第十四話
「たあー!」
振り下ろされるロットの『グレン』。
――ガキンッ
額の上、ヒューミッドがそれを受け止める。赤と黒の刃が交錯。ぐぐぐ、という競り合いの後――カキンッ――双方剣を振り抜き、後方へ跳んだ。
ロットとヒューミッド、お互い距離をとり、睨み合いながら、
「……貴様、イヴァリーに成りすまして潜入しておったのか!」
「わははは。当然だ。私の潜入スキルを持ってすれば、造作もないことだ」
……いや別に、この潜入が成功した要因はそこじゃないだろうに。この展開に水を差すのもアレなので、いちいちつっこみはしないが。
「……おのれー! なめおって、この若造が! 我が直々にあの世へ送ってやる!」
覇気のこもった叫び声と共に、ヒューミッドが前へと駆けでる。目で追うのがやっとのスピード。黒い剣を上段へ振り上げ、そして直下へと振りきった。
風を切る剣の残像。
ロットは反射的に右へと跳ぶ。わずか数センチの余裕。ギリギリのタイミングだ。赤い髪と服の切れ端が持っていかれている。
数メートル離れた位置にすたんと着地し、片膝をついたロットは、ニヒルに笑いながら、
「……ふん! 一千万の賞金も伊達ではないようだが――――しかし、まだまだだ!」
炎が揺らめく『グレン』を下段左に構えるロット。そのまま一歩踏み出し、
「〈火炎斬空〉!」
ロットの周囲に赤い剣筋が描かれる。
同時に、巻き起こる熱風。
数十メートル離れている俺のところまで届く風圧。俺は思わず腕で顔をかばった。
が、剣風の真正面にいたヒューミッドにはそれが直撃。
「ぐっ」
――ドゴンッ
そのまま吹き飛ばされ、隣室へ続く扉へ激突。そのままその中へ消えていった。
ロットはさらに床を蹴って、
「一気に決着をつけてやる!」
と、ヒューミッドを追って扉をくぐり、隣の部屋へと走り去っていた。
俺もそれを追って加勢してやろうかとも思ったが、やめた。ここにも敵襲がいるし、それに――――王道は王道同士、正統的主人公は正統的黒幕と雌雄を決するのが筋だろう。俺の出る幕じゃない。
まだ状況に思考がついてきていない人間の中、俺は胸ポケットからトランシーバーを取り出し、
「――もしもし、アンディさん、こちらダルクですが」
『おう、アンディだ。どうした? 倉庫に着いたか?』
「いえ。どころか、敵陣のど真ん中に着いてしまいました。六十人強の敵襲に囲まれて、ロットがカザミドリのトップ、ヒューミッドと交戦中です」
『そうか。……ちゅうか、やっぱヒューミッドがカザミドリの大将だったわけか』
「はい。やはり、ムツナがカザミドリの内通者でしたよ。見取り図にフェイクが混じっていました。……そっちのヒマリさんも、どうやらカザミドリの人間だったらしいです」
『そうか。さっきっから姿が見えないんで、そうじゃないかとは思ってたが。……了解だ。俺達もすぐそっちへ行く。それまであんま深追いするなよ』
「分かりました」
そう答えて、俺はトランシーバーを切った。
胸ポケットにしまいながら、ふと目線を上げると、
「……ど、どういうことなのよ……?」
ようやく、ムツナが口を開けた。
「どういうこと? ……な、何でイヴがロット君なの? ……というか、何でロット君が生きてるのよ? コロノ山で死んだはずでしょ?」
「……お前はさっき何を見てたんだ。あの通り、ピンピンしてたじゃないか。やかましいくらいにな」
「だって、そんな、おかしいじゃない。あの丘でロット君の死体を見たし、あれは『橙石』の幻覚でもなかったし……。じゃ、じゃあ、一体あれは何だったのよ?」
「そんなん、明白だろう」
俺は肩を持ち上げながら、
「俺もお前もルーもギーンもアンディさんも、そしてロットも生きていた。とすると、あの首切り死体は――――イヴに決まってるじゃないか」
「な……!」
ムツナは――そしてルーとウェリィも――目を見開く。ギーンだけは口元を歪める程度だが。
「そ、そんな……いや、確かに、装備品さえ付け替えれば、あの状況は作れるけど……でも、それじゃあ、ロット君が一人であんな偽装をしたっていうの? そ、そんな、何で」
「……別に、協力者がいてもおかしくはないだろう」
「そ、そんな、ありえないじゃない! だって、ロット君とイヴが戦ったのは嵐が吹き荒れてる間。その時、その二人以外はみんなロッジの中にいたわ。誰も協力できるわけないじゃない」
