1話~家出宣言~
僕がどんな悪い事をしたんだ? 生まれてきたことが罪だとでも言うのか?
ただこの家に生まれて、何の才能も無いというだけで周りからため息をつかれた。
好きでこんな風に生まれた訳じゃない。好きでこんな家に生まれた訳じゃないのに!
父さんは僕をヒューイック家とは認めないと言ってきた。
母さんは僕に何も言ってくれない。僕を無視して存在しない人間のように扱う。
兄さんは僕を見下している。良い人ぶって毎日のように構ってくるが僕には分かる。
姉さんは僕を心底嫌っている。「才能が無いのに努力もしない。ただのクズね」と言われた。
妹は本と魔法の事以外には無関心だ。彼女の魔法の才能が羨ましい。
何故神は僕をこんな所に生んだ? 何故僕に魔法の才能を少しでもくれなかった?
もういやだ。消え去りたい。でも僕はどこにも行けない。この小さな部屋でただ死んでいくだけだ。
メイドが運んで来るご飯を食べて、メイドに呼ばれて風呂に入って、そして何もせずにベッドの上で時間を浪費する毎日。
死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。怖い。
そして僕は今日も眠りに落ちた。
それが僕の最後だった。
夢を見た。長い夢を。僕ではない僕の夢を。
中学生の時、父と母が交通事故で他界した。周りは「子供たちだけ取り残されて可哀想だ」と言った。僕は首を傾げた。僕は自分を可哀想だと思っていなかったからだ。僕にはまだ家族が4人もいた。可愛い弟と妹たちがいるから、僕は全然可哀想なんかじゃなかった。みんながいるんだから、可哀想な筈がないんだ。
両親が亡くなり、多少の貯金があったので当面は問題無かったが、今後弟妹達をしっかり育てる為に僕は働く事を決意して中学校に行くことを止めた。周りは「まだ中学生なのにそんな決断は可哀想だ」と言った。僕は笑った。家族の為になる事をしようとしているのだと笑った。僕は全然可哀想なんかじゃなかった。皆の為に僕は生きるんだ。
親戚の人たちが僕たちを引き取ると言ってくれた。子供だけで生活なんて可哀想だと言った。「離れ離れにはなるけど、いつでも会えるから大丈夫だ」。ありがたい申し出だったが僕は拒絶した。「僕たちは家族です。両親がいなくなった今、弟妹達には僕が必要です」。親戚の人たちは連絡先を置いて帰っていった。最後に「現実は厳しい」と言われたが、僕は彼らを笑顔で見送った。僕が頑張れば良いだけの事なんだ、厳しい現実なんて家族の事を思えば何てことは無いんだ。
父親のツテを辿り、アクションスタントの仕事を始めることができた。僕は幸運だった。幼い頃から運動神経が良く身体を動かすのが好きだったので、それをアピールしたら将来性を買ってもらえた。僕の状況を見て融通を利かせてくれていることが良く分かった、僕はそれに感謝して必ず役に立つ事を誓った。頑張って恩返しをしなければならない。
楽しい日々だった。皆良い人たちで、僕が頑張れば頑張るほど褒めてくれる。出来ることが増えるたびに「天才だ」とか「逸材だ」なんて言ってくれる。もっと頑張ろう。弟妹達が幸せに暮らしていけるように。もっともっと頑張ろう。
そして、その日は突然やってきた。特別な日なんかではない。仕事をしようと位置についた時、セットの一部が崩れてきた。僕はそれを咄嗟に避けたのだが、地面をバウンドした何かが僕の腹部に当たった。そして舞台から勢いよく落ちてしまった。そこから先の記憶は曖昧だ、苦しみと痛みだけが僕を支配していた。
ただ僕にも気づく事はあった。赤崎 正樹は今日、終わるのだと。ただ、絶望は不思議と無かった。死の直前まで残される家族たちの幸福を祈っていたのだ。
「帰らなきゃ!」
僕は跳び起きるように目覚めたつもりだったが、実際には身体はまったく動いていなかった。
それもそのはずだ。僕にはまったく信じられない事だが、レイドがこの部屋に篭ってから既に2年も経っている。明らかな運動不足だ。
辺りを見渡してため息をつく。帰らなきゃ、か……今の僕に何か出来る事はあるだろうか?
