第51話 決闘3
「ひぐぅ!?」
「っく!?」
切羽詰まった、息を吸い込むような悲鳴は月影からだった。
そして、ギリと歯を食いしばった先に漏れ出した声は神楽の物だ。
三日月を描くように月影へと迫った剣は、しかし首を掠める寸前で通り過ぎる。月影の、なりふり構わぬ全力の後退だった。
その無茶な後退は足を二度三度もつれさせ、あまりにも無防備な姿を晒す。それは絶好のチャンスだった。
しかし、神楽は決めったと思ってしまったのだろう。一撃目に引きずられて体のバランスを崩す。
「やああああああああああああああ!」
腹の奥から絞り出すような気炎を上げつつ無理をして二撃目を放つが、それは引き戻された肉厚なレイピアによって防がれた。
月影の動揺は収まっていないが、目の焦点の合わない状態でよく合わせる。センスが良い。
神楽は果敢に攻め続ける。それを防ぐ月影の表情は後悔か、興奮か、苛立ちか、恐怖か。歯をむき出しにした凄絶な表情だった。
アタシ達側からは神楽の表情は見えないが、攻め続ける神楽はどういう表情をしているのだろうか。
互いに足がもつれる事も増え、剣を振るう速度も落ちている。
しかし、場に満ちる揺らめくほどの熱気は少しも落ちてはいない。
場は神楽優勢に進むが、月影も隙とあらば反撃を繰り返す。
今まで一番激しい剣戟音が響き渡り続ける。外野のざわめきもかき消すかのようだった。
「ふざ、けないで……! どうして貴女が……!」
「何が!」
「貴女が、貴女が側に居るからっ!」
二人の声は、お互いがぶつかり合う音にかき消されつつも聞こえてくる。
「貴女、が! いなければ、メルベリ様は! 完璧になれるのっ! 貴女のような不完全な者さえいなければっ!」
「!?」
月影からの反撃は、守りの中から突き出された。
その一撃は月影の激情に合わせるかのように、速く鋭い。蛇が獲物に飛びつくように放れた。
何名かの生徒が、これは決まったなというように笑った。
思わず息を飲む。あれを神楽が捌くのは流石に無理だと思った。
隣のフィオからも感心するような声があがり、だがゼン様は静かに神楽を見続ける。
だが。
「だったら……!」
見ているこちらかでも、神楽が、ギラりとした気配を放ったのを感じ取った。まるで、その一撃が来ることが知っているかのような反応速度で腕が動く。
見計らったかのように下段から剣が跳ねる。
踏み込み。
避けるわけでもない。防ぐわけでもない。飛び込んで来た蛇を腹部から食い破るような掬い上げ。
神楽が向かい打つように放ったその一閃は、何処かで見たことがあるような、既視感を伴った一閃だった。
思い出すように眉を顰めるオリヴィア・メルベリに対して、香月院ゼンとフィオレンティーノ・ジャイルズ、そして月影キンコにはその既視感の正体がわかった。
「あ――――」
月影は、今までの激情の全てが抜け落ちて、ただその剣筋を眺める。
何度かひっそりと見たことがある、彼女が崇拝してやまない人物の剣筋と瓜二つだった。
「私はッ!」
瞬間、風切音と、キィンという冷たい音が響き、何かが宙を舞った。
それは、月影キンコのレイピアだった。
全員の目を引き付けて宙を舞うレイピアは、そのまま硬質な音を立てて地面へと浅く突き刺さった。
決まった。審判の学生が判断を下そうとした――――その瞬間だった。
「魔獣だあああ!」
その叫び声と、多くの悲鳴が響く。
それは、普段から外へと開け放たれていた大きな扉の向こう側――――外からだった。
◆ ◆ ◆
模擬戦場に居た全員が扉の向こう側を見た。
そこには、逃げる学生達と、立ち向かおうとする学生に向かっていく、巨大な魔獣が一瞬横切って見えた。魔獣の上半身は見えないほど大きい。息も絶え絶えとした学生が模擬戦場に流れ込むと倒れるように息を吸う。
誰もが呆然とそれを見ている中、ふっと冷たい空気が傍を通る。