「……ふん、面白いほどキレイに騙されてくれてるな。……〈ロットとイヴが戦ってたのは嵐が吹き荒れてる間だけ〉っていうのは、何か根拠はあるのか?」
「へ? ……だって、そんな、当たり前じゃない。死体が丘の上にあって、つり橋が吹き飛ばされてたんだから。つり橋が切れたのは、嵐のせいで――――って、あ……」
「……ふん、ようやく気づいたか」
思い至ったように口を丸く開けたムツナに、俺は嘆息しながら言う。
「確かにロープはちぎれてたが、それは強風のせいとは限らない。〈人為的に引きちぎった可能性〉だってあるだろう」
「で、でも、それじゃあ、一体いつ……」
「覚えてないか? あっただろう? 俺達がロッジを飛び出してから、あの丘に全員が集まるまでの三十分間。その間に発見し、作戦を取り決め、再度分散するのは不可能じゃない」
「そ、それはそうだけど……」
まだ納得がいっていないような表情で、ムツナは呟いた。
「でも、わけがわからない。あの時、あの時点で、な、何であなたたちがそんなことをするのよ? 意味がわからないじゃない」
「『何で』だって? 決まってるだろ。ロットにカザミドリ潜入をさせるため。潜入の成功率を上げるため――――そう、〈お前をだまくらかすため〉さ」
……そう。あの時から、俺は〈ムツナが内通者である可能性〉も考えていたんだ。
その根拠、というか足がかりはいくつかあった。
一つは、ムツナがギーン一人と――ウェリィ達と離れて――チームを組もうと提案してきたこと。別にギーンと組みたいだけならば、四人のチームを組んでも問題はないはずだ。むしろ四人組の方が戦力が期待できる。なぜギーン一人と組みたがるのか、その真意がいまいちよく分からなかった。
しかし、俺は聞いていた――――〈カザミドリは、将来有望な人間に正体を隠して近づき、勧誘していくこと〉
つまりムツナは、ギーンをカザミドリに勧誘するためにチームを組もうと言ってきたんじゃないのか。そう考えればすっきりする。以前勧誘をつっぱねたウェリィと、カザミドリの試験体であったワイトが邪魔になるのは明白だ。だから、ムツナはウェリィとワイトを度外視したんだ。
そしてもう一つ、俺がムツナを疑った根拠は、ウェリィに喫茶店に呼び出された際、イヴとムツナの情報のやりとりが思いの外迅速だったことだ。
元々、イヴは闇で動く人間。本人曰く、顔と名前が一致しているのは、カザミドリでも二、三人しかいないような人種なのだ。そんな人間と頻繁に連絡が取れるムツナは、一体何者なんだろう? そこまでコネクションが太いなら、カザミドリ討伐への足がかりに使われそうなもんだろうに。それでもイヴとのコネクションが継続できる理由は何なのか? 俺はそんな疑問を持ったのだった。
そして最後、三つ目の根拠は、イヴがコロノ山に侵入してきたことだ。
あの時、俺達はアステルで集合しコロノ山に向かったわけだが、あの仕事は一両日で決定されたものだ。部外者がその細部を調べるのには時間が不十分だっただろう。しかも、移動にはアンディさんが帯同していた。そんな中、俺達の追跡がそう簡単に成功するとも思えない。つまり俺達の中に、仕事の場所、メンバーをリークしている人間がいるんじゃないかと、俺は疑った――――というか、この疑問が、俺の中での「ムツナはカザミドリの人間」という仮説の発端だったわけだが。
しかし、俺はそれほど確信があったわけじゃない。
そこまでシリアスに考えてたわけじゃない。
あくまで可能性の一つ。
例えば「死後の世界は、科学的根拠はないが、存在する可能性だってある」というテーゼと同じような、一つの仮定にすぎない。一生懸命疑ってたわけじゃない。
ただ、俺はこの仮説をアンディさんに話してしまったのだ。
そしてアンディさんが、予想外にも同調してきたのだ。
アンディさんが、ムツナを逆に欺く作戦を提案してきたのだ。
――あのコロノ山の台地で、イヴの死体を前に、アンディさんが俺とロットに言ってきた。
『〈これ〉を知った時、あいつら――特にルーとウェリィ――がどういう反応するかは、大体予想がつく。多分、見てる方も苦しくなるようなことになるだろう。……ただ、お前らだけは降りないでくれ。カザミドリを討つために、お前らだけは戦い続けてくれ。頼むっ。この通りだっ』
そう言ってアンディさんは、子供でしかない、新米でしかない、自分の半分程度しか生きていない、人生経験すらままならない俺達に、深々と頭を下げてきた。世界に名だたる賞金稼ぎが、俺とロットに懇願してきたんだ。
