02.吸血鬼と宇宙人
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。
おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
おばあさんが川原で洗濯に勤しんでいると、川の上流から、高さ一メートルはある大きな桃が流れてきました。
おばあさんは流れ着いた桃を得意の怪力で持ち上げると、おじいさんと食べるために、家へ担いで帰りました。
しかし、おばあさんは思いました。
『これは本当に桃なのだろうか?』
突然変異でこんなに大きくなったのか、はたまた桃とは違う物体なのか。
そこへ、山からおじいさんが帰ってきました。
大きな桃を見たおじいさんは思いました。
『これは本当に桃なのだろうか?』
突然変異でこんなに大きくなったのか、はたまた……と考えながら香りを嗅いでみると、正真正銘のジューシーな桃の香りがしました。
これは桃に違いないと結論付けた二人は、包丁で切ってみることにしました。
ところが、そのときでした。
身の危険を感じた桃は、実から白い煙を吐き出すと、屋根を突き破ってどこかへ飛んでいってしまいました。
『きっとあれは宇宙船だったのね』
と、空いた穴から青空を見上げて、おばあさんは言いました。
『今は桃が実る季節ではないものなぁ』
と、おじいさんは言ったとのことです」
満足そうに話し終えたのは、ヴァルゴだった。椅子に座るヴァルゴの膝には、にこやかに笑う赤ん坊がいた。
「……とのことです? 誰に聞いたんですか」
ヴァルゴの正面の席で聞いていたモリオは、すかさず訊ねた。
「俺のじいちゃんだよ」
「僕が知っている話とはちょっと違いましたね」
「ふーん」
ヴァルゴが赤ん坊をあやしていると、若女将がトレイに料理をのせて運んできた。
「はい、お待ちどおさま。ありがとうね、チビちゃんの相手をしてくれて」
「俺も楽しかったよ」
テーブルに置かれたのは、二人分の餃子定食だった。
若女将は赤ん坊を抱き上げると、店の奥へと入っていった。
山盛りのご飯と玉子スープ、大きな餃子からは、食欲をそそる香りと共に湯気が上がっている。
「いただきまーす」
割り箸を割って、ヴァルゴは熱々の餃子にかぶりつく。
「あー、うまい! 今日は吸血する人間の目星もついてるし、心に余裕があると食事もおいしく感じるってことだね〜」
「ヴァルゴさん、他のお客さんもいるんですから、静かに話してください」
モリオは小声で忠告した。
「いけねっ」
古びた店ながら、席はそこそこ埋まっていた。
ヴァルゴとモリオは食事を進め、そろそろ食べ終えるという頃、厨房から店員が出てきた。
彼は、何度か出てきては他のテーブルを回っていて、今度はヴァルゴ達のテーブルへとやって来た。
「お食事中、失礼します。よろしければ、新しいデザートの味見をしていただけませんか?」
まだ十代にも見える若い青年は言った。
「味見? っていうか、君は?」
「新しいアルバイトの子よ。厨房に入ってくれてるの」
赤ん坊を背負って、若女将は他のテーブルの後片付けのために再び姿を見せた。
「へえ。じゃあ、貰うよ」
「ゆずのシャーベットを作りました」
小さい器に盛られたシャーベットが置かれると、ヴァルゴとモリオは、スプーンで一口、舌にのせた。シャーベットは、冷たさを残してすぐさま溶けていった。
「うん、うまいよ!」
「ほどよい甘みで、口の中がスッキリしますね」
二人の感想を聞くと、青年はホッとして笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「そのお代はいらないからね」
若女将の一言に、ヴァルゴは拳を高らかと上げた。
「タダでいいの? ラッキー!」
「みっともないですよ、ヴァルゴさん」
他の客からじろじろと見られ、モリオは苦い顔をした。
食堂を出たヴァルゴとモリオは、飲食店が連なる通りを歩いた。夕食時は過ぎていたが、並ぶレンガ造りの建物には、まだまだ客の出入りがある。
「今夜は吸血が成功する気がするぞ〜!」
