06
この国の召喚術と治癒魔法では、私の持病の喘息は治しきれていないみたいだ。
だったら吸入薬が終わると、私も終わる?
セスのいう生きる道は、短いようだ。
なんだ全ては発作の頻度と喘息薬の残量次第ということか、気が楽になった。
昨夜と今朝の吸入薬が抜けたにも関わらず、2吸入で発作が落ち着いた事を考えると、この世界の気候・気圧は、私には適しているのかもしれない。昨日、かけてくれたという治癒魔法の効果も多少あるのかもしれない。
でも、吸入薬は必須だろう。
吸入薬の残量は、あと58吸入とおまけ数回だ……。この吸入薬は、朝夜に予防として各2吸入、発作時2吸入、原則1日8吸入を上限とし処方されている。
私の場合、平時の吸入や服薬を怠ると大きい発作がきて、ステロイド点滴と酸素に繋がれる事になる。
どんなに調子が良くても毎日、二種類の吸入薬と抗アレルギー錠剤を欠かさなかった。
それでも天候や体調不良や過度なストレスによって軽い喘息発作が起こる。その際の対処法方を指示され、対処薬を渡されていた。
今、手元にあるのは、この吸入薬のみ。
身体が15歳の時に戻って、気道が細くなった? 15歳の時は、成人時より喘息は軽かったはずだ。15歳のとき、この吸入薬は開発されなかったはずだ。
あ~、主治医に相談したい。
災害時に備えて、家と職場に吸入薬や錠剤のストックがあるのに!
仮に主治医に相談できてもストックがあっても戻れないんだ……。
現実にもどろう。
万が一、長期受診が困難で手持ちの薬が減ってきた時……医師はどうしろと教えてくれた? 記憶をたどる。
これからは、予防として朝1吸入、発作時に1吸入で様子をみよう。
規則正しい生活をして、少しでも基礎体力を上げよう。
呼吸と気分を安定させるため、イヤホンをしケータイで曲を聴き始めた。
今後、元気に過ごせるのは吸入薬の残量から2か月程度、その後は薬なしで運よくもっても……1年は難しいという未来を嚙みしめた。
チョコレートの国での盗難事件を思い出した。
あの時、移住を見送った理由に薬や病院の手配が絡んでいた。
あっ、午前中に考えてすぐ止めた、三選択肢!
なんとしても帰還の方法を探す。
ここでの生き方を模索する。
いっそ一回死んでみる。
なんだか、その答えが出た気がする。
帰還を考えるには、時間と体力が足りない、止めよう。
一回死んでみるも消えた、そんなことしなくても早めに逝けそう。
生き方を模索するが、残った。
言葉が通じ、衣食住は保証され、先々を見据える必要が無さげ……いける!
現状維持! という答えが出て模索は終了した。
喘息の事は、今はまだ秘密にしよう。
セスには、私を看取ってもらおう。
それで召喚の罪を清算しましょう。
穏やかな最期のために、怒りや憎しみを封印しよう。
※
今日のローズとの会話で、ローズの分析力には驚いた。そのうえで、彼女は自分の思いを述べてくれた。強い負の感情を持ちながらも声を荒げず、今後の展望を述べ布石を打ち始めた。
その姿・眼差し・声だけでなく、布石の緻密さに神々しさを覚えた。償いたい気持とは別に仕えたい気持ちが湧いた。ローズ様と呼びたかった。
ローズが咳をして喉を鳴らす少し前から、私の喉も不快だった。
真綿で静かに首を絞められるような閉塞感、ローズが喉を鳴らし始めたときには、私は息苦しさに襲われた。攻撃魔法の気配は無かった。
誰にも助けを求めずに、咳を堪えようとするローズの姿は弱々しい。
神々しい面と、か弱い少女の面をみた瞬間、ローズを守りたい気持ちになった。
ああ、僕のか弱い女神がお望みなら「ローズ」と呼ぼう。
ローズは、私の治癒魔法も医師の診察も望まないと強く主張した。一人で静かにしていれば治まると言った。10分おきのサリの入室確認を条件にローズを一人にした。
サリによると、ローズの顔色は悪く、横にならずに座って静かにしている。しばらくすると香り高い紅茶を欲しがったそうだ。
