識は途切れ、アデラインは眠りに落ちていった。


「……ん……?」


 そしてどれくらいたったのか、誰かの気配でアデラインは眠りから覚めようとする。

 だが、瞼が重たくて、開かない。

 体もだるく、手足を動かすこともできそうになかった。

 何かがおかしいと不審に思っていると、アデラインは誰かに持ち上げられた。

 

「……な……に……」


 口から微かに戸惑いの声が漏れるが、それ以上は何もできなかった。

 アデラインの目がようやく開いたのは、塔の窓から突き落とされた後で、目に映ったのは上に遠ざかっていく窓だった。

 それが、アデラインの人生の最後の記憶だ。

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