第13話 今日の彼方の味噌汁は不味い
――昨夜、ルガリが彼方に夜這いしてこっぴどく断られた翌日、起床してきた木崎一家が見たのは、頬を赤く腫らしているルガリの顔であった。
「……お兄ちゃん、何それ。殺し屋でも来たの?」
そう、クロエが訊ねる。……その飛躍した発想も正直、悪魔的すぎてわからないが。
「いまいち素直になってくれない子猫がいてな」
「子猫!?なにそれ!ペットなんていたの!?私も見たい!!」
「……たとえ話だ」
そんな悪魔兄妹の戯れに、彼方はぷいっと顔を背ける。そこに、「おはよう」と傍多がやってきた。
「……今日は日曜日か。休日ね」
そう、傍多が呟いて、ダイニングの椅子に座る。すると、クロエが「え?じゃあ、今日は傍多を独り占めできるってことね!」と傍多の元にすっ飛んできて、定位置になってしまった傍多の隣に座る。
「どうしようかなー。買い物にも行きたいし、映画も観てみたいし-。うふふ、傍多とデートなんて、昨日わかってたらもっとすごいデートプラン作ってたのになあ」
本当に、この悪魔の妹は、表情がくるくると変わる。一見すると天使のような美貌を持っているのだが、欲望に忠実なその姿は、まさに悪魔である。
「……今日は、ヒルトンでアフタヌーンティーでもしようかと思ってたんだけど、クロエも来る?」
クロエが治まってきたのを見計らって、傍多が提案する。クロエは、「うーん、アフタヌーンティーって、イギリスのあれでしょ?別に特別すごいってわけじゃないような……」と腕を組んだ。
「どういうアフタヌーンティーを想像しているかわからないけど、日本のホテルのは違うのよ」
「ほ?」
「まず、茶器がすごいわ。金の縁取りのされた高級食器を使っていて、お値段は時価。それから、スイーツと軽食はホテルの食事と同じように緻密な計算がされている味わいで、しかも口に入れた瞬間、とろけるような美味しさなのよ。景観も素晴らしく、絢爛豪華なシャンデリアにふかふかのソファー。その景色はヴィクトリア王朝のものと全く一緒ということよ」
「なにそれ行きたい!!私もいーきーたーいー!!連れて行ってよ傍多あ!」
再び、クロエのおねだりが始まる。そして、傍多も、なんだかんだ言って、このわがままな悪魔の妹のことを可愛いと思っている節はあるのだ。
「いいわよ。ちゃんと『レディ』でいられるというのなら、一緒に行きましょう」
「うんっ!私、完璧にレディになる!えへへ、傍多大好き-!」
クロエが大きなリアクションをするたびに、その銀髪が舞い踊る。見た目は本当に「貴族のお嬢様」と言っても過言ではないのだが、いかんせん性格が幼すぎるところはあった。
傍多は、藍色のショートヘアで目元の涼しい顔をしているが、クロエと並ぶとまるでお似合いのカップルに見えるのだった。
「ヒルトンでアフタヌーンティーとか、お金大丈夫?少し渡そうか?」
彼方がそう聞くが、傍多は「大丈夫。どうせこの頃部活続きで使ってなかったからね。ちゃんと貯まってるから、兄貴は気にしないで」と断った。
「ふーん、ならいいけど……。……え?ということは、二人とも出かけるってこと?」
彼方が、若干顔を引きつらせながら問う。
「当たり前じゃない。ヒルトンが向こうからこの家にやってくる訳じゃないんだから。……何?何かまずいことでもある?」
ずいっと、傍多が彼方に顔を近づけて、逆に問い返す。
「な、何でもないよ。大丈夫、全然大丈夫」
彼方はそう言って、口元をつり上げて笑顔を作ろうとしたが、失敗した。
傍多は、「ふーん……」と腰に当てた手を解いて、顔も引っ込めた。
「私たちがいないからって、昼下がりの団地妻っぽく怠惰に情事にふけったりしないでよね」
傍多がそう冗談交じりに言うと、彼方の手元が滑り、味噌汁の味噌を一気に投入してしまう。
「あ、あはははは!!ソンナワケナイジャン!ソンナコトアルワケナイジャン!」
彼方は、その全部投入した味噌に気付かず、お玉でぐるぐると混ぜながら、カタコトで返事をすると、「わ!なんで味噌全部入ってるの!?」と今更気付いてリカバリーをしようとしていた。
「……ふーん。なるほどね」
何を理解したのか、傍多はクロエの隣のダイニングの椅子に戻ってくる。
「?何が『なるほどね』なの?」
クロエがそう傍多に問うと、傍多は、
「今日の彼方の料理には期待しない方が良いってことよ」
と答えた。
「??彼方の様子が変だと、料理が下手になるの?人間って変なの!」
クロエはそう言って、椅子の背もたれに身を預ける。
そんな中で、ルガリは、彼方のあわあわしながら料理をする姿をじっと見ていた。
「お兄ちゃん、座らないの?さっきからずっとそこで立ってるけど?」
クロエにそう言われるが、ルガリは「考え事をしていた」と言ってようやくダイニングの椅子に座った。
「わ、お兄ちゃんが考え事とかするなんて……!」
「余計なことを言うな、クロエ。お前が詮索することじゃない」
そう、ルガリにたしなめられたクロエは、「なんか、今日のお兄ちゃん怖いの……」とのんきに呟いていた。




