19. お忍び観光は子女の希望
「ヴァル様!早くー!」
ヴァレイドルの私室のソファに寝転がり、行儀悪く足をばたばたと上下するディオリーゼの目線の先には、私服に着替えるヴァレイドルの姿がある。
「はいはい。もう終わるよ」
ヴァレイドルが着替えている服は、普段着ているものとは比べ物にならないほど質が低い。
布やボタンの素材もそうだが、何より縫製が甘い。
王族どころか貴族も着ないような質だ。
しかし、最近、貴族の間ではこの服と似た質の服が非常に流行している。
というのも、貴族の子女たちの間で〈お忍び観光〉が流行しているからだ。
基本的に貴族が街に行くことはまずない。
ドレスやスーツはデザイナーと針子を屋敷に呼んでオーダーメイドで作らせるのが一般的であるし、
宝石やアクセサリー、小物なども各専門店が客の好みに合わせた商品を持って会いに来る。
街で人気の甘味などは使用人に買いに行かせる。
自らが出向く必要などないのだ。
観劇のために劇場に出向くものもいるが、劇場までは家の馬車を使用するため、途中で買い物をする等という事もない。
そのため、街にどのような店があり、どのような商品が売られているかを知る貴族は非常に少なかった。
近しい距離に住んでいても街の中身については一切知らないと言ってもいい。
そこで、好奇心旺盛な若い貴族の子女の間で〈自分の屋敷に近い街にこっそり出かける〉という遊びが流行した。
質の低い服を着て、護衛をつけずに、平民のふりをして街中を歩く。
街で流行の洋菓子店で食事をし、人気の服屋でドレスやスーツを仕立てる。
人気の服屋は街に店を構えているが、売っている商品の大半は平民にとっては、とても手が出る代物ではなく、顧客は裕福な商人か貴族に限定される。
そのため、仕立てている服自体は普段購入しているものと何ら変わりないが、〈自らが店まで足を運ぶ〉という新鮮さが、貴族の子女たちを興奮させた。
中でも、屋敷でのお茶か庭園への散歩といった行為に飽き飽きしていた年若い婚約者たちは、2人きりで街へ抜け出す〈お忍びデート〉を楽しんでいた。
護衛をつけずに2人きりで出かけること、こっそり手を繋ぐこと、デートについては2人の秘密にすること…
そのすべてが若い婚約者たちを盛り上げる。
実際には、完全なるお忍びで街に出かけられる者はほとんどおらず、親に知られて使用人をつけられたり、こっそりと後ろに護衛が控えていたりする。
店にも事前に連絡がいっており、安全面への配慮がされている。
しかし、普段と違う服装で普段と違うことをするだけで、好奇心は満たされる。
そんな話を聞いたディオリーゼは、すぐさまヴァレイドルにお願いした。
一緒に街にお忍びデートに行きたい、と。




