§1 高校生活の始まり
<梅枝七海(16歳)>
中学3年生の時静岡の中学校に転校し、進学校の静波東高校に入学。文芸部に入り、東京の大学を目指す。ショートカットだった髪を伸ばし、制服のスカートを短めにして、軽い反抗期に差し掛かっている。
中間テストが終わった6月の初め、文芸部の部室で梅枝七海と部長の赤西亮伍が話をしていた。梅雨に入ろうとするこの時期は、蒸し暑さで座っていても噴き出してくる汗が不快に感じられた。既に夏服に替わっていたが、七海はブラウスのリボンを外し、暑さをしのいでいた。
「先輩は、どんな本が好きですか?推理小説とか純文学とかですか?」
「僕は恋愛ものが好きで、特に女流作家の小説をよく読むよ。」
七海はノートをうちわ代わりにあおぎながら、
「意外ですね、私もラブコメとかよりも、本格的な恋愛小説が好きです。」と言って、読んだ本の感想を述べ合った。
七海は静岡の中学校に転校になり、中3の1年間を金島中学校で過ごした。小学校の時から転校には慣れており、新しい学校にもすぐに馴染んで友だちもできた。元の学校でやっていた陸上部には入らず、週に1回しか活動しない英語部に入った。
私の転校前の中学校は東京郊外にあって、田舎の学校だと思っていたが、ここはもっと田舎で、生徒も純粋というか幼稚な子たちが多かった。休み時間には男子が女子のスカートめくりをしたり、女子同士で胸を触り合ったりして騒いでいた。男女の間に、好きとか嫌いとかはあるらしいが、付き合ってどうこうというのは無さそうだ。前の中学校で行った男女交際のアンケートを思い出したが、キスをした経験があるかと質問したら、おそらく0%に近いだろうと思った。そんな環境は私にとって好都合で、目標を持って勉強に集中できた。
七海は進学校として名の知れた静波東高校に合格した。中学2年で交際していた立松千宙に手紙で別れを告げられ、大学は東京に行くのだという志を持って勉強に励んだ。
私は千宙君をいつまでも忘れられず、辛い別れを強いた父親を恨んだ事もあった。しかし、彼からの別れの言葉の中のひとつに、私は望みを托していた。それは、再会する機会があって、その時に好きな人がいなければ付き合いたいというものだった。3年後の自分がどうなのか、私にも彼にも恋人がいて、現実味のない事だと分かっていたが、その言葉にすがっていた。
第1志望の高校に入学した七海は、陸上部にも他の運動部にも関心がなく、勉強に支障のなさそうな文芸部を選んだ。女子の部員が7名に、部長の赤西を除いた男子の幽霊部員が数名いるだけの部活だった。活動は文化祭に向けて文芸誌を発行する事で、詩や短編小説、エッセイなどを掲載する。普段の放課後に部室に集まる事は滅多になく、赤西部長と時間を持て余している七海が寄るぐらいであった。
部長は受験を控えていて、最近は部室に来る回数が減っていた。いかにも真面目そうだが、眼鏡の奥から見つめて来る眼差しに最初はドキッとした。今では大分慣れてきて、逆に見つめてほしいと思う時さえある。好きだとかいう感情ではなく、ただここで話をするのが楽しくて、一緒にいると心が落ち着く存在だった。