ご機嫌なヴァルゴが軽い足取りでいると、紅茶店に見知った横顔を見つけた。アリエスだった。
窓ガラス越しにアリエスもヴァルゴに気づき、眉をひそめる。
ヴァルゴが紅茶店に入ると、モリオも後を追った。
「よう、アリエス」
ヴァルゴは、無遠慮にアリエスの隣の席に腰掛けた。
「わざわざ店に入ってくるな。……お前、この匂い……ニンニクか?」
アリエスは、嫌な予感がして青ざめた。
ヴァルゴは、おいしかった食事を思い出して陽気に答える。
「わかる? さっき餃子を食べてきたんだよ。ニンニクたっぷりのやつ」
魔除けに使われるニンニクの香りをアリエスが得意なわけもなく、アリエスは手で鼻と口を覆うと、ヴァルゴから顔を背けた。
「ケホッケホッ。信じられないバカだな! あんなものを食べるとは」
「アリエスこそ、味がわからないのに紅茶なんか頼んで何してんの? ズズッ」
ヴァルゴは、紅茶が注がれていたティーカップに口をつける。
「勝手に飲むな。人と待ち合わせているんだ。邪魔だから帰れ」
そのとき、窓の向こうからアリエスに手を振る女性が現れた。
白いワンピースの上にストールをまとった優しげな笑顔の彼女を見て、ヴァルゴは目を疑った。
「ああっ! 俺が狙ってたおねえさん!」
アリエスは席を立つと、
「残念だったな、ニンニク吸血鬼」
と言い捨てて、店を出ていった。
窓に張り付いて悔しがるヴァルゴには構わず、アリエスと彼女は、賑やかな通りから離れるように裏道に入った。
「お友達とご一緒だったのですか?」
「あのような輩が友人のはずがありません。絡まれて困っていたんですよ。あなたが来てくれて助かりました」
アリエスは微笑すると、さりげなく彼女の肩に手を回した。
彼女は、美しいアリエスの笑顔に、思わず見惚れた。
二人は、ゆっくりと歩きながら展望台に辿り着いた。ちょっとした高台が設けられているだけの場所だったが、そこからは家々の明かりが光の粒のように見えた。
柵に手を掛けて、彼女はぽつりと言った。
「夜にしかお会いできないなんて、残念です。まるで、物語に出てくる吸血鬼みたい」
「古い物語を知っておいでなのですね」
アリエスは、彼女を背中から抱くように寄り添うと、彼女の手に自分の手を重ねた。
「でも、アリエスさんは、そんなに怖ろしい魔物とは違いますよね」
薄暗い闇の中で、アリエスは口の端を上げる。
「見て。あそこが、私達が出会った公園です。春になると、花がたくさん咲きますよ」
彼女の視線の先には、円を描く街灯が並んでいる。
うっとりと雰囲気にのまれている彼女は、背後にいる男の正体を知らなかった。
「あなたのお好きな花は、何ですか」
アリエスは訊ねた。
「私は、薔薇が好きです」
「そうですか」
澄んだ瑠璃色をしたアリエスの目が、笑った。
「僕はね、トゲのある花は、……大嫌いです」
「……え?」
彼女が振り返ろうとしたときには、すでにアリエスの鋭い牙が細い首筋に突き刺さっていた。
声を上げることもできないまま、彼女はアリエスの腕の中で気を失った。
翌朝、自室で目を覚ました彼女に、昨夜の記憶はなかった。首筋にあった二つの吸血痕も、朝には傷痕が残ることなくきれいに消えていた。
*
のどかな午後だった。
普段なら無駄にらんらんとしているはずの琥珀の目は、力なく瞼が半分下りていた。
穏やかなガーネットの街を散策しながら、ヴァルゴは溜め息を吐いて言った。
「昨日は吸血しそびれたから、今日こそは。今日も吸血し損ねたら三日連続だ、明日には老いてるかも……」
隣を歩いていたヴィヴィは、不思議そうに訊ねる。
「夜に出掛けたんじゃなかったの?」
「それが、狙っていた女性をアリエスさんに取られてしまったんです」
モリオの回答に、ヴィヴィは一瞬で血相を変えた。
「ヴァルゴ、女の子から吸血しないでって言ってるでしょ!?」
面倒そうに顔を背けたヴァルゴは、口を尖らせる。
「失敗したんだからいいだろ」
「何にもよくない!」
ヴィヴィとモリオは、口を揃えて威厳のない王子を責め立てた。
ヴァルゴ達が公園に入ったときだった。噴水が水を絶え間なく吹き上げる真向かいのベンチに、学校の制服姿の少年が座っていた。
