第十話
グランデル村からアステルに帰ってきて、俺がまず最初にしたことは、ルーへの報告だった。
ギルドへの手紙運びおよび報告はギーンに任せておいて、俺は直接ルーの家へ向かった。これがロットだったら「面倒くさい雑用をひとに任せるな!」とぶつくさ言ってきそうなものだが、ギーンがそんな反応をするわけもなく、「ルーさんに早く伝えてあげてください」と快く承諾してくれた。何で俺は今までこいつと組まなかったんだろう……と後悔するほどの人の好さである。
俺が家を尋ねると、ルーは開口一番「ギルド、辞める気になってくれた?」という質問をぶつけてきたが、俺はそれをやんわりとかわしつつ、「それよりもさ、すんごい朗報だ」という前置きと共に、コルート博士が生きていること、そしてすべてが片付いたらまた会おうと言っていたことを伝えてやった。
それを聞かせた瞬間、ルーはぺたりと膝から崩れ落ち、一体どうしたのかと俺は慌てたのだが、その後笑顔で泣きじゃくり始めたのを見て、俺は安堵した。
ルーは泣き笑いながら一緒に聞いていた母親、祖父と抱き合い喜びを分かち合っており、この感動の場面を他人が邪魔するのも忍びないということで、俺は静かにルーの家を後にした。
そして一応、俺もギルドへと向かった。
カランカランとベルを鳴らしながら中に入ると、諸々の手続きがちょうど終わったところらしく、ギーンも帰り支度を始めていたところだった。
俺は、リュックを「よっこいせ」と背負っているギーンの方へ寄っていき、
「もう終わったのか?」
「はい、一通り。グランデル村についての報告も済ませました」
「そうか。悪かったな、任せちゃって」
「いえいえ」
ギーンは笑顔で横に手を振り、
「……それより、ちょうどよかったです。夕飯ご一緒しませんか? 誘われたんですよ」
「誘われた? って、誰に?」
と、俺がギーンに尋ねたところで、俺達の方に割って入ってきた人物。
そろそろ夜風が涼しくなる時期だというのに、いまだTシャツにハーフパンツ、サンダルといういでたちで、茶髪にバンダナを巻いた、二十台後半くらいのお兄さん――――アンディさんだった。
アンディさんは、俺とギーンの肩にぽんと手をのせ、
「おう。ちょっと、付き合ってくれ」
「そうか。コルート博士は生きてたか……」
アステル城下町の外れ、今まで俺はその存在も知らなかった食事どころの個室で、俺とギーンを目の前に据えたアンディさんに、俺は今回のグランデル遠征の顛末を伝えた。
俺は食べ終わったビーフシチューの皿をテーブルの脇に寄せながら、
「アンディさんは知らなかったんですか、そのこと? ラキから聞いたりしてなかったんですか?」
「ああ、あいつとはここ数ヶ月連絡を取ってなかったからな。あいつが今どんな仕事してんのか知らなかったんだが――――なるほど、コルート博士の護衛ねえ」
アンディさんは腕を組み、納得するように一つ頷いて、
「しかし、これですっきりしたぜ」
「すっきり? 何がです?」
「何でここ最近、アステルで隠密っぽいやつを見かけることが多かったのかってことだ」
「隠密っ? この町にもいたんですかっ?」
「ああ、まあ監視するだけみたいで、殺気はなかったんだがな。ただあんまり鼻につくんで、知り合いにそいつらのマークをさせてたんだが。……早めに手を売っておいて正解だったな。いつの間にか『サイキ』をぶん盗られて奴らの戦力をアップさせてたんじゃ、目も当てられねえし」
「そ、そうだったんですか……」
……いや、本当に危なかった。『銀石』が完成したのが二日前。その直後からカザミドリが『サイキ』の奪取に本格的に乗り出していたとしたら、本当に間一髪だった。アンディさんの判断の早さに感謝するばかりである。
俺は心うちで身震いしながら、
「……あ、ありがとうございました」
「くはは、いやなに」
アンディさんは、いつもながらの気持ちいい笑顔で高笑い。
