第七話
時間に感情はない。
良心も悪心も、喜怒哀楽すらない。
ただ淡々と、刻々と、流れていくのみ。
どんなことがあろうと、その流れは変わらない。
――つまりは、そういうことなんだろう。
〈あんな出来事〉があったというのに、世界は変わらず回っていく。
俺達とはおおよそかけ離れた場所にある社会の主軸は、何の影響もなく今日も今日とて今日を始める。その流れは変わらない。変えられない。変えられやしない。
――もっとも、ルーやウェリィには十二分を過ぎるほどに感情があり、そう簡単に立ち直れるはずもない。動く気力があるはずもない。動けるわけがない。
だから、二人は現在自宅療養中である。
家にこもり、必死に精神を安定させている。
しかしそれでも時間は過ぎ、社会は回り、つまりはギルドの依頼も止むはずもない。そして社会で生きる以上、その仕事を止めるわけにもいかないのである。
だから俺は、今日もまたギルドの仕事を請け負い、外へと繰り出すことになる。同じような状況であるギーンと共に。
つまり俺は、二人が立ち直るまでの間限定で、ギーンと二人のチームを組んだのだ。
昨日のうちに次の仕事も決定。今朝方八時にギルドで待ち合わせをし、そこから馬車停留所へと、ギーンと並んで歩いている。こいつとのツーショットなんていうのは恐らくこの前遺跡を散策した時以来だろうが、まあ、別段やりづらいなんていうこともなく、特に不満はないがね。
俺は、すました顔で隣を歩くギーンをチラリと見やりながら、
「……しかし、まさかお前と組むことになるとはな」
「ふふふ。そうですね。僕も驚きました」
苦笑のような愛想笑いのような顔をするギーン。
「まあ、僕としてはこれはこれで新鮮で面白そうなのでいいんですがね。……僕自身が聞くのもなんですが、あなたはよかったんですか?」
「……正直、ルーが立ち直るまで休むっていう選択肢もあったんだがな。あいつの面倒も見てやらなきゃならないし」
「そうですね。僕もお姉ちゃんのこと見てなきゃいけない気もするんですが」
「……いいのか?」
「はい。ワイトさんもいますし、それにムツナさんもちゃんと見ておいてくれると言ってくれたんで」
ムツナ? ……やけにルーとウェリィのことを気にかけてくるみたいだが――
「――あいつ、そんなに面倒見がいい奴なのか?」
「さあ? 一年ちょっとの付き合いなので、そこまで深く彼女のパーソナリティは知らないんですが」
ギーンは首を傾けつつ、
「ですが、半ば強引に『私が看病してあげる!』って押し切られてしまいまして。しょうがなく任せてしまいました。ルーさんの方もちょくちょく見に行くと言ってましたよ――――というか、ダルクさんの方は気持ちの整理はついてるんですか?」
「リンクさんが推してくるもんだから、仕方なく請負ったって感じだ」
「僕も同じ感じです」
ギーンは軽く嘆息しながら、
「……ですが実はリンクさんは、こういう状況になる前から、僕とあなたを組ませたかったみたいですよ?」
「俺とお前を? 何でまた?」
「リンクさん曰く、年少組の中で僕たちは特にムラがないんだそうです。ギルドの仕事において、常に同じクオリティを達成していくのは重要なファクターですからね。僕とあなたはその点において秀でているということなのでしょう。この前なんか、リンクさん、『ギーン君とダルク君が組んで私が育てるなら、世界屈指のチームにすることも可能よ』とまで言ってましたよ。……どこまで本気なのか分かりませんが」
「……そりゃまた、大きく出たな」
俺は半ば呆けながら答えた。
……いやまあ、あの人がギーンに目をつけるのは分かる。この年でギルドに関するほとんどのことに精通し、どんな状況でも物怖じしない状況分析能力を持っている。そこら辺にいる平の賞金稼ぎと比べても、能力が突出しているのだ。こいつの将来に期待してしまうのも、無理のないことだと思う。
しかし、その相方がなぜに俺なんだ?
ロットではなく、なぜ俺なんだ?