少年は読んでいた何冊かの本を鞄にしまうと、それを背負って立ち上がり、その場を去った。
しかし、ヴァルゴはベンチに置かれたままの本に気づいた。
「あの子、忘れてるんじゃないか?」
ヴァルゴが取り上げた本には、『吸血鬼の歴史』というタイトルが記されていた。
「この匂い、どこかで……」
ヴィヴィは、その本についた匂いには心当たりがあった。
「その本の持ち主って、もしかして……」
ヴィヴィが危機感を抱いたときには、ヴァルゴは少年に追いついてしまっていた。
「ちょっと待て、少年!」
少年は、ヴァルゴの呼びかけに振り向いた。
「何でしょうか」
彼は、以前、ヴァルゴ達が吸血鬼城で助けたリノンだった。
「おまえ……」
ヴァルゴも、リノンの顔を忘れてはいなかった。彼は、吸血鬼に関心のある、今時珍しい子どもだった。
「あの子、私達の顔を知ってるんじゃ?」
「ヴァルゴさん、戻ってきてくださいっ」
噴水の陰に隠れたヴィヴィとモリオだったが、リノンは至って普通のリアクションしか示さなかった。
「これ、忘れ物じゃないか?」
「ああっ! そうです、ありがとうございます!」
「面白そうな本を読んでるんだな」
ヴァルゴの発言に、リノンは驚いて訊き返した。
「面白そうだと思われますか?」
「俺も好きだよ、吸血鬼。いるって信じてる」
吸血鬼であるヴァルゴは、さらっと言ってのける。
「本当ですか? この街に来て、吸血鬼を信じている人に初めて会いました。大昔に存在した幻の生き物だと思われていますから」
「そうらしいな。ツチノコと同じ扱いだからな」
ヴァルゴの帰りを待つヴィヴィは、肝を冷やしながら見守っていた。
「何してるのよ、ヴァルゴ〜っ!」
「なぜか話が盛り上がっているみたいですね」
リノンは、半ズボンのポケットから小さい手帳を取り出すと、ヴァルゴに開いて見せた。そこには、タソガレ山の森をどのように進んだかの記述があった。
「これを見てください。僕は先日、吸血鬼がいると言われるタソガレ山へ入ったんです」
「ほほう」
「ところが、帰宅すると山の中で迷子になった所までしか記憶がありませんでした。メモをしながら歩いていたのに、記述も森へ入った時点で止まってしまっています」
「迷子になってパニックになったんじゃないのか?」
「迷子になっても、僕は探索を続けたと思います。だから、不自然なんですよね」
リノンは、ヴァルゴが想像するよりも遥かに吸血鬼に執着していた。
「だけどさ、子どもが迂闊に山に入るのは危ないぜ。気をつけろよな」
「はい」
素直に返事をするリノンは、片手をヴァルゴに差し出した。
「僕はリノンといいます。仲良くしてください」
「俺はヴァルゴだ、よろしくな」
二人は握手を交わし、リノンは家路についた。
やっと噴水の陰から出てきたヴィヴィとモリオは、胸を撫で下ろす。
「もう、ヴァルゴの正体がばれるんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」
「アリエスが記憶を消したんだろう」
リノンと親しげだった主を心配して、モリオは忠告する。
「ヴァルゴさん、人間と仲良くなったらいけませんよ」
「わかってるよ。だけど無下にはできないじゃん。吸血鬼のことが好きな奴をさ」
二人の心配をよそに、ヴァルゴは犬歯を覗かせて笑った。
ヴァルゴ達は、人がまばらな公園を抜けると、大通りに出た。平日でも活気に溢れ、車の行き来も多い。
そんな通りにいた人々が、一つの方角を見上げて、にわかにざわめき始めた。
「どうした? 何があった?」
ヴァルゴ達が背の高い建物の群れを過ぎると、人々が指差す青空に、日光を反射して光る物体を見つけた。
ライトを点滅させる一機の円盤らしき姿に、大人も子どもも、口々に「宇宙船だ」と漏らした。
「確かにあれは宇宙船だな」
ヴァルゴは、驚きもせずに呟いた。
「えっ、本当に宇宙船なんですか?」
モリオはそわそわしながら言う。
「モリオは、宇宙船を見るのは初めてなの?」
ヴィヴィも平静だった。
「当たり前です! ヴァルゴさんもヴィヴィさんも、どうしてそんなに冷めているんですか?」