「全員剣を取れ! 敵だ!」
その美しくも芯が通った声が響き渡ると同時、冷気を纏いながら外へと飛び出していくゼン様の後ろ姿が見えた。外から悲鳴が聞こえた時点で駆け出していたのだろう。瞬時に外に出ていった。
その声に上級生達が我に返ると、慌ただしく駆け走っていく。
下級生たちも外に出ようとしたが、しかし、ここには手ぶらに来ているものが大半だった。
次に声を上げたのはフィオだった。
「武器を持っていない者は倉庫から剣を取ってくるんだっ! 急いで!」
その声に従って、戸惑っていた学生達が倉庫へと群がっていく。
フィオの元へ、汗だくとなった学生が外から走りこんできた。
「何が起きてるの」
「ま、魔獣です! 突然森の方から大量に現れて学園に向かってきています!」
「規模は?」
「ゴブリンとナーガ……それに、クラーケンドッグにサイクロプスも居ます! 他、何種か見かけていますが、同定は出来てませんっ!」
「はぁ!? サイクロプス!? じゃあ、さっき見かけたあのデカブツは……!」
そうフィオが叫んだ瞬間だった。
ドン、と外から湿った音が響き渡る。扉の外から見えていた巨大な魔獣は今は見えない。しかし、巨大な生物が、大質量を地面に叩きつけた音だった。
サイクロプス。それは、一つ目の人の数倍も丈がある人型魔獣。
学生達が押し殺したような悲鳴を上げる。
舌打ちすると、矢次に指示を飛ばす。
「太陽守護のメンバーを集めて! 3名見繕って寮に戻っている学生達にいち早く警告を!」
「それは既に、先ほど香月院さんが月光騎士に指示を……」
「まぁそれくらいは出すよね、アイツは……!」
そんなフィオを横目に、神楽へと近づき、声を掛ける。
「神楽!」
月影とは異なる理由で呆然と外を見ていた神楽は、その声に我に返ったようだった。
誰もこちらに注目していない。
神楽の前にいる月影もただ、胸のペンダントを握りしめ、下を向いてうわごとのように呟き続けている。ちょっと……いやかなり怖い。表情は見えないけれど、瞳孔全部開いてそう。
誰も聞いちゃいないだろうと、言葉使いを雑にする。
「よく頑張ったね、神楽」
「はぁ、はぁ……オリヴィアさん……はい、はい!」
「よしよし」
嬉しそうに返事をしたので頭を撫でれば、かなりの熱を持っている。それに声には疲れの様子が見えるし、息も上がっている。
「アタシは迎撃に向かうわ。貴女は休んでいなさい」
「私も……!」
「疲れた体じゃ怪我するだけだよ。今は、体力回復に少しでも努めなさいって」
「……はい」
「よし。じゃあ、行ってくるから、待ってなさいよ」
とりあえず、剣を持って走り出そうとする神楽を押しとどめると、アタシも倉庫へと向かい、雑に剣を取り出すと外へと向かって走り出す。
模擬戦場内では、下級生の女子生徒が身を寄せ合って不安そうにしていたり、室内に入ってこないように男子生徒達が扉を見張っている。
横に気配を感じて見れば、フィオが併走していた。
「部下への指示はよろしくって?」
「一通り出したからね。状況はまずそうだ」
「大将が前線に出て良いのかしら」
「僕は太陽守護で一番強いから良いんだよ」
肩を竦めるフィオをチラ見してから、眉間にしわを寄せた。
記憶の中で、少なくともイジメイベントではこんな事は起こらなかった。
イジメを潰してしまった代わりの代替イベント程度の認識だったが、やはりそう簡単にはならないらしい。
とりあえず、ゼン様やフィオとの仲は結果的に深まったし、神楽も誰かに立ち向かえるほど強くなったという意味ではシナリオ通りという事にしておきたい。
「ままならない物ね……」
「魔獣は僕たちの事なんて構っちゃいないからね――――本当にただの魔獣だけなら、ね」
フィオと共に、模擬戦場の外へと飛び出した。
次の更新は土曜日予定です。