「あいつらにこれ以上戦力を与えちゃあ、本格的にやばいからな。…………グランデル村のあの惨状、お前らも見たんだろ?」
「ええ…………特等席で見ましたよ」
隣のギーンが、ほとんど笑っていないような苦笑いで頷いた。
「もし数十分のタイムラグがあったら、僕とダルクさんまで巻き込まれてました」
「……そうか」
アンディさんは、テーブルの上のリキュールを一口ごくりと飲みながら、
「そりゃあ、危なかったな。とりあえずお前らが無事で何よりだ」
「ええ……。しかし、あんなことになるなんて……」
テーブルの木目を見つめながら、ギーンはため息のように呟く。
と、グラスをテーブルに戻したアンディさんが、
「…………六件」
「へ?」
「昨日、同じようなことが他に、全世界で六件起こってる。『トロネオ』、『ツバラ』、『シェーン』、『アラスタス』、『リリ』、『フウト』の六つだ。これら六つの町や村とグランデル村が、奴らによって消されちまった。その被害者は――――概算で十万人に及ぶ」
「じゅ、十万……」
俺とギーンは、同時に声を漏らした。
アンディさんは静かに頷き、
「ああ。それだけの被害が出てる。しかも、どこもかしこも中規模な人里が選ばれてやがる。……まったく、狡い奴らだ」
「城や大規模な城下町は狙われてないんですか?」
「ああ。……まあ、そんな怪しい人間が、警備が厳重な城の中や城下町にそうそう入れるわけもないからな。アステルも当分は安全だろう。……ただ、奴らに多くの人間の命が握られてることには変わりない」
「……命を……握られる」
「そう。あいつらのさじ加減一つで何万人もの人間が消えちまうんだ。……ちっ! 俺達も色々注意はしていたんだが、いよいよ後手に回っちまった」
忌々しそうな顔で、虚空を見つめるアンディさん。
ギーンは、オレンジジュースを一口こくりと飲み、
「……しかし、こうなるといよいよ各国の軍が動くことになりそうですね。戦争――――なんて大規模な抗争にならなければいいんですが」
「いや、国は動かねえよ――――とうより、動けねえ」
「え?」
ギーンは顔を上げ、きょとんとして、
「国が動かない? どういうことです?」
「……向こうに『銀石』があるってことは、ようは人質をとられてるようなもんだ。大々的に動いて、それが向こうにばれたら、その国の町や村が消されかねねえ。人民を守るのが国の役割だからなあ。…………いや、強情な軍事国ですら、経済の混乱が起きるのを恐れて、そう簡単には手は出せねえはずだ。できて隠密行動くらいだろう」
「軍事国ですら、ですか……」
「ああ。こういう事態を回避するために、それぞれ色々動いてたはずなんだがなあ。後手後手になっちまってる。……やっぱ大きい組織ってのは、どうしても動きが遅くなるもんだ」
「じゃ、じゃあ、どうするんです?」
疑問――――というより、むしろ追及するような口調で、ギーンは
「国が動けないんじゃ、誰がカザミドリを止めるっていうんですか? このままじゃ、あいつらが野放しに――」
「だから俺達がいるんじゃねえか」
アンディさんは、シニカルな微笑をギーンに向けてきた。
「俺達ギルドの人間なら――何も背負わず、各々が個人でしかない俺達なら――あいつらを真っ向から敵に回せる。あいつらと戦えるのは、俺達賞金稼ぎしかいない」
「……でも、どうやって? 攻撃しようにも、あいつらの動向が掴みきれてないんでしょう?」
「それが、おかげさんでな」
ギーンの疑問に、アンディさんはモノを含んだような笑みで、
「最近、奴らに関する情報が飛躍的に集まるようになったんだ」
「……コルート博士からですか?」
「いや、別口の、もっと信頼できるところだ。――――で、昨日までに、必要な情報はすべて揃った。というか、揃えた」
「……全部?」
「ああ」
アンディさんは大きく頷き――
「――あいつらの拠点は、すべて押さえた。もちろんカザミドリ本隊の居場所も」
「本当ですか!」
イスを揺らし、中腰になるギーン。