興奮したモリオは、空を蛇行して飛ぶ円盤に釘付けになった。
「どうしてって、飽きるほどに見たわよ」
「十年に一度は、こんなことがあるな。騒がしくなってきたから帰るか」
大衆の熱気が高まる中、ヴァルゴとヴィヴィは来た道を戻る。
「ヴァルゴさん、僕、もっと見たいんですけど!」
「好きなだけ見てこい。俺は城に帰ってるぞ」
「はい!」
ヴァルゴは振り返ることなく手を振り、モリオは目を輝かせて空を見上げた。
宇宙船の噂は、タソガレ山から突き出た丘に建つホリホック城にも届いていた。
「母さん、聞いたかい? 宇宙船だってさ。ヴァルゴも見たかな」
三階の窓から遠い街並みを眺めて、大王は言った。
「昼間から街をふらふらしても、いい獲物を見つけるわけでもない……。あれでホリホックの王子である自覚があるのかしら」
大王の隣に並んで、女王は溜め息を吐く。
「直系の王子は、しっかりしていそうだもんねぇ」
大王の何気ない一言に、女王の耳はぴくりと動いた。
「……はい? あんッなイヤミ小僧よりは、うちの子のほうがマシよ! 何? あなた、それでもヴァルゴの父親なの!?」
一瞬にして怒りが頂点に達した女王を、大王は顔色一つ変えずになだめる。
「はははは。まあ、そうカリカリしなくても」
「何を笑っているのよ! あなたがノホホンとしているのがヴァルゴに移ったんじゃないの!?」
噛み付かんばかりの勢いある女王の唇に、大王は人差し指を当て、
「母さん。私に八つ当たりをしても、だ・め・だ・ぞ?」
と言うと、ウインクをして見せた。
女王は俯いて拳を震わせると、大王の胸ぐらに掴みかかった。
「……あなたって人は、私をバカにしているの!? 男のぶりっ子なんて需要ないわよ!」
「はっはっはっ。今は可愛いおじさんもモテる時代だぞ」
「まさか自分がそうだと言いたいんじゃないでしょうね!?」
女王の怒号を廊下で聞いていた使用人達は、「お二人は今日も仲良しだ」と言って笑い合った。
モリオがホリホック城に戻ってくると、ヴァルゴの姿はどこにもなかった。コウモリ仲間の使用人達に聞いても、行方がわからない。こういうときにヴァルゴがどこへ出かけているのか、モリオは知っていた。
山の奥深くに、木造二階建ての一軒家が建っていた。そこには“仙人”と呼ばれる老吸血鬼が一人で住んでいて、よくヴァルゴの話し相手になっていた。
「ごめんください」
モリオは玄関をノックしたが、中から応答はない。日頃から自由に入っていいと言われていたこともあって、モリオは家に入った。
一階には人気がなく、階段を上がって二階に行くと、話し声がしてきた。
二階に上がってすぐの和室にヴァルゴの姿を見つけて、モリオはホッとする。
「ヴァルゴさん、やっぱりここにいたんですか。街では宇宙船騒ぎが大きくなって……」
ところが、モリオはすぐに畳部屋にある違和感に気づき、口をつぐんだ。
ちゃぶ台を囲む面子の中に仙人の姿はなく、妙につるつるとした後ろ姿の人物が一人いた。
「いやぁ、参りましたよ。消えるタイミング失っちゃって。かくまってもらえて助かったー」
服も着用せず、全体的につるつるとした表面の人物は、ちゃぶ台に湯のみを置いて一息ついた。
「毎度毎度サービス精神旺盛だよね。お前んとこの文明なら、まったく姿を現さずに来ることくらい簡単だろ?」
ヴァルゴは茶菓子に手を付けながら言う。
「だって、地球人だけですよ。俺たちがピカピカ宇宙船を光らせて喜んでくれるのなんて」
「なんだー、結局お前も楽しんでんじゃん!」
「えへへ!」
会話の内容に愕然としながら、モリオは部屋に顔を出した。
「……ヴァルゴさん? その方は……」
ヴァルゴはようやくモリオに気づき、客人もモリオに振り返った。
「おう、モリオ。紹介するよ。まるまる星から来た、まるまる星人のまるまるくんだ!」
「どうも、まるまるです」
「とても漠然としていらっしゃる……」
モリオに顔を見せたまるまるは、ゆで卵のような白い頭がのった人型をしていて、黒ゴマを付けたような目と鼻があった。
彼は、明るい口調で笑う。
