SLEEP――或いはシュレディンガーの箱
時間を止める機械を発明した――……
と言えば、諸君は懐中時計の形をして、竜頭をぐっと押すや、道くゆく人も飛ぶ鳥もぴたりと静止する、ド●えもん的なモノをイメージするのではないかな?
残念ながら、少し違う。そういうモノなら私も欲しい。
しかし私が作ったのは“限定した空間の時を止める”装置、つまり、中の時間が止まる箱だ。
「何だ、つまらない」と言わないで欲しい。
確かに、時間の止まった世界で好き放題、というほど夢の広がる話ではないが、しかし非常に実用性の高い技術には間違いない。
応用は無限だが、単純に考えても、“究極の保存装置”だろう。
何しろ、いかなる物質勿体も、全く状態を変化させずに、永久に保存することができる……理論上は。そして私の理論は一点の曇りなく正しい。
保存の用途だけでも、科学、医療、経済……あらゆる分野の現状を一変させる。そこにもたらされる、有形無形の利益がどれほど莫大なものとなるか。
まあ、いずれ日常レベルに落とし込めば、冷蔵庫に完全に取って代わるものとして普及するだろう。なにしろ食品が傷まないどころか、出来立ての料理を温かいまま、何年でも置いておいて、好きな時に食べられるのだから。
さて、科学者の研究に対する能書きほど、聞いていてつまらぬモノはない。
論より証拠、百聞は一見にしかずだ。
我が研究室に鎮座ましましている装置は、中に入れば一般的なサイズのエレベーターの昇降機ほどのスペースの箱……というか小部屋である。
私が“SLEEP”と名付けた“時間停止空間”は、もっと大規模にも、逆にコンパクトにも発生させられるのだが、予定する幾つかの実験との兼ね合いで、 試作機は“人が一人、ある程度作業できる広さ”とした。
まあ、「試作機だから電子レンジくらいのサイズがいいのでは?」と忠言をくれる者もあったが、なァに、必ず成功するのだ、これでいいんだ、ふ、ふふ……
装置の外観はケーブルやコイルがむき出しで、洗練されているとは言い難いが、私自身は古いB級SFや怪奇映画のような趣があり、悪くないとも思っている、
さしずめ私は死体の大男を蘇らせんとする、狂気の科学者か。
小規模ながら時空を操作する以上、不測の事態に備え、私は思い切った郊外に家を買い、研究所として一人閉じ籠って長い。
そこへ研究内容がいかんせん荒唐無稽さを感じさせることは否めず、我ながら客観的には、絵に描いたようなマッド・サイエンティストに見えるだろう、と思う。
実際、学界には私をそう呼んで憚らぬ古い友人も多い。
さて、その評価が正当であったか否か。
眠れる怪物を目覚めさせてみようか――……
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今、研究所のデスクのトレイに、薔薇の切り花が1本ある。
三日前に私が庭で摘み、花瓶に活けるでもなく放置したものだ。置いた時には美しい真紅であったが、当然ながら今は萎れ、色褪せた花びらを散らしている。
私が庭で切った花は、2本であった。もう1本がどこかと言うと――……
もちろん、“SLEEP”の箱の中だ。
三日前私は、箱の中の小さな机に、切ったばかりの薔薇を置いた。全面ステンレス張りの部屋で、真っ赤な薔薇は、どこか前衛芸術的なシュールさがあった。
私は満足して、箱を閉じた。
本来は短周期の同位体などを用いるのが適切なのだろうが、やはり記念すべき最初の実験、視覚的にぱっとした結果が欲しいじゃないか。どうせ検証実験なんて、これから何百回と繰り返さなければならんのだ。
とは言え、ちょうど目についたからと、真っ赤な薔薇を実験に使ったのは、我ながら少々ロマンティックに過ぎる気もするが……
こうして装置を起動させたのが三日前、以来装置は微かなノイズを歌いながら、内部に“スリープ空間”を発生させている……はずである、理論上は。
装置は“スリープ空間”の形成時にはそれなりの電力を要求するものの、一旦安定してしまえば、維持にはエネルギーはほぼ不要だ。もし何らかの理由で装置への電力供給が断たれたとしても、私の推測では、干渉がない限りそのまま“スリープ空間”は継続するはずである。
不正確な喩えだが、流れる水をグラスで汲むには力を使うが、水を汲んでしまったグラスを置いておくには力は要らない……と理解してくれればいい。
さて、私はデスクの萎れた花を手に取ると、クリスマスの朝にプレゼントを開ける子どもの気分で、箱の扉を開け、中に足を踏み入れた。
目に飛び込んできたのは、鮮やかな赤の色だった。
私はできるだけ科学者らしい、冷静で落ち着いた顔を取り繕ったが、口元に浮かぶ笑みを抑えきれない。
並べた2本の薔薇の、差は歴然であった。片方はほとんど枯れているのに対し、スリープにあったものはしっとり瑞々しく、茎の切り口の露さえ乾いていない。とても同じ日に切った薔薇とは思えない。
もちろん、現時点で“スリープ空間”理論は、ひとつの実験結果が出ただけだ。結論に飛びつくには、あまりにも早過ぎる。
しかし、私には確信がある。否、理解るのだ。
実験は成功した。この空間の時間は、完全に停止している。私の理論は正しかったのだ。諸君もこの場にいれば、確実に理解るはずだ。
2本の薔薇を見るまでもなく、小難しい理論も必要なく、ただ生き物として持つ感覚で理解できると思う。
ここの時間はゆっくりなのではなく、完全に停止しているということが。
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ところで、“シュレディンガーの猫”という小噺をご存知かな?