しかし、長い長い夢だったが僕は自分の過去……と言うよりも前世? を取り戻すことができた。
レイド・フォン・ヒューイック、それが今の僕の名だ。ヒューイック侯爵家に次男として生を受けた貴族である。レイドとして10年間を過ごしていた悪夢の日々の記憶もしっかりとある。
周りから落ちこぼれの烙印を貼られそれからひたすら逃げ続けていたが、思い返すととても新鮮な体験だった。変な事で悩んでいたものだ、と他人事のように思ってしまうのは、僕が根っからのポジティブ人間だからだろう。
今は昨日までの鬱屈とした感情は綺麗さっぱり消え失せている。
改めて今の自分を確認してみるが、本当にバカバカしい話だ。
魔法……この世界ではそんなファンタジーが当然のように存在し、特に貴族は脈々と魔法使いの血を継承し続けている事もあって優秀な魔法使いになる事が殆ど義務付けられていた。ヒューイック家も当然その家系だ。
しかし、代々世に名を遺す魔法使いを排出してきた名門貴族であるヒューイック家に生まれた次男であるレイドには、魔法の才能がまるで無かった。簡単な魔法ですらまるで使えない事実は、両親からの関心を無くすのには十分だった。
レイドは深く傷つき、才能の無い自分を呪い、才能のある周囲を呪い、そしてこの世界と神を呪いながら過ごしていた。
それも今は昔だ。今の自分には何の関係も無い。今の僕はレイドの記憶がある正樹だという自覚をしている。そもそも一つの物事に向いてないから役立たずだ、なんて言われる筋合いなんて無いだろう、レイド?
とにかく考えは纏まった。とりあえず起きる為に身体を起こそうとしてみる。ここ2年ほどは自室とトイレ、時折風呂に行くくらいの活動範囲で、食っちゃ寝生活を続けていたのだ、運動不足のこの身体を上手く動かせるようにしなければならない。
やや肥満気味のこの身体は、筋肉が衰えていて立ち上がる事すら重労働に感じた。それがどうにも妙な感覚で僕は笑おうとしたが、喉が掠れていて上手く声がでなかった。最近ちゃんと声を出した事は無かった所で、目覚めに大声をあげたもんだから声帯をやられてしまったらしい。貧弱な身体だ。
この身体を思いっきり動かしたくなってきた。ベッドから出てクローゼットを開ける。動きやすい服は無いかと探したが、ヒラヒラとした薄い服だったり装飾品が重そうな服ばかりだ。仕方ないので一番軽い服に着替える事にする。
着替え終わった所で、部屋の扉がコンコンと叩かれた。殆ど間を置かずに「失礼します」と扉が開けられる。
「おはようござ……お坊ちゃま?」
入ってきたメイドさんは、僕を見て固まった。
僕は咳払いをして笑って応える。
「おはよう」
「あ……お、おはようございます。今朝は早いですね」
初めて本物のメイドさんを見た。いや、毎日見てたはずなんだけど……本当に不思議な感覚だなぁ。
平静を取り戻したメイドさんが部屋に入って来ると、美味しそうな匂いが部屋中に充満した。持っているお盆の上にはパンやスープが乗っている。
「朝食、わざわざ運んできてくれてありがとう、いつもごめんね」
「えっ!?」
お礼を言っただけなのにメイドさんは目を丸くして驚く。
僕はクスッと笑って部屋から出ようとした。
「後で食べるから、机の上に置いておいてね」
「お坊ちゃま、どこへ!?」
「ああ、ちょっと運動でもしようかなと」
広い屋敷を散策しながら外に出て、大きく伸びをした。外は快晴。久しぶりに浴びる日の光で目がやられそうになる。周りは森に囲まれていて、鳥の鳴き声が響いている。空気も美味しくて良い場所だなぁ。
気分も上がって来たので早速準備運動を始める。数年ぶりにまともに動かす身体だ、慎重にやらないと動けなくなるだろう。
ところが……。
「……嘘でしょ?」
準備運動の段階でもうこれ以上無理というように身体の節々が悲鳴を上げていた。数年越しの運動不足を侮り過ぎていたらしい。
仕方ない……多少無茶をしてでも慣らしていくしかないな。
そうやる気になったところで、聞き慣れた声が聞こえた。
「レイド?」
「ああ、えーと……」
そこにいたのは高身長の金髪美男子で、確か兄の……リュースだったかな?
