第四話
周囲の木々を切り倒して造ったような、純木製の平屋。
一般的な家の三、四倍くらいの広さで、くつろぎスペース、キッチン、浴室、個室が十部屋と、宿屋経営ができそうなほどに設備が整っている。事実、通常時は数人の鉱員達がここで寝泊りしており、食材やら日用品など、生活に必要なものはすでに揃っているのである。
雨足がいよいよ強くなり、風も吹き荒れてきた外から、俺とムツナは追い込まれるようにこのロッジの中に駆け込んだ。
玄関口、ずぶ濡れの靴を脱ぎながら中へ入ろうとした俺達に、
「はい、これ使って」
と、ルーがタオルを差し出してきてくれた。
「ああ、ありがとう、ルーちゃん。助かるぅ」
とそれを受け取って顔を拭い始めたムツナの横、俺も「サンキュー」と言いつつ同じようにタオルを手にとって、シャワーを浴びた後のような髪をごしごし拭き始める。
ようやく毛先から滴る雫が止まったところで、俺はルーに、
「もう、みんな来てるのか?」
「うん、大体来てるよ」
……大体?
その一言に引っかかりながら建物の中を見回すと、アンディさんとウェリィ、ギーンが、すでに奥のテーブルでティーカップ片手にくつろいでいた。他の二ペアの担当場所は俺達のところよりも断然ロッジに近く、十分くらい前にはすでに着いてたんだろう。もしくは、雨が降り始めた時点でさっさと引き返してしまったか、だが――
――ん?
現在、ここにいるのは六人。今日の遠征メンバーは全部で七人いたはず。一人足りない。アンディさん、ウェリィ、ギーン、ルー、ムツナ、俺とあと一人、ええと――――そうだ!
「――おい、ルー。ロットはどうした?」
「ん? ああ、それがねえ――」
ルーは手の平を上に向け、「困ったもんだよ」というような顔をして、
「――アンディさんから連絡があった後、『私はもう少し調べたいことがある』とか言ってね、どっか行っちゃったの。多分、まだ捜索を続けてるんだと思う。あたしは『危ないから戻ろう』って言ったのにさあ」
……調べたいこと?
「あいつが雨天決行で仕事を継続するなんて、何かあったのか?」
「さあ? わかんない。……あ、でも、さっき捜査してるときにねえ、ロットってば、たまにあたし達の後ろの方を気にしてたよ? まあ、気にしてただけなんだけど。でも、何回か後ろ振り返ってたよ。あたしが振り返っても何も見当たんなかったのに。……気になることって、それかなあ?」
ロットが背後を気にしていた? そして『もう少し調べたいことがある』? ……まさか、監視か? あいつが誰かにマークされてたとか?
……いや、それはない。ありえないだろう。
この発掘現場への出入りはちゃんと警備員に管理されてるし、あの柵を越えるなんて不可能だ。なんせ『赤石』やら『青石』なんかで攻撃しても触れた瞬間にそれが灰になるほどの強力な電流を流してるし、『黄石』では無効果。しかも四重構造になってて、『黒石』を使ってですら五体満足なままじゃ破れないようになってる。国の研究所が直々に開発した、完全なる遮断設備。このエリアに不審者が入り込める隙間などあるはずもないんだ。
だから、ロットが不審人物に追跡されてるなんてことは、ありっこない――――が、つい先日イヴに宣戦布告を食らったばかりだってのもあって、どうにも一抹の不安は拭いきれない。
俺は、奥のイスの上でリラックスしているアンディさんに向かって、
「……アンディさん。ロットのことですが――」
「ああ、分かってる」
アンディさんはなだめるような表情を向けてきた。
「……しかし、あのロットのことだ。そう簡単にやられるようなタマじゃねえ。それにこの天気じゃあ、逆に探しに行った方が危険だ。ミイラ取りがミイラになりかねねえしな。とにかく、この雨が弱くなるまではここで待機していよう。あいつを探しにいくのは、その後でも遅くないだろう」
「……分かりました」
俺はそう答えながら、再びタオルで頭を拭き始めた。
俺の横につっ立ってるルーは、
「まあ、あのロットだもん。心配することはないよ」
「ふん、その青ガッパと同じ意見というのは気分が悪いですが、しかしその通りです。あなたごときが心配するまでもありません」
奥のテーブルからウェリィが話に入ってくる。
その「青ガッパ」という単語に反応してルーがウェリィの方を睨みつけ、部屋の中には『赤石』も『黄石』もないのに火花が飛び始めた。……やれやれ、またこいつらのくだらない喧嘩が始まるのか、と俺が憂慮したその時――
――ジジッ、ジジジジジジッ
いきなり、この部屋に三つあるトランシーバーそれぞれから、耳に刺さるような雑音が聞こえてきた。
