35話 それ以上は…だめだよ…
「松本さん、こちらにいましたか。打ち合わせお疲れさまでした」
「先生も突然すみません。先輩と私のことを話していませんでしたね」
長谷川先生が扉を開けて入ってくる。まだ声が外に聞こえてしまう状態だから、言葉遣いは教室モードだ。
ドアが完全に閉まると、部室の書棚から1冊の本を取り出していた。
「これ……。松本の作品だったんですね。正直、気づくのが遅すぎたくらいです」
もう一度私が一人だけだと確認して、再び名字呼び捨てになった先生が取り出したのは、あの『空の青さは涙の色』だ。
「これ、出版されたの一昨年でしたよね?」
「そうですね。もうずいぶん前……。原案は中2の時に部活動の一環で書きました」
「そうだったんですか。僕も1冊ですが個人的に買わせてもらいましたよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
先生は、その本をそっと開いた。
「松本には年度頭から色々と苦労をさせてしまいました。見えないところで大変でしたよね」
「先生?」
先生は本をめくりながら話してきた。
結局、先生を意識しないという私の作戦は、私と周囲の距離を更に広げる結果になった。
どうしたって年頃の女子の中での恋の会話は避けられず。そこに人気のある先生とのリンクは切りようがない。
だから、私はその話には入らないようにしていた。
加わればいつかボロが出てしまうかもしれない。
だって知っているんだもの。先生の好きな色とか場所、好きな食べ物とか昔の夢とか、プライベートの知識なら学校中の誰にも負けない自信がある。
もしそんなものがポロリと出てしまえば、たちどころに広がってしまう。
それを知っている私だってなぜ知っているかという好奇の目に私だけでなく先生も曝されることになる。そんな迷惑をかけちゃいけない。
結果的に、私はどのグループの輪に入ることもなく、これまでどおりの基本は中立的な存在に落ち着いていた。いや、望んだとおりになっていたんだ……。
「いつも授業が終わるとすぐに教室を出てしまって、僕が嫌われているならまだいいとして、あの教室にいるのが辛いのかと思っていました」
「そんなことありません。それが私のいつものスタイルですから」
「本当ですか? 本当は何か吐き出してしまいたいものを、ずっと口に出せないでいたのではないですか?」
見抜かれている……。そのとおりだよ……。だって私の本当の姿を見抜ける男の人は眼の前にいる一人しか知らないもの。
でもどう答えればいいの?
「そんなことは……」
「昔から、いつもひとりで我慢してきたのではないですか? 今の松本を見ていると、どこか窮屈そうに思います。本当はもっと素の顔があるように僕には見えるのです」
先生は手元の本から顔を上げて私を見る。
「先生……、どういう……」
そう。その瞳を前にして、私はもう次の言葉を紡ぐことが出来なくなった。