色んな意味で久しぶり過ぎて忘れていたけど、レイドには兄と姉と妹がいる。僕以外のきょうだい達は優秀で、レイドにはそれがとても気に喰わなかった。
このリュースはきょうだいの中でも特に優秀だ。炎・雷・光の魔法を扱うことができ、昔それで大騒ぎになった事があったような記憶がある。確か魔法は生まれた時にどの属性の魔法を使えるかが決まっていて、優れた魔法使いは二つの属性が使えるのだが、三つの属性を扱える人間は歴史的に見ても存在しない……とかだったかな。
リュースは周りからの期待を受けて、それで驕る事はなく剣の訓練もしていた。そして剣術でも才能を見出し熟練の騎士を圧倒、更に更に性格も非常に良くて常にレイドの事を気にしてくれていた。物語に出てきそうな完璧な人間だ。
レイドにとっては因縁のある相手というか、才能のあるリュースが自分に構ってくるのを嫌味のように感じていた。
もっとも本人をこうして見てみてよくわかったが、彼からは何の悪意も感じられない。
リュースは僕を見て笑みを浮かべた。
「おはよう。どうしたんだこんな朝早くに? 随分疲れているようだが」
「おはよう兄さん。随分運動不足だったから、身体を鍛えようかなと思ってね」
「なに? ……そう、なのか? そうか、ようやく……ようやく一歩を踏み出す気になったんだな! 我が弟よ!」
汗だくの僕にお構いなくリュースは僕を強く抱きしめてきた。驚いてされるがままになる。
しかし何となく彼の気持ちは理解できた。僕にもこういう経験があったのだ。弟の恭一が学校でイジメられていると聞いたとき、何とかしようと動いたが恭一は塞ぎ込んでしまい、結局すべてを解決してくれたのは時間だけだった。
僕はリュースの背中をポンポンと優しく叩いた。
「兄さん、汚れるよ」
「そんなことはどうでも良いんだ。レイド、いつか必ず立ち直ってくれると信じていた。運動なら僕も付き合おう」
「それは嬉しいんだけど……」
僕は自分の震える膝を指さす。リュースは笑った。
「まずは基礎体力からだな」
それから、リュース曰く「新人トレーニングメニュー・基礎編」を彼の手を借りながらゆっくりとこなしていった。基礎とはいえ中々厳しい運動だと思ったが、以前はもっときついトレーニングをしていたのと運動が大好きだったので、精神的にはそれほど苦ではなかった。問題は肉体面だけだな……。
地面に寝転がって荒い息を吐いている僕にリュースは優しく言った。
「焦る必要は無いさ、ゆっくり解決していけばいい。僕も一緒に……ああ、そうだ僕は春から学園だったな……あと一月しかないがなに、時間はいくらでもある。さ、朝食にしよう」
「そういえば、部屋に持ってきてもらってるんだった。戻るよ」
「一緒に食べるのは……まだ難しいか?」
そう言われてナチュラルに一緒に食べるという考えが頭から抜けている自分に笑った。
もうすっかりスープも冷めてしまっているだろうし、わざわざ別れて食べる理由も今は無い。さっきのメイドさんには悪いけどリュースの提案を受け入れよう。
「いや、大丈夫だよ。一緒に食べよっか」
「え!? あ、ああ……お前、本当に変わったな。いや、勿論良い意味でね」
時折小さく金属がぶつかる音が響くだけの静かな朝食、僕は黙々と料理を口に運んでいた。僕の記憶にある騒がしくも楽しい朝食の光景とはかけ離れている。その原因が僕にあるので文句も言えない。
食堂に入った時、父が僕を見るなり忌々しそうな顔をして、母はそんな父の様子を窺って僕には触れようとしなかった。そして姉のロイスの視線が時折刺さって来て、リュースは重苦しい空気で閉口してしまう。時折何か言おうとはしていた。
僕もどうしたものかと考えてはみたが、今は流れに身を任せる事にしてみた。
そうして黙っていると、とうとう沈黙に耐えられなくなった最初の一人となったロイスは、トンと机を指で叩いた。