その後、静かにしていると報告が続いたが……。
「お嬢様は、静かにしていらっしゃいます。
ただ……外を眺め始めてからは、こちらのお声がけにも反応していただけなくて、どうしたものでしょうか?」
不安そうにサリが告げに来た、私はすぐにローズの部屋へと向かった。
開いている扉を軽くノックしても反応がない。
私は部屋に入った。
椅子に座り外を眺めているローズの背が見えた。
声をかけてもこちらの気配に気づかず、私はローズに近寄った。
※
咳も治まり呼吸が戻った私は、音楽を聴きながら、タブレットを起動しデータの削除を始めた。仕事で使った文書や資料のファイルデータが溜まっていた。
帰還はできない、ちょっとした終活で古い順にデータ削除を始めた。
紅茶を飲みながら好きな音楽を聴き、タブレットをいじっていると、自分の部屋にいる錯覚に陥り、幸せを感じる。
視界の端に動く人影が……。片耳のイヤホンをはずした。
「……セス様」
「ローズ、話せそうですか? 顔色がまだ良くないですね」
「ご迷惑をおかけしました、もう落ち着きました」
「ローズ、よくある事なのですか?」
「急な咳はよくあります、一人で静かにしていると治るのです」
呼び方がローズになった……。
「ローズは、何をしていたのですか?」
「タブレットのデータを片付けていました。動作確認も兼ねて、仕事上の不要になった文書を削除しています」
「それは、記録装置のようなものですか?」
「はい。文字も音も写真も動画も記録できます」
私は、録画ボタンをタップした。
「セス様、質問させてください。セス様の事をセス様と呼ぶ方は他にいますか?」
「いませんが、セスと呼んでください。私は、ローズと呼びましたよ」
面倒な人だ……。
「私は、エトランジェにすぎません。私だけがセス様と呼ばせていただいているならば、何らかの関係性を周囲に示すことができ、かつ失礼にあたらないので最善と思います」
「ローズの本当の名前をおしえてもらえませんか?」
「私は、今までの名前を封印してローズとして生きてみようと思います。ローズとお呼びください、きれいな名前をありがとうございます。……これぐらいで?」
私は停止ボタンをタップし、動画の再生ボタンをタップしセスにみせた。
直前のやり取りが再生された。
「これは!?」
「短い時間ですが録画したものの再生です。ネット回線が無い現環境でも文書作成・録音・録画はできます」
「魔術や魔石を使ってもこれだけの機能をこの薄い板一枚に収めることは不可能です。ローズのいた世界では、当たり前のようにこの板を国民が使って生活をしていたのですか? 」
「ノートパソコンを含めるとかなり普及していたかと……」
「ローズは、高次元な文明を持つ世界に住んでいたのですね」
「高次元……? 異世界召喚できるこちらの世界もすごいですよ。私はこちらの世界をよく知らないので比べようもありませんが……魔術か科学、分岐の違いにすぎないのでは」
「その耳に付けているのは何ですか?」
「イヤホンです、音を外に漏らさず音楽を聴くものです、どうぞ……」
「音が迫ってきます。手に持っているのもタブレットですか、小さいですね」
「これは、携帯電話です。私はケータイとかスマホと言っています。始めは遠隔地との音声通話のために作られたものですが、今はタブレット同様に多機能です。……どちらも電源が無くなれば使えなくなります」
「えっ、電源とは……?」
そこから、タブレットとスマホについて質問攻めにあった。
深い質問になり私が答えられなくなると、廃棄する文書の内容を知りたいと説明を求められ、写真や動画を見たいと懇願された……。
セスとの会話で気が紛れた、とりあえず呼び方問題は解決したようだ。
穏やかな最期のために、怒りや憎しみと一緒に名前も封印しよう。