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風来歯科医の航海日記  作者: 時田柚樹
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5月12日

五月十二日 晴れ

 渡辺千早という人生を楽しむためには。

 そう、ずっと使い道を考えていた。

 当たる前までは、アレやコレやと欲しいものを細々買おうと、妄想したものだ。が、当ってみると何が欲しいのかも分からなくなり、換金するまでドキドキの毎日だった。

 そして、いざ銀行へ。全てをいくつかの銀行に分けて振り込み、入金してしまったので、手続きの面倒以外なんのことはなかった。

自分が手にする初めての大金。それなのに「こんなものか」とすら思った。元々頓着なかったからかもしれないが。

 宝くじに大当たり。それが二年前。

 やっと形になる。

 明日から海を旅するのだ。横浜からスペインまで。一カ月ちょっとかけて。

 きっかけは、半年前。我が歯科医院に来ていた近所のマダムの話だった。

「ねぇ、児島さん、知ってる?」

「何を、ですか?」

 児島さん、とは受付をしてくれている女性だ。少し厳しそうな外見ではあるが、よく話を聞いてくれるので、常連さんは治療前や後に、おしゃべりを楽しんでいる。たぶん児島さん本人は、仕事の邪魔をして欲しくないと思っているだろうが。

「ほら、昨日の火事。あそこの娘さん、重体だった」

「和泉さんのとこの有美子さんね」

「そうそう、有美子ちゃん。今日、亡くなられたそうよ」

「まあ……。ご両親はさぞ肩を落としていらっしゃることでしょうね。よく出来た娘さんでしたから」

「そうよねぇ。私に会うといつも挨拶してくれてたわ。先日も、お土産をくれたのよ。仕事から帰って来たらしくって」

「確か……コックさんでしたかしら?」

「そうよ。『フレイア』っていう豪華客船のレストラン。いつも『ここへ行った』『あそこへ行った』って。とっても楽しそうにお土産をくれたのよ。私、うらやましいわって思ってたの」

 話すだけ話してマダムは帰って行った。

「児島さん。大変ですね」

「おかげさまで、情報通だわ。街中の人と知り合いの気分よ」

 本当は有美子さんという人も知らないのかもしれない。

「豪華客船のレストランに女性の調理人がいるんですね」

「千早くん、いつの時代の人よ。どこにだって女はいるわよ。それも、腕のいい子がね」

「……そうですか」

 その夜、ネットで船を調べてみた。タイミング良くクルーズがあったので、その場で申し込んだのだ。船旅は初めてだし、ちょっと興味があったから。

 今日までの準備が、また大変だった。

 本来必要な衛生さを取り戻すように、ボサボサのダラダラになっていた髪を短く整え、健康的な汗を流そうとサウナにも通った。

 そして、ディナー用の正装やジャケット。靴や鞄、小物に至るまで、普段では使わないようなものを選び、購入した。

 先日、それらを先に横浜港へ送った。行くときには、手荷物ひとつ。海外へ行く感覚がイマイチつかめていない。

 ま、英語はほぼ完ぺきに話せるし、フランス語やドイツ語などなど、少しは覚えている。

 よし、大丈夫だ。明日の夕方には、船上人となっているはず。親父さんには事後承諾となってしまったが。

「急にいなくなるのは今に始まったことじゃない。人として、楽しんできなさい」

そう快く送り出してくれた。

楽しい気持ちを残してみよう。ふと思いついてこの日記をつけ始めた。

三日坊主が怖いけど、船旅が終わり陸に上がるまで続けていられることを願って。

 良い航海を。



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