11.賭け
隣国ローバリーのケヴィンという名は、前世の記憶にある。
アデラインが婚約を破棄されたとき、しゃしゃり出てきて、場をより混乱させたのがローバリーの王子ケヴィンだった。
それまでアデラインとろくに話したこともないのに、突然求婚してきたのだ。
隣国と通じているという疑いをかけられる要因となり、そのために懺悔の塔に送られてしまったので、印象はとても悪い。
前世の記憶が戻ってからもろくに思い出すことはなく、隣国がどうなっているのかを調べもしなかったが、どうやら王になっていたようだ。
しかも、ローガンは好色王と言いかけていた。
側妃が十二人もいるようだが、それは好色と言われても仕方がない。
アデラインに求婚してきたのも、そういった性質の持ち主だったからなのだろう。
「……ケヴィン王……の側妃……?」
思わずセシリアから零れた声は、震えていた。
前世でろくでもないことをされた上に、側妃が十二人もいるという、決して歓迎できる相手ではない。
だが、相手そのものに対する問題だけなら、ここまで焦りはしなかっただろう。
隣国に嫁ぐというということは、ローガンとヘレナの罪を暴くことが極めて困難になる。
しかも、学園卒業までの猶予すらない。すぐに学園を辞めて隣国に嫁げというのだ。
「側妃といっても、我が国における愛妾とは違い、れっきとした妃だ。正妃はまだいないそうなので、お前が目指せ。期待はしていないが、少しくらい役に立ってみせろ」
身勝手なローガンの言葉に、あっけにとられるセシリアだが、最初の衝撃がおさまってくると、ふつふつと怒りがこみあげてくる。
しかし、ここで感情的に反抗するのは得策ではないだろう。
妥協を引き出すしかない。
「……せめて婚約に留めて、学園を卒業するまでお待ちいただけませんか?」
「三年も待てるか。今すぐ、後ろ盾が必要なんだ。お前のような出来損ない、国内では欲しがる上位貴族なんていないからな。隣国のケヴィン王に感謝しろ」
後ろ盾が必要なのはローガンの都合に過ぎない。
セシリアを欲しがる上位貴族がいないというのも、ローガンとの繋がりに利点を感じられないからだろう。いくらセシリアが出来損ない扱いだろうと、もしローガンが王太子として確固たる地位を築いていれば、あやかろうと寄ってくる者はいたはずだ。
もっとも、仮にローガンが力ある王太子として君臨していた場合、今さら後ろ盾を得ようと奔走する必要などなかっただろうが。
つまり、悪いのは全てローガン本人であるはずなのに、セシリアに罪をなすりつけ、あまつさえ感謝を迫ってくるなど、度し難い。
前世のことだけではなく、セシリアに対する罪もいつか償わせてやろうと心に刻んで、怒りを押さえつける。
「……現在唯一の王女を十三番目の側妃として出すなど、見くびられる要因になるのではありませんか?」
現在、この国に王女はセシリアただ一人である。
王家は男子が生まれやすい家系らしく、歴史を見ても女子の数は少ない。
しかし、王位継承は男子優先のため、女子が少ないことは問題となっていなかった。
「それはお前が出来損ないだから、そんな立場にしかならないんだろうが! 十三番目が嫌なら、正妃を目指せばいいだけだ!」
「そうではなく……」
声を荒げるローガンを眺めながら、セシリアは何もわかっていないとため息をつきたくなってくる。
セシリア個人の問題ではなく、王太子であるローガンが唯一の娘を十三番目の側妃として差し出すことが、どういった受け取られ方をするか、考えが及ばないようだ。
この国が隣国の属国扱いというのならばともかく、対等とされる国同士なのだ。
後ろ盾を得ようとへりくだり、必死になっているようにしか見えないだろう。
結局は自分が嘲笑の対象となるのに、気付いていない。
「それほど十三番目の側妃が嫌だというのなら、お前が後ろ盾となる相手を見つけてこい! まあ、お前ごときにそんなことができるわけがないけれどな! だから、おとなしく親の言うことをきいていればいいんだ!」
そう吐き捨てると、ローガンは苛立ったように席を立って、部屋を出て行った。
残されたセシリアは盛大なため息をつくと、部屋の空気が汚れてしまったような気がするので、窓を大きく開ける。
穏やかな風が窓から入ってきて、セシリアはようやく呼吸ができたようなさわやかさを覚えながら、深く息を吸い込む。
「やっぱり、話が通じないわね……」
そう独りごちる。
前世からローガンのことは愚かだと思っていたが、年齢を重ねて賢くなるどころか、物わかりの悪さに拍車がかかっているだけのようだ。
アデラインが彼と結婚していれば、おそらく長い苦悩の日々が続いていたのだろう。
それを思えば、婚約を破棄されてすぐに命を失ってしまったことすら、不幸中の幸いのように感じられてしまうのが、恐ろしい。
「このままでは、目的を果たせなくなってしまうわ……何か良い方法は……」
あの聞く耳を持たない様子からして、すぐに学園を辞めさせられ、十三番目の側妃として隣国に送られてしまうことになるだろう。
罪を暴くという目的のため、それだけは絶対に避けたい。
しかし、まともに説得は無理だろう。それができるのなら、今の会話ももう少し実りあるものだったはずだ。
それならば、別に後ろ盾となる相手を見つけるしかない。
国内の有力貴族たちを、セシリアは思い浮かべる。
だが、どれもセシリアとはまともに接点がない。学園の同級生にそういった家の娘はいるが、協力を得られるほどの信頼関係は築けていない。
これからの三年間で少しずつ構築していくはずだったのだ。今の段階では、セシリアには何の人脈も存在しない。
「こうなったら、もう……賭けだけれど……」
セシリアの頭には、ある名前が思い浮かぶ。
間違いなく、後ろ盾となり得るだけの力を持つ。しかしながら、おそらくローガンに対して悪感情を抱き、後ろ盾になってくれるとは考えられない相手だ。
セシリアの話など、まともに聞いてもらえるとは、普通ならば思えないだろう。頭がおかしいと一蹴されるかもしれない。
そもそも、前世の記憶が蘇ったときに一度は力を借りようと考えた相手だが、すぐに却下したのだ。
「……エルヴィス」
セシリアの唇からこぼれたのは、前世の義弟にして、現在はおそらく自分を仇の娘と認識しているであろう相手、ローズブレイド公爵エルヴィスの名だった。
すっかり見違え、辛酸をなめてきたであろう彼は、もう前世の記憶とは別人と思ってもよいだろう。
しかし、一瞬だけ見せてくれた懐かしい瞳に賭けてみようと、セシリアは一人頷いた。