24. 一生分楽しむという希望
「ディア、街に入ったよ」
ヴァレイドルが握った手に少し力を入れてディオリーゼに呼びかける。
それと同時に馬車が少し揺れて地面が変わったことを伝える。
先ほどまでのドキドキも忘れて、ディオリーゼは目を輝かせた。
公爵夫妻は、自分たちの娘がどれほど可愛らしいか理解していたので、ディオリーゼを街に連れて行くのは危険だと判断していた。
大きくなったらしっかり護衛をつけて街で買い物や観劇を楽しめるようにしてあげたいと考えていたが、実際にはディオリーゼは5歳で王宮に行くことになったので、その機会はなかった。
王宮に入ってからも外出するような用事はほとんどなかった。
何度か馬車でヴァレイドルと出かけることはあったが、湖や美しい花畑へ景色を見に行くためで、有名店や街のように人の多いところへ出かけたことはなかった。
ディオリーゼの中で〈街〉とは、本に描かれる文字や絵に過ぎなかった。
しかし、その〈街〉が、今ディオリーゼの眼前に広がっている。
「わあ…!」
賑やかな喧噪。
飲食店や雑貨店の呼び込みの声。
様々な店が好き勝手に飾った陳列棚。
肌をじりじりと照り付ける日光。
いくつもの食品の混ざった風が鼻孔をくすぐり、
街の中心にある噴水で遊ぶ子供たちのはしゃぐ声がディオリーゼのもとまで届く。
どれもが王宮にはないものだった。
キラキラと目を輝かせるディオリーゼの顔にそっと影がかかる。
ディオリーゼが顔を上げると可愛らしい日傘を差しだしたヴァレイドルの見下ろす瞳と目が合った。
「行こうか、ディア」
悪戯な笑みを浮かべるヴァレイドル。
つられるようにディオリーゼも破顔した。
「ええ、行きましょう。ヴァル」
街にいる間は、仕事に追われる王弟ヴァレイドルと隙一つ見せられない公爵令嬢ディオリーゼでなくていい。
肩書も何もないただのヴァルとただのディアとして過ごせる。
いつもはいない周囲の人々が気になったが、それに気を取られて我慢してしまうのはもったいない。
王族や貴族の目がないだけで万々歳。
開き直った少女は強い。
馬車の中で脱いだ帽子はそのままヴァレイドルに預け、ヴァレイドルの差し出す日傘の陰に体を滑り込ませる。
するりとヴァレイドルの腕に自らの腕を絡ませると、美しく微笑んだ。
そのまま振り返らずにヴァレイドルを引っ張る。
初めての街も初めての〈デート〉も一日では満足できないほどにたくさんのやってみたい事に溢れている。
いつまでも馬車の傍に立つだけで時間を無駄にしてはいられない。
夕飯までに部屋に戻って着替えておかないと〈お忍びデート〉のことがばれてしまう。
もしもばれてしまったら、ディオリーゼの護衛は強化され、〈デート〉はおろか街に来ることさえ出来なくなってしまうだろう。
もしもばれてしまった時のために、ディオリーゼは一生分楽しむことを決めていた。
5年間、王宮でいい子にしていたディオリーゼはここにはいない。
ここにいるのは、大好きな人の腕を掴んで街中を引きずり回してしまうようなわがままな女の子、ディアだ。
さあ、最高の〈お忍びデート〉をしましょう。