アトランダムに粒子を放出する物質、粒子を検出して毒ガスを出す装置、そして猫を箱に入れて蓋をする。中は見えないし、音も聞こえない。
箱の外からは、粒子が排出されたか=毒ガスが発生したか=猫が死んだかを、知ることはできないとしよう。
つまり箱の中には、生きた猫か死んだ猫、どちらかが入っている。虐待だね。
しかし量子力学には、“事象は観測しない限り確定しない”という屁理屈のような前提があるので、箱の中には生きた猫と死んだ猫が重なりあって存在する、という考え方をする。箱を開け、観測によって事象が確定し、そこでどちらが存在するか決まる、という訳だ。
まあ、元は理論主義に対するシュレディンガーさんの批判、量子力学ジョークであるのだが――……
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なぜ、急にこんな話をしたのか。
それは、私が箱に入るとき、装置を停止するのを忘れたからだ。
たった今、“スリープ”装置の新たな利用法を思いついた、タイムマシンだ。
例えば、時間の速さを1/10に制御した装置の中で、1分過ごせば、外では10分が経過する。365倍の差をつければ、1日待って、1年後に行ける。
時間経過を数千数万分の1、極限まで減速させれば、数千年後の未来へ旅立つことも可能だ。コールド・スリープなどより、よほど身体への影響は少ない。
ただし、完全なる片道切符であることはご了承願いたい。
では、停止まで減速した場合は――……
どれだけの差が生じているのだろう、ここと、外に。
“スリープ空間”の時間速度が理論値0であるから、外との時間差は数千数万分の0、外では“数千時間×0=0”の時間が経過して、0時間、つまりは元の瞬間へと帰還するのだろうか?
それとも、無と有の限りなき隔たり、無限の時間が過ぎ去って、だとすれば人類が、地球が、宇宙そのものが終焉を迎え、時間の流れが終わる時が訪れているのやもしれない。
或いは、0とはマイナスさえも内包して、現在、過去、未来の全ての瞬間に繋がり得るのか。まさか。
どの仮説推論にも、可能性を感じる。せめてペンにノートでもあれば、考えも纏め易かろうに、あいにく手元には薔薇が2本しかない。考える時間は、たっぷりあるのだが。それこそ、無限に……ふ、ふふ……
むろん、即座に結論を導く実験方法はある。
今、私が手を掛けている、この扉を開けばいいのだ。簡単なことだし、ついで神と書くものも取ってこられる。
しかし――……神よ、私は恐ろしい。
この扉を開くのが恐ろしい。
私はいつに、どこに行くのか。私は、いつに、どこにいるのか。
私はいつにも、どこにも行けないのか。私はいつにも、どこにもいないのか。
この扉の向こうには、何があるのか。この扉の向こうには、何もないのか。
無が、あるの、か。
この扉の向こうに、何があってもおかしくないと思う。
何もなくてもおかしくないと思う。
なぜなら、この扉はシュレディンガーの箱なのだ。
私が開くまで、この扉は全ての瞬間につながっているのだ。
私が開いた時、この扉はどこにつながるのか確定するのだ。
私はシュレディンガーの猫だ!
だから、私はどこへだって行けるのだ。
あはははは、いつにだって行けるのだ。
わは、わは、わははは、行くぞ、そら、開くぞ。
ひひ、いざ行かん、時の向こう側へ、いひひひひ。
さあ、扉を開くぞ。科学とは飽くなき探求の心だ。
わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――……
開くんだぞ――……!




