第43話 vs盗人
その声を聞いた瞬間、奥に目を向ければ、鞄を手に駆け出している男と、倒れて男に向けて叫んでいる女性の姿。
それを目撃した瞬間にはもう駆け出していた。
一瞬だけ遅れて、後ろのメンツが「え? え!?」と戸惑いながら走り出した気配を感じる。
クソ、この世界にもひったくりはやっぱりあるのね! と内心で毒づく。
というか、考えてみれば泥棒はこの世界の方が多そうだ。
ちなみにヨルム王国では捕まると見せしめと鞭打ちだ。このことを知った時はもっと過酷な状況から脱出した時だったので動揺が無かったのが何とも悲しい所である。閑話休題。窃盗も酷ければ公開処刑と、ここら辺は全く現代とはかけ離れている。多分、乙女ゲーにあるまじき領域なので、設定だけ用意して特に公開していなかった部分なんだと思う。
「アイツが私の荷物! ひったくり!」
「捕まえてきます!」
「お願い!」
倒れた女性がこちらを見ると、必死の形相で拙くも伝えてくる。それに即応して更に速度を上げる。
伊達に戦闘訓練をやっているアタシ達ではなく、みるみるうちに距離が詰まる。
この道は生活路なのだろう。大通りと違って地面の多くは固められた土だし、三人が横並びになって動けるなら上等、大部分は木箱や壺が積まれていて快適に動けるとはほど遠い。
走っているとちらちらと日が遮られる。真上にロープに繋がっており、洗濯物が広がっているからだ。
そんな住人達の道であるこの場所を走っているものの、ある時点から離されていく感覚。というのも……。
「また曲がった!? 土地勘があるのね……!」
先陣を切って走るアタシは土地勘が全くない。
対して向こうはここを知り尽くしているのだろう、走っていると突如あっちこっちの路地へと迷い無く逃げる。
そうすると動揺と共に一瞬判断に迷ったりしてしまい、歯がみする……そんなアタシの横に、狭い路地でも横に接近してくる人物が。
「メリっち!」
「長月!?」
目をぱちくりさせる間もなく続けて言葉が放たれる。
「私が前に出るよ!」
「……! お願いしますわ!」
「まっかせて!」
一瞬だけ長月が速度を上げるとそのまま先頭に出る。
犯人と対峙した際の事を考えてアタシが前の方がとも思ったが、このままでは逃げられてしまう以上、その直ぐ後ろに控える。
その甲斐あってか、徐々に離されていた距離が詰まっていく。
あちらの疲労もあるのだろう。チラチラと振り返る男の表情には疲れが見える気がした。
対して、こっちはまだまだ走れる。粘り続ければ確実に勝つ。
「右!」
「そこ左曲がってまた右!」
「下り坂だから気をつけて! 段差!」
等と声を上げる長月の動きに迷いは無く、声による指示もあって後続のアタシ達も速度を落とすこと無く走り続ける。
というか、本当に迷い無く、動揺も無く走り続けていて凄い。
ヨルム王国の生まれの人ってみんなこんな複雑な路地を全部把握してるんだろうか。
「――――大通りに出るよっ! アイツこれ以上この路地で逃げ切れないと悟ったみたい!」
「大通り!? それって逆に危険なんじゃないの、トオコ! 相手が武器持ってたら……!」
「くっ!」
「メリっち!?」
一気に力を入れて追い抜くと、男の背中に追いつくために全力を出した。足は本格的に鍛えている人と比べれば決して速い方ではないけれど、これぐらいならっ!
大通りには人が多い。もしアイツが武器を隠し持っていたら、ヤケを起こしたらどうなるかっ!
相手が路地から飛び出る。即座に続けてアタシも同様に飛び出した。
路地の側はテラスのように外が見えるレストランであり、人通りも多い。
食事をしていた老夫婦が、人が飛び出した事に驚いたように、こちらに視線を向けていた。
すぅと声を吸うと、叫んだ。
「と、ま、れえええええええええええ!」
その声に男がギョッとしてバランスを崩し、しかし転けるまではいかず、慌てて振り返って足を止めた。それと同時、服の中に空いている片手を這わせた。
「さ、さっきから、何だよお前らはぁ!?」
「――――返しなさい、あの女性から奪った鞄を!」
「自警団でもねぇのに邪魔なんだよぉお前ら!」
「きゃぁ!」
最後の悲鳴はアタシのじゃ無い。
果たして、懸念は実現となった。金属が擦れ合うような音がシャンと響いた直後には、相手は大型のナイフを抜いていた。脇の下に入れておくには物騒な長さのナイフは、刃が欠けていたりうっすらと錆びていて、ただの飾りでも無さそうだった。
対するこちらは無手のまま。素手でも……後れを取ることは無いかもしれないが、間違いをゼロにするためにも何でも良いから止められる物が一つは欲しい。
迷っている時間は無い。一秒が過ぎる毎にこちらの有利にはなるが、誰を傷つけるのが一番効率的かを考える時間を一秒でも与えてしまうのが惜しい。
ちらりと脇のテーブルにあった、未使用のフォーク。これでいいか。
「ちょっと失礼」
硬直している老夫婦に一声掛けるとフォークを握って猛然と走り込む!
「ハッ! 無手で迫ってくるなんて間抜けな女が!」
「オリヴィアさん!?」
クラリッサの悲鳴が聞こえた気がしたが、気にせず相手の間合いへと一気に踏み込むと、向こうから何かが飛んでくる。盗んだ鞄だった。ソレを潜るようにして走りぬける。
くぐったと同時、相手が振りかぶったナイフを上段から一気に振り下ろしてくる!
その軌跡とタイミングを見計らって右手を伸ばす。戸惑いや躊躇は無かった。
「死ねオラァ!」
「……!」
周囲から上がる悲鳴に被せるように、キィンという音が響く。
笑っていた盗人が、不思議そうになり、ついで驚愕の表情へと移っていく様子が見えた。
「ふ、フォークだと……!」
大型のナイフは、小さなフォークによって食い止められていた。
キリキリという音が響き続ける。相手がナイフを力任せに通そうとし、それをフォークを斜めにして全力で押さえ込んでいる音。
見えないステータスが存在するこの世界ならではの、大の男の腕力を女子学生が押さえ込むという不自然な場面。戦闘能力の如実な格差がそこにはあった。
「なっ、化け物「お喋りはここまで」っぐっがあ!!!」
ガラ空きとなった脇腹にえぐりこむような左ボディブローを叩き込み、下がった顎に続けてアッパーを叩き込むと、白目を剥いて後ろへと吹き飛んだ。
確実に意識を奪った手応えがある。
落ち着いてから、ナイフが落ちないようフォークの先端で絡め取っていたのを取る。
じっくりと見れば、ずしりとした重さにブランドも刻まれている上等なナイフ。正しく手入れされていればフォークの切断も出来たかも知れない。もっともそうだとしても、最初に獲物を見た時点で更に搦め手を入れていたけれど。相手は、元は真っ当な魔森林の開拓者なのかもしれない、と思わせる武器だった。
「だ、大丈夫ですかオリヴィアさん!」
「メリっち!」
後ろから、焦ったような友人達の声と足音が聞こえてくる。
「――――大丈夫、無傷ですわ」
乱れた髪にさっと手を通し、安心させるように振り返って笑えば、緊張を滲ませていた彼女達の顔から笑顔が溢れる。
静まり返った大通りにざわめきと歓声が響き渡るまで、そう時間は掛からなかった。
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