第7話 kiss kiss kiss
「あ、そういえば傍多」
食事が終わり、彼方が洗った食器を拭きながら言う。
「有舵丸を持って行ってただろ?あれ、下手に扱って弁償とかになったら怖いから、無舵さんに預けておけって言ったのに!危ないよ!」
「ん?うん」
傍多は、バラエティ番組を観ながら、生返事である。彼方は、呆れてそれ以上追求するのを止めた。
代わりに、クロエが興味を示す。
「何々?私たち、今日は彼方の職場見学行ってきたのよ!無舵丸も見せて貰っちゃった!」
「ふうん、そうなんだ」
「……で、有舵丸って、もしかして、傍多の武器?」
「傍多のじゃなくて、元々は無舵さんのだけどね」
彼方が、会話に口を挟む。
「……そういえば、このマンションにも無限に部屋があるわけじゃないから、君たち兄妹は母さんの部屋使ってくれるかな?一番東側なんだけど」
そう、彼方が言うと、
「……そうなのか?」
と、今度はルガリが反応する。
「当たり前だろ!僕は君に襲われかけて、クロエは傍多に襲われたんだから!被害者と加害者が同じ部屋って、何の解決にもならないだろ……やめて、その『お前は何言ってるんだ』って顔!」
彼方がそう宣言すると、傍多とルガリは顔を見合わせて、「何、彼方は怒ってるんだ?」「生理じゃない?」と、早速セクハラ発言をかましていた。
――そして、夜も更けた。
傍多は、自分の部屋で、休んでいた。明日も朝練である。いつも5時半には家を出る傍多は、早寝早起きの習慣を身につけていた。
ふと、傍多が違和感に目を覚ますと、みし、みし、と廊下が鳴っている。
しかし、傍多にとっては、きっと嬉しい予感だと感じていた。
部屋のドアがノックされる。
「傍多……起きてる?」
傍多は、とっさに寝たふりをした。すると、ためらいがちに、ゆっくりとドアが開かれた。
「……傍多……」
そう、鈴の転がるような声で、その人物は部屋に入り、ドアを閉めた。
「……ねえ、起きて?起きないと、私がするわよ?」
声の主は、そう、傍多に呟くと、意を決したように、ゆっくりと、自分の唇を、傍多の唇に合わせようとして……止めた。
「だ、ダメっ。できない……!」
そう、声の主……クロエは、自分の唇を抑えてベッドの脇にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「キスのできない悪魔、か……それって、落ちこぼれよね……」
「私はそうは思わないけど?」
クロエが、はっと気付く前に、傍多の運動神経が勝った。
逃げ出しそうになるクロエの腕をつかみ、布団の中へと引き入れる。
ばさっと……羽毛布団が大きな音を立てた。
クロエは、傍多にのしかかられる体勢で、それでも気丈そうに傍多を見つめる。
「キス、できないのなら、相手からしてもらえば良いのよ」
傍多は、相変わらずの平坦な口調で、そう言った。
クロエの長い髪が、乱れて傍多のベッドに投げ出されている。
「……試してみる?」
クロエは、顔を真っ赤にしながらも、ゆっくりとうなずいた。
傍多は、「それは良いわね。とっても良いわ」とうなずきながら、唇をクロエに寄せた。
チュ、と軽いリップ音をさせて、唇が触れあう。
しかし、傍多はそれでは終わらせず、ちゅ、ちゅ、と何回かクロエの唇を味わった後、ゆっくりと舌を入れてきた。
「んむっ……ん、んー!」
クロエが、傍多の下でばたつくが、傍多は口撃をやめない。
しかし、怖がるクロエが、唇を閉ざしてしまったので、舌が上手く入りにくくなっていた。
「クロエ、怖がらなくて良いわ。キスするだけ。それ以上は何もしないから」
「ぷはっ……で、でも、怖いのよ……。気持ちいいけど、怖い……」
「大丈夫よ。それが普通。ふふっ、気丈に見えても、たとえ悪魔でも、女の子は女の子ね」
傍多は、クロエの痩せた体と、自分の体をこすり合わせるようにして、上へと体を移動させる。
ちゅっ。
そう音を立てて、傍多はクロエの額に、ぎゅっと閉じられたまぶたに、頬に、と、キスの雨を降らせる。
「今日は、これでいいわ。あなたたち、『精気』が必要なんでしょう?」
そう、傍多が言うと、「聞いてたの……」とクロエが目を丸くする。
「確か、悪魔は人間の粘膜や、排出される体液によって精気を吸うのよね。まあ、まだ経験の浅いクロエちゃんは、だから危険だとわかっていても、私の部屋に来ざるを得なかった。抱かれてしまったら抱かれてしまったで、大量の精気を味わうことができるから」
クロエは、恥ずかしそうにうつむいた。この悪魔の妹は、異性とも同性とも、その経験が浅いと見抜かれたままだったのだ。
「……私のこと、変な悪魔だって思う?」
「うん?悪魔は皆、変でしょ?」
その、間の抜けた答えは、ベストアンサーとはいかずとも、クロエの心を和らげることには成功した。
「ふふっ……そうかもね」
傍多は、笑みを浮かべながらそのクロエの表情を見ていると、こつんと、そのおでこに自分の額をくっつけた。
「クロエ……」
「何?」
「……何でもないわ。ふふ」
「変な傍多!」
そう、女同士で至近距離で見つめ合いながら、クスクスと笑い合った。