第14話 君に恋を教えてあげる
彼方が黙々と家事をしている間、女2人はアフタヌーンティーの話題で盛り上がり、ルガリは不気味に沈黙を保っていた。
昼食が終わった後、「じゃあ、出かけてくるわ。後はよろしく」と言葉を残して、女たちは外出し、彼方はルガリと2人きりになった。
しかし、すぐに彼方は、リビングに戻って、テレビを付ける。特に面白い番組や観たい番組があったわけではないが、そうしておかないとルガリと2人きりという事実がのしかかってきて、耐えられなくなりそうだったからだ。
普段は重すぎる沈黙も、テレビの雑音は打ち消してくれる。彼方は、適当にザッピングして、日曜昼のグルメ番組を観ながら、洗濯物を畳み始めた。
洗濯物も、若干湿っている場所もあったが、何かしていないと、ここにいるのが彼方とルガリだけ、ということを強く意識してしまうので、畳んでしまうことにしたのだった。
いつの間にか面白くもないのにテレビに意識を向けていた彼方は、ルガリが側にいることに気付かなかった。
すっと、横から手が差し伸べられる。彼方がはっと気付くと、ルガリは「畳んだものは、持っていく」と言って、彼方の横に置いてあった、畳まれた洗濯物を抱えた。
「あ、ありがとう」
彼方はそう言うと、再びテレビに目をやった。どうせなら、今日も無道の依頼があれば良かったと思ったが、そもそも無道でもルガリとバディを組んでいるので、どっちにしろルガリとは離れられないと思い出す。
ふうっと、彼方はため息を吐き出した。一体何の因果で、悪魔と一つ屋根の下に同居することになって、しかも貞操の危機まで覚えなくてはならないのだろう。いや、男同士の場合、貞操の危機とは言うのだろうか?おそらく、ルガリは彼方を抱くつもりである。世の中にはそういう……男子中学生に欲情するような性癖を持っている輩がいることは知ってはいたが、まさか自分の身に2度もそういう危機が訪れようとは、彼方は思ってはいなかった。
やがて、背後に気配を感じて振り向こうとする前に、すとんと背後の人物は彼方の後ろに座り込んだ。ちょうど、彼方と背中合わせになる形である。
「……俺は、ヘタクソだったか?」
そう、ルガリは、彼方の背に自分の背をぴたりとくっつけて言う。
「ヘタクソだったから、部屋から追い出したのか?俺と目を合わせてくれないのか?」
そこで、彼方は、やっとルガリの視線の意味を知った。ルガリは、「彼方が満足しなかったから、怒らせてしまった」と誤解しているのだ。
「……そういうことじゃないけど。人間はね、ちゃんと恋をして、段階を踏んでからでないと、ああいう行為はしないんだよ」
彼方は、そう告げる。ルガリは、ひゅっと息を呑んだ。
「だが、人間は、これだけ繁栄しているじゃないか。そんなまどろっこしいことをしていて、どうしてこんなに繁栄できるんだ?」
「そりゃあ、繁栄するためによく知らない相手と……その、性交する人もいるだろうけど、別に人間は、繁栄したくて繁栄したわけじゃないよ。多分。普通の人は、そんなこと考えたこともないんじゃないかな」
「?よくわからん。好みの相手と性交したいと思うのは、当たり前じゃないのか?性交したければ、性交した方が得じゃないか」
「損得じゃないんだよ、恋愛感情は」
彼方も、自分が考えたことのない質問をルガリからぶつけられて、考えながら口にする。
「恋愛感情……確か、それも人間にとって大罪だと聞いているんだが」
「ああ、それは仏教だね。仏教は、一つの感情に囚われないための宗教だから。でも、一般人はそんなこと考えてなくても良くて、悟るための修行僧と、悟った後の菩薩がそういう感情を持ってはいけないっていうんだ。でも、悟る前の仏様も、『愛染明王』っていって、愛欲の仏様もいるしね」
そして、ふと、疑問を口にする。
「ねえ。ルガリは、僕のこと、恋愛感情で見てる?」
「うん?……そういえばそうだな。まあ、愛欲の対象としては見ている」
ルガリは、珍しく少し考えてからそう答えた。
「じゃあ、それは恋愛感情?ちゃんと、僕のことが好きで、そういう行為をしたいと思ってるの?どうなの?」
「……よくわからない。ただ、お前が気持ちよくなると、俺も反応するし、今日のように、無視されていると、この辺りが痛い」
と、ルガリは、胸の辺りをとんとんと叩いた。
「そうか……ルガリは、恋をしたことがないんだね」
彼方がそう言うと、ルガリは、今、初めて聞いた言葉のように、「恋、か」と繰り返した。
「じゃあさ、じゃあ……」
と、彼方はルガリに向き直った。ルガリも、彼方に向き直って、お互いを正面から見つめる。
「僕が、ルガリに恋を教えてあげる。人を愛したり、好きだって思うことを教えてあげるよ。悪魔っぽくはならないかもしれないけど、人間社会では生きやすくなると思うんだ」
彼方が、ルガリの手を取って、自分の胸元に導く。ルガリは、不思議そうにそれを見送った。
「ここが、きゅーってなって、相手のことばかり考えて、好きで好きでたまらなくなるって、教えてあげる。それが、僕の復讐だよ」