……もしかしたら、観察眼の鋭いあの人のこと、俺の裏の顔である『闇鳥』についても、少なからず気付いているのかもしれない。確信はなくとも、何となく感じているのかもしれない。俺が〈道〉を逸れていること。アンディさんが最近やたら俺に構ってきたりと、そういう兆候はあるだろう。
まあ、証拠さえなければ、当分は確証は持たれないはずだ。
一応は大丈夫なはずだ。
大丈夫なうちは、仕事を続けさせてもらおう。
いつまで続くのかは知らないが。
――と、そんなことを考えながら歩いているうちに、ようやく停留所が見えてきた。
果たして空いている馬車はあるのかと思いながら馬車の方へ近づこうとして、ふいに、その手前の木陰から、人影が幽霊のようにすっと現れてきた。
慌てて立ち止まりつつ、一体全体何者だと視線を向けると、
それは――――ウェリィだった。
いつもの見慣れた黄色いドレスを身につけながら、しかし――パーマをかけてないんだろう――ただの金色ロングヘアーの髪型をしたウェリィが、俺達の前に現れた。
「お姉ちゃん! どうしたの?」
驚いた顔をして、ギーンがそっちへと掛けていく。
ウェリィは、いつもの瞳の強さが微塵もない顔でギーンに「……ちょっと」と答えると、今度は俺の方に顔を向けてきて、
「ごきげんよう、ダルク」
「え? あ、ごきげん……よう……。というか、どうしたんだ、お前? まさかお前も着いて来るのか?」
「……いえ、まだ気分があまり優れないので、それは無理です。着いていっても足手まといにしかならないでしょう。ただ――」
いつもの二割にも満たないような声量でそう言いながら、ウェリィはギーンの肩にそっと手を置き、
「――私が着いて行けないので、弟の面倒をちゃんと見ていただくよう、お願いしようと思いまして」
「め、面倒って! そんなこと言うために来たんですか! お姉ちゃん!」
ギーンは顔を真っ赤にして、見たままの過保護な姉に反抗する弟の表情で、
「僕もいっぱしの賞金稼ぎなんだから! いつまでも子ども扱いしないでください! もう!」
「……まあ、俺もパートナーとしてできる限りサポートするし、ギーンもできた奴だ。そう心配することもないだろう。……それに、今回の仕事はただの荷物運びだ。危険なんて何もない。お前も安心して療養してろ」
「そうだよ、お姉ちゃん! さ、僕は早く馬車の手配しなきゃなんないんだから。お姉ちゃんもさっさとウチに帰って、休んでてください!」
ぷいっとそっぽを向いて、ギーンは停留所の方へさっさと行ってしまった。いつものこましゃくれた態度とは違って、いつになく子供っぽい感じのギーン。まあ、なかなかに微笑ましい姉弟関係と言うべきか。
俺は、ずんずん離れていくギーンの背中を立ち尽くして眺めているウェリィに、
「……ま、そういうわけだから。この前のことで心配になるのも分かるが、弟のことを信じて待ってろよ」
「ええ、そうですわね。弟のこと、よろしく頼みます。それから――」
ウェリィは、今まで聴いたこともないような弱々しい声で、
「――このようなこと、わたくしがあなたに頼める義理はないのかもしれませんが、しかし――」
「何のことだ?」と俺が返答する間もなく、いきなりウェリィは俺の腕を掴んできた。
「――お願いします………お願いします! わたくしの一生で一度の願いです! いつでもいいです! いつでもいいですから、いつか、いつか――
――ロット様の仇をとってください!」
……か、仇っ?
「……以前からあいつの存在を知っていたわたくしが前に止めていれば、こんな状況にならなかったのかもしれません。わたくしに責任があるのかもしれません。……でも、本当のところ、わたくしにはどうしようもなかった。わたくしには……なす術がなかった。実際今まで三度、あいつに勝負を仕掛けたこともありましたが――――すべて一秒足らずで勝負が決まってしまいました。……いえ、勝負にすらなりませんでした。勝負と呼べるものではありませんでした。ただ顔見知りだという、それだけの情けで、私はあいつに殺されなかったに過ぎません。生かされていたに過ぎません。……もうわたくしには、あいつを目の前にしても、平静を保って必死に身震いを押し殺すことしかできませんでした。どうしようもありませんでした。……しかし――」
ウェリィは、俺の腕に顔をうずめてくる。
そしてその白い首筋が目に入って、改めて俺はその首筋や手、腕のあちこちに傷があるのに気付いた。透き通るような肌の上に、赤い筋が何本も浮かび上がっている。爪で引っかいたような傷跡。あの日あの時ウェリィが、無意識に――あるいは心の痛みを鈍らせるために――自分で自分を傷つけた、その名残……。
「――しかし、あなたなら――あいつを目の前にしてそれでも物怖じせず、正面から啖呵を切れたあなたなら――もしかしたら、あいつを止めることができるかもしれない。あいつを殺すことができるかもしれない。……無責任な願いだとは重々承知しています。対価は何でも払います。わたくしのためじゃなくていい。ロット様の……ロット様のために――――どうか、仇を討ってください!」
叫ぶようなわめくような、ウェリィの懇願。
痛いほど、俺の腕を握り締めてくる。
濡れた袖口が、冷たかった。