「あなた、どういうつもり? 今更よくも顔を見せられたわね」
「自分でもそう思うよ」
開口一番に非難の言葉を浴びせられて、驚いて瞬時にそう返してしまう。
レイドとしても1年ぶりに会話するので忘れていたが、記憶の中にあるロイスは中々にキツイ性格だった。自分に厳しく他人にも厳しい。上昇志向が強いロイスは優秀な人間を好み、レイドのような無能力者を蔑む。ロイス自身も当然優秀で、雷と水の魔法を使える上にリュースと同じく剣の腕も鍛えている。
ロイスは僕の態度が気に喰わなかったの、目をキッと細めて威圧してくる。
「本当に愚かね。魔法も使えない上に塞ぎ込んで周りに迷惑ばかりかけて、今は平然とここにいる。あなたなんのために生きてるの?」
「おいロイス! そこまで言う事は無いだろう!」
リュースが止めに入ってくれたがロイスは止まらない。
いつもの事なのか両親は口を挟まない。妹のレイムも慣れたように小さくため息をつくだけだ。
「リュース、あなたはこいつに甘すぎるわ。こんな奴にいつまでも時間を割いて、いつか私に追い越されて泣く事になるのはあなたよ?」
「それとこれとは話が別だ。せっかく未来を生きる覚悟を決めたレイドをわざわざ傷つける必要があるのか?」
庇ってくれるのはありがたいが、喧嘩をしてほしくて黙っていた訳ではない。
今後ここで生活していくにあたって関係修復すべきなのは間違い無いので、僕は声をあげた。
「僕は大丈夫だから落ち着いてよ兄さん。それに姉さんの言う通りだと僕も思う。魔法を使えないくらいで引きこもって何もしないで、自堕落な生活をしていた僕が全面的に悪いから。魔法が人間のすべてじゃないってもっと早く分かればよかったよね」
自分としては至極真っ当な事を言ったつもりだったのだが、何故かリュースとロイスは顔を強張らせた。レイムまで驚いたように僕を見ている。
そして、ドンッ! と父が突然机を叩いた。
「今のは……どういう意味だ?」
「今のとは?」
「魔法が人間のすべてじゃない、とお前は言ったな?」
「はい。たかが魔法を使えないというだけで、何もかもに絶望していた自分が愚かだったと」
「たかが魔法……? 貴様、気でも狂ったか?」
父の怒りがどんどん強くなっていくのを肌で感じるが、何に怒っているのかはよく分からない。
「いえ、魔法使いにはなれないのでしたら、自分に向いている仕事を探せば良いのになぁと思っただけですが」
これは僕の本音だ。自分の記憶を取り戻して目覚めた時に、魔法が使えないくらいで何故こんなに無気力になっていたんだろう? と思っていた。
そもそも魔法が存在する世界とは言っても、実際に魔法を使える人間はこの国の人口の1割程度である。つまり残りの9割は普通に生活しているのだ。
「僕は身体を動かすのが好きなので、そうですね……騎士でも目指してみようかなと思っています」
「ふざけているのか? おい、これはリュースの入れ知恵か?」
「いえ、僕は何も。レイドが自ら前を向いてくれた結果です、父さん」
リュースは誇らしそうにそう言うが、父は深くため息を吐いて舌打ちをした。
「……いいか、レイド。貴様はヒューイック家の歴史で初めてで唯一の汚点だ。何の存在価値も無いお前を、長年育ててやったのは外聞の為だ。貴様を外に出す気は無い、お前は一生引きこもっていろ。これは命令だ。これ以上私に恥をかかせるな」
「父さん!? なんてことを言うんですか!」
あまりにもとんでもない事を言われて、ハンマーで頭をガツンと叩かれたような衝撃が僕の身体に走った。今自分が言われた事の意味を理解するまでに数秒ほどもかかってしまった。
ゆっくりと父の言葉を噛みしめて、そして僕はこう言った。
「なるほど、よく理解しました。それでは今日限りで、この家から出て行くことにします」
修正や訂正をしながら進めていきます。
よければ評価やアドバイスなどよろしくお願いします。