アンディさんは、その中の一つである自身の胸ポケットに納まっていたものをひょいと摘み上げると、
「はい、もしもし?」
『ここ、こちら、コロノ山発掘所、にゅ、入所管理局』
「おう、こちらアンディ。……どうした?」
『あ、アンディさん! きき、緊急事態です! し、しし、侵入者がありました!』
「侵入者ぁ? ここにか?」
『は、はい! 警備員の一人を刺殺し、そ、そのまま鉱山内へと入っていきました!』
「何人?」
『し、侵入者は一名! くく、暗闇でよく確認できませんでしたが、十台半ばといった体躯の人間でした!』
「いつだ?」
『さ、三十分前です!』
「三十分前ぇ?」
アンディさんは声を荒げ、
「何ですぐ連絡をよこさねえ!」
『すす、すいません! き、救護活動を、しておりまして……』
「そうか、そりゃそうか…………わかった。こっちはこっちで対策を打つから、そっちも警戒してくれ」
『は、はい』
その返事を聞くと、アンディさんは再度トランシーバーをポケットにしまった。
――侵入者。
その不測の事態に、ここにいる六人の表情が一瞬固まる。ピリッと、一気に張り詰める空気。みながみな考え込むような顔をして、誰一人その姿勢のまま動かなくなる。
恐らく俺を含めた六人とも、ロットの安否を心配してるんだろう。
この〈侵入者〉とロットが言った「調べたいこと」は、簡単にリンクする。
では、この侵入者は一体何の目的でここに侵入したのか? なぜ警備員を殺してまで侵入してきたのか? そしてなぜロットをつけ回していたのか?
正直、現在ある情報だけでは、その疑問への解答を出すのは至難だ。予測の域を出ない。だからこそ、それぞれ黙々と考え込んでるんだ。答えを探してるんだ。
そして誰も答えを発せないまま一分以上も無音が続き、いよいよ部屋の中に不安げな雰囲気が漂い始めたところで、
――ジジッ、ジジジジジジッ
またも、三つのトランシーバーが鳴った。
今度は何の連絡かと、再びトランシーバーを耳元に持っていくと、
『あー、あー、こちらロットだ、どうぞー』
雨音交じりの、ロットの声だった。
六人の顔が強張り、受信機に視線が集まる。
しかしそんなこちらの緊張を察することもなく、電波の向こうのロットは、いつも通りの底抜けた声で、
『アステルギルドの諸君。六人とも無事か? どうぞ』
「ああ、無事だ」
トランシーバーを口元へ持っていき、俺が答えた。
「……というか、お前は今何してるんだ? 早くこっちに戻ってこい」
『いや、それは無理だ。どうぞ』
「……無理? お前今、何してるんだ?」
『ああ、実はな、これから私は――
――決闘をするところだ。どうぞ』
「け、決闘っ?」
俺は聞き返して、
「……って、一体誰とだ?」
『ああ、それがな――』
と、向こうの無線機から、環境音に混じってロットではない声が聞こえてきて、
『ふはは。仲間に連絡か? だったら遺言もちゃんと残しておいたほうがいいぜ。なんせ、それがお前の最後の会話になるんだからな』
耳障りの悪い、卑しくいやらしい、どこまでも陽気なイントネーション。嫌になるほど聞き慣れたこの声は――――イヴ!
「おい! その声、あいつなのかっ? 決闘って、そいつと殺りあうってことかっ?」
『ああ、まあ、そういうことだ。というわけで、私がそちらに帰るのはもう少し遅れる。だからちょっと待っていてくれ。どうぞ』
「ってか、大丈夫なのか? お前、勝てるのか?」
『ははは。愚問だな。前も言った通り、私は結果以外は何も求めない。そして現在の私は、こいつに勝利するという結果のみを求めている。だから、私が生き残る以外の結果は生まれるわけもないのだ。だから安心しろ』
「――って、だから、そんな理の適わない理論じゃなくて、そいつと戦って実質的に勝算があるのかって――」
『ではでは、皆の衆。朗報を寝て待っているがよろしい、どうぞ』
――ジジッ
それだけ言って、トランシーバーの音が途切れた。
――なぜイヴがここにいる?
――なぜイヴがロットといる?
――なぜロットに勝負を吹っかけた?
状況整理に頭が追いつかず、混乱が頂点に達する。
ルーとウェリィが、心もとなげな顔で、俺が握っているトランシーバーをじっと見つめてくる――――が、俺はそれに向ける言葉が見つからない。
これからどうすればいいのか、どういう行動に出るべきなのか、俺が判断を仰ぐようにアンディさんの方を見上げると、
「……ちっ、しょがねえよ」
アンディさんは、なおも大降りの窓の外を眺めながら、
「この雨じゃあ外に出ても危険だし、今から行ってもあいつらの戦闘に間に合うわけもないだろう。…………今はただ、あの野郎を信じて待つしかねえな」




