第35話 休日の始まりと保険医
静かな朝だった。
カーテンから零れる日の光が差し込む様子が更に静音を際立たせていると感じる程だ。
ローテーブルを挟むように置かれている一人用のソファにぼすんと座る――明確に決めたわけじゃないけれど、お互いのベッドがある側のソファを神楽とアタシで分けている感じだ――と、手紙をぺらりと眺める。
内容は朝からゼン様とフィオと訓練をするというものだった。一緒に起きられなくてすみませんとも書いてあるのが神楽らしかった。
「……そうえばここに来て初めてかも。誰もいない朝なんて」
しかし、あの男性二人と神楽は体力が違いすぎるけれど、どれくらいやるつもりなんだろう。
学園最強であるエンペラーであるゼン様は勿論、フィオも物語途中から閃光のジャイルズという二つ名を得るほどの実力派で、ゼン様を倒すと息巻けるフィオの言葉は伊達ではない。
「今日はどうしようか……」
街に買い物をしに行くという気分では無いし、かといって寮に居続けるのも面白くない。
「とりあえず、朝練でもしてから学園かなぁ」
神楽もいることだし。
街の外に出てゼン様達とピクニックのような軽い冒険に出るのはまだ少し先のイベントだったはず。
その際は是非とも付いていき、後ろでのんびりと原作キャラ達を鑑賞していたい。
今日の神楽は、模擬戦が安全に出来る神殿……のような校舎でも借りてるのだろう。あそこが借りられる設備なのか知らないけど。
「さて……と」
何時もなら外で軽く鍛錬を行うのだけれど、神楽もいないのだし、部屋の中で自前の、頑丈なだけの剣を取り出す。
研ぎに出そうにも研ぎ師が匙を投げる特別製だ。雑に手軽に扱えるけれど手軽にメンテが出来ない微妙な塩梅だ。
「そうえば漫画みたいな訓練ってやってみたかったのよね」
某ヒューマノイ〇タイフーンを思い浮かべながらコップを……自分のコップが無かったので、適当に備え付けの物をきょろきょろと探し回ったのだった。
◆ ◆ ◆
汗だくになった休日日課の朝練後、体を寮母さんからもらった水とタオルで綺麗に拭いてから学園へと向かう。漫画の修行方法を舐めていた。出来たと喜ぶのは良いけれど、アレを続けられるのはやはり怪物級な人に限ると深く心に刻み込む。
寮を出て学園に向かっている最中には飲食店以外はあまり無い。ここが危険な地域であることに変わりが無いからだ。ここに店を構えている人達は精神が図太い。
馬車の往復便の場所には、暇そうに御者がベンチに座っている。こちらを見つけて乗るのか? という仕草をしたので首を振って断るとまた暇そうに空を眺め出す。馬も近くの草を永遠と食べているのどかな景色だ。高頻度で魔獣が襲ってくる危険な地域ではあるのだけれど。
門をくぐるとだーれも居ない。
まるでアタシ一人だけ取り残されたようだ……と思ってから、ふと耳を傾ける。
時折遠くから笑い声も聞こえるし、校舎に目を向ければ開いている窓からカーテンがはためき、学生の存在が垣間見える。
ふと、恐らく図書室に行けば結構人がいるんじゃなかろうかと考えた。
ここら辺で遊ぶ場所など無いし、時間を潰すために図書室で本を読むというのは至って自然な流れだ。
寮に住んでいる他の学生は、休日は一体どうしてるんだろう?