「ああ。おかげさんでな。ちゅうわけで、カザミドリ本隊の殲滅作戦を組むことになった――――というか、組んでる。メンバーもすでに決まってる」
「そ、そうだったんですか……」
「ああ。それで、俺も本隊拠点の潜入組みになっててな。ギルドの総力を挙げて直々に戦いに行くことになった――――そこでだ」
アンディさんは、急に俺達を真っ直ぐ見据えてきて、
「本隊殲滅作戦に召集されたメンバーは、各々補充人員を連れてくることになってるんだが――――俺はお前達を連れて行こうと考えている」
「お、俺達ですかっ?」
俺は思わず聞き返した。
「いや、いくらなんでもそりゃ無理があるでしょう。いや、諜報員としてギーンは分かりますが…………でも俺は、足手まといにしかなりませんよ。アステルギルドには、もっと他にも腕に覚えがある人間がいるでしょう? これは危険な作戦だってのは、俺だって理解してます。大体そんな独断、他の人の猛反発に会うのは目に見えてるじゃないですか」
「そうでもないぜ」
アンディさんは頬を引きつらせた笑みを浮かべ、
「リンクさんも同意してくれた。他の連中も、ダルク、お前が少々〈まともじゃない〉ってことには、薄々感づいてるぜ。……まあ、十三番隊殲滅作戦の時に俺がお前を重宝しちまったせいで、その疑惑が濃くなっちまったみたいだがな。とりあえず、反対する奴は誰もいねえ。問題はない」
その婉曲的な言い回しに、隣のギーンがいぶかしんだ顔で俺を見ている。
しかしアンディさんは、そんなギーンの表情を意に介することなく、
「とにかく、俺はこの作戦に命を懸けてる。そして成功させるために、お前らの協力が必要だと思ってる。だから、付いてきてくれねえか?」
懇願というよりもむしろ諭すように言ってくるアンディさんに、俺は
「……何でアンディさんは、カザミドリに関して、そんなに積極的なんですか?」
静かに問いかけた。
「十三番隊壊滅作戦の時だって、アンディさん、何やら暗躍してたんですよね? やけに深く絡んでるような。……何かあったんですか?」
「……まあ、な」
アンディさんは言いにくそうに、口元を歪めながら、
「……実はよ、俺は今まで、三人ほど使いっぱしりを置いてたんだ」
「使いっぱしり?」
「ああ。弟子……みたいなもんさ。そこまで本格的なもんじゃなかったがな。ギルドにおけるイロハ、状況判断におけるノウハウ、そして戦い方を詰め込んでやったんだ。俺も、あと数年したら第一線を退くことになる。その前に、次の世代の人間を育てておこうと思ったわけだ」
「はあ、それは意外でしたが…………しかし、それがカザミドリとどんな関係が?」
「ああ。実はな――
――その三人が三人とも、カザミドリに行っちまったんだよ」
「…………」
「いよいよそいつらの頭角が現れてきた、いよいよギルドの第一線に躍り出るって時に、カザミドリに引き抜かれていっちまった。……まあ、俺はこの通り大雑把な性格だからな。あいつらの人間性までは把握できなかった。コントロールできなかった。ただ、競争相手を凌駕する、虐げる、退ける術とその快感を教えただけで、それだけで終わっちまった。言いにくいが――
――イヴァリーも、そのうちの一人だ」
「な……!」
反射的に声が漏れる。
……イヴが、アンディさんの教え子? そ、そんな――
――いや、思い当たる節はある。あいつは服装がどことなくアンディさんに似てたし、その口調や性格も……。第一印象の際、俺はあいつをアンディさんとダブらせてしまったのも、否定しようのない事実だ。
あいつはアンディさんを師とした人間、だったのか……。
「……だから俺は、カザミドリに戦力を与えちまったみたいなもんだ。あいつらに殺された人間のうち数パーセントは、俺の責任でもある。だから俺はあいつらを止めなきゃなんねえ。止める義務がある。なんとしても止めたい。だから――」
アンディさんは俺達の前で、深く、深く、深く、その頭を落として、
「――頼む。俺に力を貸してくれ」