そこまでされたら、俺は、俺は――――のるしかないだろう。
正直なところ、俺自身としてはついさっきまで、ムツナのことは八割方信じていた。カザミドリの人間ではないと思っていた。そもそも、証拠は何もなかったんだから。
だが、アンディさんの熱意に負けて――それに、目上の人の命令を無下にできるわけもなく――俺もこの作戦にのったのである。
結果として、これで大正解だったわけだが。
「……イヴと深い繋がりがある人間が、カザミドリの中でも極めて少ないことは、あいつの口から聞いていた。だから、別口から手に入れた情報と、変装――あまりしゃべれないような状況を作るような変装――をすれば、潜入自体は不可能じゃなかった。だが、その成功率を上げるため、お前を騙し――お前に、イヴが生きていると証言させることで――疑われないようにしたわけだ」
「そ……そんな……うそ。……だ、だって、ルーちゃんもウェリィさんも、本気で驚いて、泣いてたじゃ……」
「そりゃ、そうだ。二人にも言ってなかったんだから」
……いや、二人には悪いことをしたと思っている。あんなに悲しませ、傷つけてしまったんだから。
しかし、アンディさんが断固として譲らなかったのだ。他のメンバーにはこの真実を教えないと。この出来事をよりリアルにするため――ムツナを本格的にだますため――他の三人まで騙したのだ。敵を騙すにはまず味方からとはよく言うが――――それにしたって、限度があると思ったが。
実際のところ、コロノ山から帰ってきてからそれをルーとウェリィに教える、という選択肢もあったことにはあった――というか、俺は最初からそのつもりだった――が、アステルに帰ってからも、ムツナが二人につきっきりになるようになったのだ。強引に。看病と称して。
そしてあろうことか、ヒマリなる上級賞金稼ぎのコネを使ってムツナがこの作戦でまで俺達に関ってきたため、今の今まで――この作戦の真意を果たすこの瞬間まで――他のメンバーには言えずじまいだったのである。……もっとも、ギーンだけはそれとなく気付いていたようだが。
ちらりと首を後ろに向けると、ギーンは平然と立っている。
その顔には驚きは欠片も浮かんでなく、相変わらずのこましゃくれた微笑が浮かんでいる。……まったく、末恐ろしい奴だ。どこまで見透かしてるのか。おかげで――こいつが端々で俺のことをおもんぱかってくれていたおかげで――俺としても動きやすかったのも事実だが。
「じゃ、じゃあ……私達は、あなた達の手の上で踊っていたと……そういうこと、なの?」
「まあ、そんなとこだ」
脱力しながら言うムツナに、俺は何ともなしにこたえる。……厳密に言うなら、アンディさんの手の上だがね。俺自身は、こいつがヒューミッドの方へすたすたと歩き始めるまでは、確信は持っていなかったんだ。
「……い、いや、それにしても、おかしいわ。だって、丘の上のイヴの死体には外傷は何もなかった。そして首は、『黒石』の刃で切られてた。いくらなんでもこれはおかしいわよ。これじゃ、ロット君は外傷を与えることなくイヴから『フェム』を奪い去り、その刃で一撃でイヴの首を切ったってことになるじゃない。私達がロッジにいる最中に、二人の決闘は始まってたんだし…………。そこまであの二人に実力差があるなんて、そんなわけ……」
「……じゃあ、『黒石』の武器が他にあればいいだろ?」
「そ、そんなわけないじゃない。『黒石』は私達がほとんど独占してるわ。強いて言うなら『闇蛇』あたりが持ってるけど。でも、あいつは最近なりを潜めているし、この件に関わってくるなんて考えられない。他に、他に『黒石』の武器なんて――」
と言ったところで、はっと、ムツナが息を漏らした。
まるで初めて地動説を聞かされた数千年前の人間のように、驚愕の表情を浮かべ、
「ま、まさか――」
震える声で呟くムツナ。そしてわなわなと、俺を見上げてくる。
……正直、俺はこの時点まで迷っていた。
〈これ〉を言わなくてもいいんじゃないか? 明らかにする必要もないんじゃないか? このまま、今のままで、もう少し生きていけるんじゃないか? ギルドの仕事を続けられるんじゃないか? そういう方法もあるんじゃないか? そう思った。思っていた。
しかし、すぐに思い直す。
