16.婚約
セシリアとエルヴィスが連れ立って王太子ローガンの元を訪れると、ローガンはぽかんと口を半開きにした間抜けな顔で、二人を見つめてきた。
本日の用向きが婚約の申し込みであることは知っているはずだ。それなのに、何故こうも驚いた顔をするのだろうかと、セシリアは不快感が募る。
「……新手の冗談か、何らかの暗喩かと思ったのだが、まさか本当にそのままの意味だったのか」
呆然と呟くローガンを白けた目で見つめながら、セシリアはため息を漏らしたい気持ちを抑える。
信じられない気持ちはわからないでもないが、この態度はいただけない。
何らかの企みがあっての発言というわけでもなく、単純に思ったままを言っただけだろう。この浅慮さには呆れるしかない。
「そのような恐れ多いこと、殿下と近しくさせていただいているわけでもない我が身にできるはずもございません。私はセシリア姫への求婚の意を示しただけで、その許可を得ること以外は考えておりません」
しかし、エルヴィスはいたってにこやかに述べるだけで、そこに苛立ちや呆れといった感情はうかがえない。
もっとも、言っている内容には嫌味がにじんでいるのだが、ローガンは気付かないようだった。
「うむ……まさかこのような大物を釣ってくるとは思っていなかった……セシリアが本当に……」
ぶつぶつとローガンは一人で呟いた後、何かに思い当たったようで、エルヴィスに視線を向けた。
「ローズブレイド公爵の狙いは何だ? まさかセシリアに一目惚れしたなど、本気ではないだろう? セシリア……いや、僕から何を引き出すつもりだ?」
意外と鋭いことを言うローガンに、セシリアは少し彼のことを見直した。
とはいえ、正直に答えるはずもないだろう。
セシリアとエルヴィスの狙いは、冤罪をかけられたアデラインの名誉回復、そして元凶から罪の事実を引き出すことである。
「信じてもらえないのも、無理からぬことです。私も、まさかこの世に一目惚れなどというものが本当に存在するなど、そのときまで信じておりませんでした。ですが、セシリア姫に一目お会いしたとき、運命の鐘が鳴り響くのを聞いたのです。この気持ち、真実の愛を貫いた殿下ならご理解くださると信じております」
「あ……ああ……」
とうとうと愛を語るエルヴィスの勢いに押され、ローガンは怯みながら頷く。
よくぞこうも情熱的に語れるものだと思いつつ、セシリアは何も口に出すことなく、恥じらうように目を伏せるだけだ。
「私は臆病者です。愛しい方を手に入れるため、利用できるものは何でも利用することにためらいはありません。幸いにして、私にはローズブレイド公爵という身分と財産があります。殿下のお力にもなれるかと」
「うーん……つまり、ローズブレイド公爵は、僕のために力を振るうこともいとわないと?」
「はい、ひいてはセシリア姫のためにもなりますから。愛しい方のためなら何でもして差し上げたいという気持ちは、殿下もよくご存知かと」
エルヴィスの言葉に、ローガンは考え込む。
いくら薄っぺらい真実の愛とやらでも、いっときはそれが本物だとローガンも思っていたはずだ。
そのときの気持ちを思い出しているのか、それともその気持ちはやがて薄れゆくものだと考えているのか、それはセシリアにはわからなかった。
「……しかし、公はその……僕のかつての婚約者の弟だったはず。その件に関して、わだかまりはないのか?」
探るように、ローガンがエルヴィスに尋ねる。
ややおどおどとしたローガンとは対照的に、エルヴィスは平然としたままだ。
「残念ながら、姉は我が家の名誉を傷付けました。姉によって失われた名誉を回復するためにも、殿下にお力添えすることは道理にかなっているかと存じます」
心にもないであろうことを、エルヴィスはいかにも真実であるかのように述べる。セシリアが見ても、何の揺らぎもうかがえなかった。
彼の決意がそれだけ固いことを示しているようで、セシリアは胸の奥にわずかな痛みを覚える。
「そ……そうか……公は道理をわきまえた方のようだ。それに、よく考えればセシリアは僕の娘だ。年頃になれば魅力が花開くのも当然のことか。真実の愛によって生まれた娘だものな、うんうん」
あからさまにほっとした様子で、ローガンは一人頷く。
しかも、セシリアに対する評価までがらりと変えたようで、セシリアは呆れる。
「そうだな……隣国王の妃も悪くないが、話が正式にまとまったわけではない。それよりも、これほど望んでくれている公の元に嫁ぐほうが、セシリアにとって幸せだろう」
いかにもセシリアのことを考えているかのような台詞だが、そこに重みは感じられないと、セシリアは冷めた目でローガンを見つめる。
おそらく、自分から差し出すのと、相手から望まれるのとでは、どちらがより自分にとって有益かといった、損得勘定の結果だろう。
さらに、ローガンからしてみれば、国内での立場を強化したいはずだ。十三番目の側妃にしかなれない隣国王と、国内有数の大貴族であるローズブレイド公爵を秤にかければ、後者に大きく傾くだろう。
「よし、わかった。二人の婚約を認めよう。隣国王には断りを入れておく」
ローガンは上機嫌で、重々しく頷く。
無事にその言葉が聞けたことで、セシリアはほっとする。
あとは婚約誓約書に署名をして神殿に提出すれば、正式に婚約だ。
「それにしても、まさか公とセシリアがこのような仲になるとは思いもしなかった。もしかしたら、あの女が死んだのは、こうなるための運命だったのかもしれないな」
ところが、浮かれてしまったのか、ローガンが過去の触れてはいけない出来事を盛大に掘り返した。
何を言い出すのだと焦りながら、セシリアはエルヴィスの様子をうかがう。
彼は穏やかな微笑みをたたえたままだったが、目は笑っていない。
「あの女が生きていれば、もしかしたらローズブレイド公爵を継いでいたのはあの女だったかもしれない。僕に捨てられたことでやけになって、他の男に簡単に言い寄るくらいだから、素性の知れぬ赤子が……」
調子に乗って、ローガンはべらべらとくだらないことを喋り出す。
アデラインに対する侮辱は腹立たしいのだが、それよりもセシリアはエルヴィスのことが気がかりだった。
姉のことを敬愛しすぎているエルヴィスが、姉に対する侮辱を聞かされることによる心痛はいかほどのものだろうか。
これまでの態度を見る限り、エルヴィスの自制心はかなり強いようだが、いつまでも耐えられるとは限らない。
「そのあたりで……」
たとえローガンの機嫌を損ねても、いい加減に止めるべきだと判断して、セシリアは口を開きかける。
だが、廊下から騒がしい声が聞こえてきて、ローガンもセシリアも思わず口をつぐんだ。
「殿下、殿下はどちらにいらっしゃるの!?」
甲高い叫び声と共に、扉が開かれた。
そこに現れたのは、王太子妃であるヘレナだった。
「……え?」
しかし、ヘレナの姿を見て、ローガンもセシリアも、エルヴィスさえもが固まってしまう。
やせ細って、実際の年齢以上に老けて見えるヘレナだが、その身に纏っているのは学園の制服だったのだ。
艶のなくなったストロベリーブロンドには、大きな赤いリボンも飾られている。
それは、アデラインの記憶にもあるヘレナの格好だった。
三十代半ばになったヘレナが、おそらく彼女が最も輝いていたであろう十代の頃の服装で、立っていたのだ。