「おや? 君は……」
何処か記憶に残っている男性の声に振り向く。何となく優しい声色が脳裏をくすぐった。声からして大人の男性だけれど、知り合いに担任以外に居ただろうか……。
そして視界に入る、黒めがねに短く切りそろえている髪。威圧感の無い素朴な表情に、若く、白衣姿の……。
「あ」
思わず間抜けな声が上がってしまったが。
「保険医の……人……ですね?」
名前を呼ぼうとして、一度も名乗られていないことに気がついた。
お陰で喋っている最中に大変失礼な区切り方をしてしまい、ちょっとだけ恥じ入る。
「はは、名乗ってないからね、メルベリさん」
「私の名前はご存じなのですね」
「僕は魔物の襲撃の時に一緒に参加していたからね。あれだけ派手にやっていたんだ、流石に名前ぐらいは聞こえてきたよ」
あぁ、と記憶を遡ると、確かに見かけたような記憶がある。
担任がいて、学園を守っている防衛部がいて、保険医がいたような記憶があるが、やっぱりこの人だったのか。
「それはともかく。僕は星井トウヤというんだ、自己紹介が遅くなって申し訳ないね」
「いえ。こちらこそ、入学式の日に神楽に……友人に手当をしていただいて助かりました。星井さん」
「神楽さんっていうのか、あの怪我していた子は。あの子は元気かな?」
「そうですね……最近、少し騒動に巻き込まれていますが、元気ではあります」
「それは穏やかじゃ無いね……まさか、ファクトメンバー絡みかい?」
久しぶりに聞いたような気もするが、まだ直接的な嫌がらせは受けていない。今のルート選択なら介入は確かにされてなかったし、既定路線だ。
アタシは星井さんの言葉を否定するように首を振る。
それに対して、ふむ、と唸りながら生徒を思い遣るこの人はやっぱりいい人だ。
「保険医の方は休日も出勤なさるんですか?」
「いや、今日は偶々だよ。ここ数日で魔獣の散発的な襲撃があっただろう?」
「そうなんですか? あの襲撃以外に、ですか?」
「そう。もっと小規模な、数体とかそういうね。あれ? てっきり学生の間ではそういう話は共有されてるのかと思ったけど、違ったんだね」
そういう情報は学生側には来ていない。
アタシ達がのんびりと、時に刺激的な学園生活をしている裏でそういう事が起こっている。やっぱりヨルム王国は地獄だぜ! というテンションになりかけたので落ち着こう。
ゲームでは、実は行き帰りに魔獣に襲われるのは無いのでつい油断していたが、自前の剣はやっぱり持っていた方がいいのだろうかと悩む。移動するとき邪魔なのよね、アレ。
あぁ、教室に着いたら置いておけばいいのか。
「それで太陽守護の学生達が怪我をしてしまっていてね。入院しているんだ。勿論、生死に関わるような状態にはなっていないよ」
太陽守護? だから学生間でそういう話があると思っていたのか。フィオは特に何も言っていない。
「太陽守護の学生が? それに入院施設もあるんですか、ここは」
「彼ら、太陽守護に属する学生は、この学園を守る防衛部よりも、更に外側や放置区域まで見回りに行くからね……。上級生織り交ぜての三人一組で見回っているとはいえ、こうして怪我する事はしょっちゅうだ。去年も多くの学生を見たよ。みんな怪我しても元気だね」
学生達が怪我をするような事をしても、それが当然という態度にやはり魔獣を狩るのが国策、ヨルム王国は地獄だぜ。
太陽守護は独自に自分達で学園を守る! と考える学生達の集まりだが、こうして聞くと彼らの活動は相当大変そうだし、続けるのも気力が必要だろうと改めて見直す。
「もう一つの質問に答えようかな。入院施設はあの保険室から繋がっているんだ。別の扉があったのは見えていたかな?」
「……確かに、あったような気がしますわ」
手術室以外に確かに扉があったが、あれは入院棟だったんだ……。学園に入院施設がある乙女ゲーとは一体……。
「まぁそれで、僕らがルーチンを組んで出ている、というわけだ」
「でしたら、お仕事中失礼しました。こうして長々とお話を付き合って頂き、ありがとうございます」
「いや、僕も休憩中だからね。別に気にしなくていいよ」
仕事中の休憩だとしたら、余計に悪いことをしたかなと思うのは元社会人としての名残だろうか……。僅かな休憩時間には自分のしたい事だけをしたい人も多かろう……。
「学園の一生徒として、先生のような素晴らしい方々が居てくださるのは大変ありがいことだと、改めて思いました。何時もありがとうございます」
「よしてよ。困ったな、そう言われるとちょっと照れるな……」
ちょっとだけ照れたように鼻の頭を掻く保険医は、実は女子生徒からモテそうな感じがする。アタシの転生前、学生時代にこんな先生がいたら勘違いした女子高生がストーカーする。絶対する。
優しくて見守ってくれそうな、それでいていざという時に頼りになりそうな人だから、ゲームでアペンドディスクが出たら絶対にルートが存在すると賭けてもいい。
「まぁ今日は入院の学生がいなくても学園には来ていたけどね」
「そうなのですか?」
「うん。模擬戦の申請が出てるときは、保険医は待機しておく決まりなんだよ。今回は入院患者がいるから、まぁ自動的に一緒に見ることになってるんだ」
……。
「それは、重ね重ねありがとうございます……!」
「え!? ちょ、ちょっと待ってよ!? 何でさっきより重々しく感謝の言葉を述べるんだい!?」
それは、だってその申請を出しているのが友人の神楽なので……。
その厄介事に巻き込まれている子なので……。
そう思いながら、アタシは深々とお辞儀をするのだった……。
次の投稿は次の土曜日です! 何時も通りですね!
過去の設定を小説の話から探して引っ張り出すの、大変なんだなぁと思いつつ保険医再登場でした。




