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ユウトピア

――1988年、春――




「転校には慣れてるんだっけ?」


 地方都市の女子校に転校した初日、私はおなじみの質問攻めにあった。最初は、がっちりした筋肉質の男の先生だ。


「はい。4回目です。父がよく転勤するもので……」


  先生と私。二人しかいない閑散とした廊下に、私の通った声が響いた。我ながらよく響いている。


「じゃあすぐに新しいクラスとも打ち解けられそうだ」


  語尾に笑いを交えながら、先生は言った。野太く硬い響き。


「そうですかね。まあ、仮に仲良くなってもまたどうせすぐに転校しちゃうから寂しい思いをすることになるんですよね……」


「あはは……。それは確かにつらいな。さて、本田恵果ほんだけいかさんだっけ?」


「はい」


「教室に入る前にこの学校の約束事というかルールのようなものを教えておくよ。一回しか言わないからしっかり聞くように」


「はい、なんですか?」


 約束事? 校則か何かの類だろうか。


「この学校ではいじめや不平等をなくし、生徒全員が平等に生活できるように、必ず弱者である少数者の意見を取り入れなければならないという規則になっているんだ」


 一度言われただけでは、わからない。観念的なものではなく、具体的に知りたい。


「つまり、どういうことですか?」


「つまりだ。君が、もしいじめられたり、いじめを見たりしたらすぐに手をあげてクラス全体に報告してほしい」


 なるほど。


「わかりました。いい学校ですね、先生」


 私はとびっきりの笑顔を振りまいてやった。端正な顔立ちの私にはこれが武器になることを知っている。男だろうが、女だろうが。


「それじゃあ、教室に入ろうか」


 先生が野太い声でそういうと、私は教室に連れられた。


☆☆☆


 えらく閑散としたクラスだった。壁に掲示物が一つもなく、すべてがグレーに染められていた。白い机と椅子だけが淡く存在感を示している。それはそうと机が7個しかない。しょぼい。


 私が突っ立っていると先生が教壇に立ち、朝の「儀式」が始まった。


「起立。礼」


 委員長らしきおさげの生徒がそういうと、全員が一斉に立ち


「おはようございます」


と頭を下げ、委員長の


「着席」


の声で一斉に席に着いた。


 私はとりあえず頭だけ下げてみた。この時点でクラスの視線は私に集まっている。


「おはようみんな。今日はなんと転校生がいます」


 先生が野太い声で言う。落ち着いた雰囲気のクラスと生徒の中で少し異端に感じる。その声と同時に全員の拍手に私は包まれていた。


「じゃあ、本田さん。自己紹介をして」


 先生の声に続き、私は黒板の前に出た。緊張と程遠い、慣れ親しんだ習慣のようなものだ。とりあえず笑顔を振りまいてみるか。


「山梨から来ました、本田恵果ほんだけいかです。すぐ転校しちゃうかもしれませんが、仲良くしてください」


 私は知っている。父がまた転勤してしまう事くらい。だからこんな断りを入れた。すぐに全員が再び拍手をする。


「じゃあ本田さん。空いてる席へ」


「はい」


 入ってきた時に一番後ろの席が空いているとわかっていたので、私は迷わずそこに腰かけた。ちょうどさっき声を出してたおさげ委員長の隣だ。


「私、クラス委員の長谷部眞子はせべまこ。よろしく」


 おさげは予想通り委員長だった。振り返り握手を求めてきた。


「こちらこそよろしく」


「うちのクラス7人しかいないからすぐに顔も覚えられると思うわ」


 彼女は見た目も性格も、声の響き具合までも委員長だ。私は迷わず握手を交わした。こういうタイプは、嫌いじゃない。


 彼女の言葉通り、私はすぐに全員の顔と名前を覚え、クラスに馴染むことができた。そんなある日、事件は起こった……。






―5月29日 日直 円藤―




「じゃあ、先週の続きから今日はやるぞ。教科書、48ページ」


 それは昼過ぎの五時間目。国語の授業だった。私も含めみんな眠気と戦っているのだろう。とても静かだ。


「まどちゃん、昨日のドラマみた?」


 例外の生徒が一人いる。内田梓うちだあずさ。クラスメイト達は「うっちー」と呼んでいる。明るく元気で活発な性格。そんな彼女のわずかなささやき声が静かな教室に染みだした。どうやら隣の生徒に話しかけたらしい。


