32話 会えたけれど、こんな関係あり?
先生は書類やこれまでの文化祭ごとに発行してきた部誌を収めてあるラックをのぞき込みながら話を再開した。
「松本、簡単で構わないですから、文芸部の年間スケジュールを教えてくれませんか?」
「は、はいっ」
えっ、教室や鈴木先生の前と違って、突然の名字の呼び捨て? これはわざとなんだろうか? 絶対にわざとだよね。
それでも先生が私に質問をくれたのには助かった。これで頭の中がぐるぐるループしなくていい。
過去数年の記録をその書棚から出して、部員の数と活動内容を説明していく。
「なるほど、創作と言っても、色々なスタイルがあるから、一体となって活動というのもないんですね」
「そうですね。部誌は文化祭がある3年に一度ですが、今年はそれも考えなくてはなりません。あとは、演劇部が演じる寸劇の台本を作るなんてのもありますけど、それが創作チームの夏休みの主な活動になります。この夏はけっこう忙しいと思います」
ノートにメモを取っていく姿は、本当にどこにでもいる先生だ。
「なるほど。忙しくなりそうな今年はどうですか、そもそも部員は集まりそうですか?」
「そうですね、毎年それなりには集まるそうです。でも名前だけの幽霊部員も多いので、どこまで活動ができるか分かりませんけど」
「幽霊部員ですか、僕の高校時代にもいました。いつの時代になっても幽霊はいるんですねぇ」
それを聞いたとき、初めて先生と声を上げて笑ってしまった。
思わず涙がこぼれそうになって必死に堪えたよ。
うん、そうだよ。この間合いが私たちのリズムなのだから。もう疑ったりしない。
「そうですか。活動の細かいところは3年の岡本さんと松本に任せるとして、何か教師にしか出来ないところがあれば遠慮なく言ってくださいね」
「はい」
「ところで松本……」
「はい?」
先生が声を潜めた。
「教室で大丈夫ですか? あんな自己紹介でしたから……」
そ、それはね……。どういう顔をして何を話せばいいのかあの時はパニックになって一番レベルを落としたから。
「はい。大丈夫です。ご心配かけてすみません」
「そうですか、それでは今度こそ職員室に戻っていますね」
「あの……先生……」
「どうしました?」
思わず呼び止めてしまった。
ダメ……、いまここでそれ以上の言葉を出したらいけない。
「い、いえ。何もありません。呼び止めてしまってすみませんでした」
「そうですか、じゃあもう終わりの時間ですから気を付けて帰ってくださいね?」
それ以上は交わす言葉もなく、先生は扉を閉めて行ってしまった。
胸に手を当てる。制服の上からでも心臓の鼓動がよく分かるほど激しく打ってしまっている。
「けほっけほっ……」
そのまま膝から床に座り込んで吐き出すように咳が飛び出す。
あの瞬間、本当に喉の奥、いや舌の上まで出かかってしまった。
『お兄ちゃん……』というひとことを。
その言葉を発してしまったら、私たちの関係はそれこそ始まる前に終わってしまうかもしれない。
それが怖くて必死に口を閉じた。先生の気持ちも確かめないで、私ひとりが思いを募らせてしまう。一人で空回りしてしまうのはもう嫌だ。
担任の先生と部活の顧問の先生。そしてどちらにも生徒としていられる立場。先生もそのことに気づいている。
さっきまでは当時の記憶が残っているか不安だった。
それが、名字だけど呼び捨てにした。明らかに私が同一人物かを見極めていた。
けれど、会話は教室と同じような丁寧口調。
でも、一緒に笑った瞬間は間違いなく3年前と同じ二人だった。
先生も今の状況の私に対してどう距離を取ればいいか迷っている。
だからこそ、こんなに近くにいるのに、この気持ちをどうやってコントロールすればいいのだろう。
私が高校を卒業するまで残り2年。これを抱え込んでいくのかと思うと、また気が重くなってしまう。
「あーあ、こんな再会はあんまりだよ……。お兄ちゃん……」
最後のフレーズは声にならなかった。




