第九話
……何もない。
何も、ない。何も、ない。何も、ない。何も、ない。
ここには、何も、ない――――いや、無くなった。何もかもが無くなった。
消えてしまった。
刹那で、消えてしまった。
あっけなく、消えてしまった。
家も、店も、宿も、門も、道も、柵も、塀も、井戸も、食べ物も、飲み物も、日用品も、美術品も、本も、草も、木も、花も――――そして人も。
つい数分前まではあったのに。あったはずなのに。
ここには民家があったはずなのに。そこで家族が暮らしてたはずなのに。
ここには店舗があったはずなのに。そこで買い物客が談笑してたはずなのに。
ここには宿屋があったはずなのに。そこで休んでいる旅人がいたはずなのに。
ここには食堂があったはずなのに。そこで料理に舌鼓を打っている人がいたはずなのに。
ここには酒場があったはずなのに。そこで宴会を開いている人がいたはずなのに。
ここには花屋があったはずなのに。そこで花を愛でている人がいたはずなのに。
……そう言えば、さっきの宿屋のおじさんはどうした? どうなった? あの白ヒゲの笑顔はどこへ行った? せっかく顔見知りになったのに。せっかく名前を覚えてもらえたのに。せっかく常連になったのに。せっかく一割引してくれたのに。あのおじさんはずっと……息子の帰りを楽しみに待ってたのに。
宿屋の前の道でよくサッカーをしてた坊主頭の男の子はどうした? どうなった? あの無邪気な笑顔はどこへ行った? 見かけるたびに「お兄ちゃんも一緒にやろうよ」と笑いかけてきてくれたのに。
この村に来るたびにいつも通ってたレストランで「うちのお勧めは魚料理だ。食ってみなよ。驚くほどうまいからな」と言ってくれた料理長はどうした? どうなった? あの自信満々な笑顔はどこへ行った?
よく道を聞きに行っていた駐屯所で「グランデル山にゃあ水汲み場が一つもないからな、飲み水は多めに持ってった方がいいぞ」と教えてくれた自警団の人はどうした? どうなった? あの気遣うような笑顔はどこへ行った?
どこへ行った? どこへ往った? どこへ逝った?
――消えた、のか?
馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な――――そんな馬鹿な。
さっきまでここにあったのに。あったはずなのに。
――けれど
それはもはや夢か幻だったとしか思えないほどに――――ここには何もない。
何も、ない。何も、ない。何も、ない。何も、ない。
まるで雨の降らない荒野のように、えぐれて焦げた土しか、ここにはない。
「これほどとは……」
俺の横、呆然としたギーンが、自分に語りかけているように声を出した。
「まさか、『銀石』の破壊力がこれほどだったなんて……。半径数十キロを、すべて無に帰してしまうなんて……」
「……ってか、どういうことなんだ、これは?」
俺はギーンに問いかける。
「どうやったらこんなことができるんだ? 『銀石』は発射できないはずなんじゃないのか?」
「恐らくとしか言いようがありませんが――」
ギーンはなおも黒い地面を見下ろしながら、
「――ここに『銀石』を運び込んで、この場所で人為的に発動させたのでしょう」
「何だ? この村に『銀石』を設置して、遠方からそれを射撃したってたってのか? それとも誰かが発動させるのを待ってたとか?」
「……いえ。『銀石』はあくまで貴重なものですし、ギルドに『カザミドリ殲滅作戦』が届いて以降はどこも結構厳重に警戒されてましたからね。『銀石』を放置するなんてリスキーなことはしないでしょう」
「……じゃあ、どうやって」
「恐らく、ですが――」
ギーンは言いづらそうに声を溜めたあと、
「――自爆です」
「じ、自爆っ?」
俺は驚愕しつつ、
「何でまた、そんなことをしたんだっ?」
「十中八九、この『銀石』の恐ろしさを知らしめるため、そしてカザミドリの脅威を知らしめるためでしょう。この所業に恐れをなした国に対して、有利に交渉できると目論んでいるのかもしれません」
「そんな……ことのために――」
――奴らは村を一つ消したのか? 何百人の人間を消したのか? そんな、そんなことのために……。
俺の脳裏に、リンクさんの言葉がフラッシュバックする。
『複数の国を相手にして戦争を起こせるだけの戦力』
あの時は、このセリフを〈セリフ〉としてしか理解してなかった。認識してなかった。いまいち想像できていなかった。イメージできていなかった。
――しかし……そうだ。そうなんだ。
国に対抗できる戦力。戦争を引き起こせる戦力。国を潰すことができるだけの戦力。国民を皆殺しにすることができる戦力。つまりは、そういうことなんだ。
村一つを――――数百人の人間を一瞬で消せる。
俺の親類だろうが、友人だろうが、知り合いだろうが、敵だろうが、他人だろうが、わけなく、難なく、関係なく、すべてを消し去る。消し去ることができる。
それは、そういう〈力〉のことだったんだ。
リンクさんは、そういう〈力〉のことを言ってたんだ。
俺は理解した。ようやく理解した。目の当たりにして、理解した――――理解しても、すでに手遅れだが。
……いや。あの時俺がちゃんと認識していたところで、何も変わらなかっただろう。どうにもならなかっただろう。俺一人にはどうしようもなかっただろう。なす術がなかっただろう。
それだけの戦力――――殺戮能力なんだ。
――ふと、
「……あるいは」
ギーンが顔を上げ、俺の方を見てきた。
「ここにカザミドリの敵になる人間がいて、その人を消すために講じた策である可能性も否定できません」
カザミドリの敵? ……って、まさか――
「――クルート博士!」
「……いえ、それは違うでしょう」
ふるふると首を横に振り、ギーンは否定してきた。
「あいつらの目的は、クルート博士に『サイキ』のシステムを聞き出すこと。消してしまっては意味がありません。彼らの標的は別でしょうね。……とはいえ、これだけのことをしたんです。この〈結果〉を確認するためにカザミドリの人間がこの近くに来ている可能性もあります。博士とラキさんがあの後すばやく身を隠したのは正解だったでしょう」
――そう。
この爆発があった直後、ラキは俺に目配せをして一つ頷くと、博士を抱えて山の奥の方へ身を隠してしまったのだ。どうして山の上へと登っていったのか少々疑問だったが……そうか。ラキはあの瞬間でそこまで考えが至っていて、そういう選択をしたわけか。呆れるほど思考が早い。
しかし――
「――あいつら、こんなことをする道具と意思があるってことは、世界中どの町も、今にも消される可能性があるってことじゃないか。……くそっ、ヤバいじゃないかよ」
もはや誰の形見も遺骨も、思い出すら拾えないような黒い大地を、俺は再度見回した。
ここには、もう何もない。
何も、ない。何も、ない。何も、ない。何も、ない。
ここには、もう絶望しかない。
どうしたって、どうやったって、笑い話には転ばない。どう転んでも、笑えない。笑えやしない――――絶望するしかない。後ろ向きにしか、ならない。
……こんな光景を見て、それでもあの厚顔無恥男ロットなら、前を向くことができるのだろうか? 考えなしなくせにいつもギリギリでピンチをかわしていくあの男なら、どうにかできただろうか? あの男がここにいれば、どうにかなったのだろうか? 「はっはっは」という高笑いと共に、解決できたのだろうか?
……俺は、こんな状況なのに――あるいは、こんな状況だからこそ――あの底抜けた笑顔が、やたら懐かしかった。