「ううん、見忘れちゃって。どんなだった?」


 そう答えたのは円藤えんどうまどか。クラスメイト達は「まどちゃん」と呼ぶ。彼女は両足がなく、車いすに腰掛けている。


「それがね。まさかあんなとこであんなことになるなんて……」


 二人のささやきはやがて静かな教室に大きな染みを作っていく。見かねた委員長の長谷部がその染みを消そうとする。


「うっちー、まどちゃん。静かに」


すぐに二人は、


「ごめん……」


と囁くように謝る。


「じゃあ長谷部、読んで」


「あ、はい」 


 先生の野太い声での指名に長谷部は教科書を開き、物語の続きを朗読する。再び眠気が私を襲った。それくらい退屈な光景。長谷部の声以外はなにも聞こえない。


「うっちー、やっぱ気になる」


 だがその沈黙を破る声が聞こえた。円藤が内田に話しかけたのだ。二人はそのままひそひそ話をし始める。


 長谷部は教科書を読んでいるため注意ができない。私は注意する気なんてならなかった。だって、なんかだるいし。


 やがて長谷部が教科書を読み終えて席についた。必然的に前の席の内田が先生に指名された。


「じゃ次、内田」


「え、はい。……まどちゃん何ページかわかる?」


「ごめん、私もわかんない」


「なんだ聞いてないのか」


 まるで知っているかのように、先生が内田を咎める。しかし内田は


「だって、先生の授業つまんないもん」


と、そんなことお構いなしの様子だ。これには先生はシカトをきめこむ。


「じゃあ次を永友。読んで」


「はい」


 今あてられたのは、永友祐子ながともゆうこ。太っていることを気にしているらしい。私に言わせれば、女子校であるこの学校でそんなこと気にしても無駄。それに、痩せたとこでそこまで変わんない。


 しかしこのクラスは田舎だけだって女子力がみんな低いな。前住んでた山梨とは比べものにもならない。東京に近いし。そんな中で、目を落とすと、内田と円藤のひそひそ話が盛り上がりを迎えているようだ。さすがにうるさい。とりあえず長谷部に言えば何とかなるだろう。


「ねえ眞子ちゃん。うっちーとまどちゃんうるさすぎない?」


「まあね。でも注意してもなおらないのよ。特にうっちーはね」


 予想外の答え。委員長のくせに。


「そろそろ停学になってもおかしくなくない?」


 長谷部とは反対の隣から話に割り込んできたのは、岡崎葉月おかざきはずき。オシャレキャラらしいが、私にいわせればただの田舎のギャル。


「確かに、まずいわね。でも停学の判断を下すのは学校だから……」


 停学? 確かに円藤と内田が停学になってくれればそれはそれで……。しかしどうしてあんなにもぺちゃくちゃ喋れるのだろうか。私には理解できない。先生も先生で、あの程度の生徒も注意できないとか。だが、先生が内田の横を通り過ぎると、思いがけないことが起こった。


「痛った!」


 わざとらしい声が教室に響いた。ふと見ると、内田が頭を押さえている。先生が名簿で内田の頭を叩いたのだ。即座に内田は先生を睨んだ。しかし先生は


「じゃあそこまで、次、前田、読んで」


と完全に無視をした。


「痛かったんですけど。しかもなんで私だけぇ……」


 内田の不満そうな声が教室に響く。語尾をのばした嫌味な響きで。


 私はぼーっとその様子を眺める。このまま授業が止まんないかな。すると私の期待通りの事態が起こった。内田の隣の席の円藤が黙って手を挙げたのだった。


「どうした? 円藤」


 先生が不思議そうに聞く。さっきの内田の出来事などなかったかのようなそぶりだ。


「これって体罰じゃないんですか? それに内田さんだけ叩いて、私は叩かないんですか? これって差別ですよね?」


 車いすだから立つことはできないのだろうか、円藤は座りながらもかなり大きな声で言った。内田とは違うはきはきとした響きだ。


「じ、自業自得だろ。それに内田の声のほうがうるさかったからだ。わかったら授業続けるぞ」


 先生はそれだけ応戦して、授業を続けようとした。とっさに、円藤が怒鳴る。


「先生!」


 今度は語尾を短くした、怒りが混じったような響きだ。正直、私は驚いた。優等生かと思ってたけど、意外とやるじゃん。


 それでも先生は気にも止めず、授業を続けようとする。


「……今日の日直が誰なのかってことくらい、わかってるくせに」


 今度は冷静に円藤が言った。それは語尾を徐々に小さくした、不気味な響きだった。


 日直? そういえば今日の日直は円藤だ。それがどうかしたのか? このときの私には、まだ何もわからなかった。ただ先生の生唾を飲み込む仕草だけは、見えてしまった。


『2年3組、川島先生。職員室まできてください』


 不意に、通ったアナウンスの声が聞こえた。これは校内放送だ。


「先生?」


 円藤が先生のほうを向いてつぶやいた。だが、依然として冷静だった。


「み、みんな、ちょっと自習しててくれ。先生は職員室に行ってくる。長谷部、あとは任せた」


「……わかりました」


 教室を任された長谷部は何故か悲しげだ。やがて先生は急ぎ足で教室を後にした。


「先生、どうかしたの?」


 私は気になって隣の岡崎に聞いてみた。だが、彼女は黙り込んでいる。すると、意外な人物から返答が返ってきた。


「すぐにわかるよ」


 そう言ったのは円藤だった。その声は冷たく不気味に響いていた。


 今思えば、これがすべての始まりだった……。

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