第8話 ギスギスしてますね
――翌日。
「あ、傍多、おはよう」
調理をしている彼方と、テーブルに座っているクロエが、一斉に開いた扉を見た。
「……おはよう。クロエ、どこ行ってるのよ」
「えー?なんで?目覚めたら私がいなくて寂しいってやつ?」
クロエがくすくす笑う。しかし、
「……そうよ。いないから、昨夜は夢だったんじゃないかって心配したわ」
と、恥じらう様子もなく、いつもの平坦な口調で言ってみせるので、クロエの方が顔を赤らめた。
「仲良いことは良いよね……」
と、彼方はその様子を横目で見る。
そして、やがて姿を見せたルガリに、クロエが「お兄ちゃん、おっはよおおお!」と上機嫌で声をかける。その機嫌の良さから、昨夜何があったのかは一目瞭然である。
「ああ」
と、片手を上げたルガリは、彼方の方へとのしのしと歩いてくる。
「彼方、昨夜は――」
「あ、傍多、お皿取ってくれる?上の棚に届かないんだ」
彼方は、ルガリを無視して、傍多に頼み事をする。
「うい」と、傍多が動くと、ルガリとすれ違いざまに、「ひょっとして失敗した?」と声をかけた。
「うん?失敗……なのか?」
次に、ルガリが振り返った頃には、傍多はクロエの正面の席に陣取った後だった。
そのとき、彼方のケータイが鳴りだした。彼方は、音声認識機能で、通話にする。
「彼方か?ルガリ君の採用通知なんだが」
「あ、あれ、本気じゃなかったみたいで……」
「んなことは良いんだよ、とりあえず採用ってことで」
「え、私は?わたしはー?無舵さあん!」
ひょこっと、後ろから口を出すのはクロエである。
「クロエちゃんはまだ学生だろ。学校に行きなさい」
「えー?彼方は良いのに?」
「彼方は特別措置だから」
そこで、彼方は気が気ではなかった。
「ということは、ルガリは僕の補佐になるんでしょうか」
「そういうことだな。良かったな、彼方。弟分ができて」
そう言って無舵は笑ったが、彼方は大きなため息を吐いた。
「無舵さんは断ってくれると思ってたのに……」
「ん?まあ、危険と言われれば危険な仕事だからな。婚約者を危険な目に遭わせたくないのもわかる。が、それで強まる絆もあるだろ」
何も知らない無舵は、そう言ってカカ、と笑ってみせる。
彼方は、嫌そうにルガリを見やった。ルガリも、その音声を聞いていたので、「ありがとうございます」と、またよそ行きの声を出した。
「さて、そんな、急造コンビのルガリ君と彼方に依頼だ。詳しいことは事務所でな」
そう言い残して、無舵は通話を切ったようだった。
「ルガリ、聞いただろ?今日は事務所行ってから現場に行くみたいだから」
一応、ルガリに声をかけたが、その声はどこか硬質だ。しかしルガリは、「わかった」とだけ言って、気に留めないようだった。
「……お兄ちゃんたち、何かあったのかしら?」
クロエが、少し心配そうに二人を見やる。
「何かあったにしろ、何もなかったにしろ、私たちには関係のないことよ」
と、傍多が達観した様子で言った。
「でないと、人間関係、潰れちゃうわよ」
――電車内。
あの後、無舵から依頼されたのは、栃木県T市で見つかった、呪い《まじない》ものの箱の処理だった。なんでも、工事現場で土中を掘り返した際に、箱を見つけ、その中身を見た者が恐ろしさに逃げ出し、工事にならないので供養して欲しいという依頼だった。
「……で、なんで君がそれ持ってるのかな?」
剣道部が竹刀を持っていくような小型の袋に収められているのは、妖刀『無舵丸』の対の刀である、『有舵丸』である。彼方は、本来の持ち主である無舵にいつも預けているが、有舵丸は傍多が通常は持っているはずだった。
「傍多から借りた。後で返せと言われた」
「ふうん」
彼方には、有舵丸を傍多がこの男に託したのがいまいちわからなかった。それほど、傍多は有舵丸を大切にしていたからだ。
ちなみに、彼方も、今日は無舵丸を持っている。有舵丸も無舵丸も、今時の姿に形を変えて、短刀になっているが、もし職務質問でもされたら、どう言い訳をしようかと彼方はいつも悩んでいる。
彼方は、ルガリを見上げた。栗色の髪は、特別に手入れせずともまとまっており、サングラス越しの色素の薄い茶色がかった瞳をしていることを、彼方は知っていた。
今は、彼方とルガリは、T市行きの電車内だ。ちょうどラッシュというほどでもないが、混み始める時間帯だったので、二人ははぐれないようにドア付近に陣取っている。
そのとき、電車が大きく揺れて、多くの人がたたらを踏む。
「うわっ」と小さく悲鳴を上げて、彼方がドアに押しつけられた。……が、圧迫感がない。
それもそのはずで、ルガリが両腕を突っ張って、彼方を抱くような形で潰されないようにしてくれていたのだった。
「大丈夫か?」
そう、ルガリに言われたが、彼方は、一瞬顔を赤らめてから、またすっと表情を消して、
「女性扱いされるのは心外だな」
と、可愛くない口を叩く。
「女性扱いも何も、この混みようでは仕方ないだろう。黙ってそのままでいろ」
そう言われ、彼方は不承不承、それに甘えたのだった。