〈このこと〉はすでにロットには教えてある。恐らくギーンも感づいているだろう。そしてここまで話してしまった以上、ルーとウェリィにも話すことになる。あるいは、この作戦に参加している他の賞金稼ぎにも伝わるだろうし、カザミドリの人間が一人でも逃げおおせてしまえば、そいつから世間に漏れてしまうことも否めない。
――もう、隠し切れない。
――後戻りはできない。
――そうだ、最初から分かってたことだ。
――最初から割り切っていたことだ。
――いまさら躊躇して何になる。
――これが俺の本当の道なんだ。
ふう、と、俺は諦めのような覚悟のような息を吐いた。
そして背中のナイフホルダーから『黒石』のナイフ『ゼロ』を取り出し、それを顔の前に持ってきて――初めて自分の口から、〈この二つ名〉を口にする――
「――まあ、つまり、俺がその『闇鳥』ってことだ」
俺がそれを口にした瞬間――――肩を震わせるムツナ。
あんぐりと、口をあけるルー。
瞳孔を見開くウェリィ。
そして、静まり返る他のカザミドリの人間。
……そう。つまりは、そういうことだったんだ。イヴの息の根を止めたのは、俺なんだ。『イヴの方が能力が上』みたいな言い方をしてはいたが、しかしそれは〈賞金稼ぎとして〉。『黒石』を扱う敵に真っ向勝負で勝つのは難しい。つばぜり合いすら叶わないんだから。
しかし、こちらも『黒石』を扱えるなら別問題。
そんなディスアドバンテージはなくなる。
恐らくラキとアンディさんはほとんど能力的に拮抗しており、それぞれから学んだ俺とイヴには、当初はそれほど差はなかっただろうが――――向こうは数年前から鍛錬を止めている。しかし、俺はついこの前までしごかれてきた。その差は歴然。
同じ立場に立てば、あいつを一太刀で斬ることは難しくない。
『黒石』相手に攻めあぐねていたロットには困難でも、俺なら可能。
俺なら容易。
逆に俺にしかできない。そういうことなんだ。そういう証拠にもなるんだ――――そういうことを、俺は今、証言してしまったんだ。
――俺はもう、後戻りはできない。
――ここにはいられなくなる。
――すべてと別れ、縁を切り、身を隠して闇の中を生きていく、これが号砲。
――これが予定通り。
――これが既定路線。
――これが規定路線。
――しかしまあ、最後の賞金稼ぎとしての仕事は、きっちり済ませよう。
俺は一歩、ムツナの方へ足を踏み出した。
その足音にびくついたムツナは、慌てて口を開け、
「な、何やってるの! ぜ、全員で『闇鳥』を討ちなさい!」
周囲に向かって叫ぶ。
呼びかけられた六十人は、意識を取り戻すのに一拍を要した後、
「う、ウオオオオオオォー!」
怒号を鳴らして、各々武器を手に俺の方へと襲いかかってくる。
前方と右と左から、合計六十人が、敵意と殺意をまとって向かってくる。
その六十個の刃が俺に近づいてくる。
俺を殺そうと歯向かってくる。
俺は、はあ、と一つ嘆息した。
そして、思慮なく、考慮なく、躊躇なく、遠慮なく、俺は右手に握った『ゼロ』でもって――
――斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って/斬って――
――斬った。
飛び散る飛沫も、悲鳴も、倒れ伏すものも意に介せず、俺は『ゼロ』を振り続けた。
そしてたかだか数分の後――――周囲は静寂になる。
すべてが赤く染まる。
もはや、俺とギーンとムツナとルーとウェリィ以外、この部屋には動くモノは何もなくなった。
少しばかり俺の息は荒くなっているが、そこまでの労力は割いていない。ここまで『グレン』を運んでくる方が、いくらか大変だった。
ふと、視線を後ろに向けると、それに呼応してルーとウェリィがびくりと肩を震わせる。俺は、額から鮮血が滴っているのに気付いた。ぬめりと、俺は手の平でそれう拭う。このせいで二人は驚いたのか――もしくは、それだけじゃないのか、分からないが。
しかしまあ、予想通り――予定通り。
こうなるだろうとは、思っていた。
いまさら後悔はしない。
それよりも、この仕事を早く終わらせてしまおう。
俺は再びムツナの方へと視線を動かした。
それに気付き――そして、その意味に思い至ったのだろう――ムツナは、
「……くっ」
立ち上がり、後方へと走り出す。そして部屋を出ていってしまった。
俺は、背中越しに、
「……あとのことは、ギーン、頼む」
「はい。……分かりました」
期待通りのギーンの返事。あくまで冷静なその声音は、とてもありがたかった。
俺は赤く染まったままの『ゼロ』を握りなおすと――――そのまま、ムツナを追って部屋を出た。