「未確認生物なんて、みんなぼんやりしているものですよ!」
「それはあなたが言うことでは……もはや未確認ではないですし」
あまりにも自然にこの場に溶け込む宇宙人を見て、モリオは、宇宙船を見て高揚していた気分が一気に冷めた。
「我がシモベ達よ、集まっておったのか」
「あ……、お邪魔しています」
モリオがうなだれていると、いつの間にか仙人が階段を上がってきていた。
「素直に友達って言えばいいじゃん。急用で上がらせてもらったよ」
仙人はコンビニエンスストアの袋を畳に置いて、ヴァルゴとまるまるの間であぐらをかいた。
「ふむ。ところで、このゆで卵は何者じゃ」
「ゆで卵じゃなくて宇宙人ね」
「宇宙人じゃと!?」
ヴァルゴは、仙人に事の顛末を説明した。仙人は、街に宇宙船が現れたことすら知らなかった。
まるまるは、ヴァルゴの話に付け加えて言った。
「偵察のついでに人間に宇宙船を見せたら、すぐに帰る予定だったんです。それが、街の盛り上がりに応えたくなってしまって、ぐるぐると飛んでいるうちに、大事になってしまいました」
「いい奴だよな、お前」
ヴァルゴのフォローに、まるまるは首を横に振る。
「とんでもないです。宇宙船まで隠していただいている身ですから」
「隠した? どこにじゃ」
仙人の家の周りは木々が密集していて、大きな宇宙船を置くスペースはなかった。
「ホリホック村の地下だよ。城所有の貯蔵庫が一つ空いてて、そこにワープしてもらった」
ヴァルゴの話に、仙人は長いあごひげを撫でながら感心した。
「興味深い話じゃ。わしも見てみたいのう」
「仙人、宇宙船を見たことないの?」
「間近ではな」
「できれば、人々が寝静まっている明け方に出発したいと思っています。そのときにご覧になりますか?」
まるまるが提案すると、仙人は、
「よい案じゃ!」
と膝を叩いた。
「じゃあさ、明け方までまるまるくんをここで預かってくれない?」
「それはダメじゃ。夕方には滝行に出かけねばならん」
「打たせ湯だろ?」
ヴァルゴの指摘には、仙人は知らないふりで茶菓子をつまんだ。
「じゃあ、城に来るか。部屋ならたくさん空いてるしな」
「いいんですか?」
まるまるは声を弾ませたが、モリオは正体不明の宇宙人を訝しげに見ていた。
「ヴァルゴさん、大王様と女王様の許可をいただかないと……」
「一人くらい増えたって気がつかないよ。朝には出て行くんだもんな」
「モリオさん、ご迷惑をおかけしてすみません。一晩だけよろしくお願いします」
「……女王様の逆鱗に触れても知りませんよ?」
モリオは、強張った表情のまま言った。
夜を迎えた吸血鬼城では、目を覚ましたアリエスがシャワーを浴びていた。
バスローブを着て部屋に戻ったアリエスに、メイドのベルは近況を伝える。
「アリエス様。昼の間に宇宙船が目撃され、宇宙人と宇宙船がホリホック城でかくまわれているのではないかと、私共コウモリの間では噂になっております」
「問題ないだろう。僕は、危険な気配は感じていない」
アリエスは、床から天井まである窓に近寄ると、真っ暗な外へと意識を向けた。
「街の様子は?」
「警官が出動するなど、夜になっても物々しい状態が続いているようです。宇宙船というよりは、不審な飛行物体として警戒されています」
アリエスが感じ取った、窓の向こう――暗い森を下りた先に続く街並みの様子は、ベルの話を裏付けるように、警官や野次馬でごった返していた。
「街に下りるタイミングは、頃合いを見ることにしよう」
「かしこまりました。それまでは、いかがなされますか」
アリエスは、側のソファーに深く座って言った。
「吸血鬼村に行く。ターゲットの女に贈るプレゼントが必要なんだ。ベルも来てくれるか?」
「お供致します」
ベルは、浅く頭を下げて応える。
煌びやかなシャンデリアを映す窓には二人の姿があるはずだったが、そこにアリエスの姿はなかった。
ホリホック城では、就寝時間が近づいていた。
ヴァルゴとモリオは、宇宙人をゲストルームに案内するため、階段を三階まで上がった。
「食事からお風呂までお世話になって、何と御礼を言ったらいいか」
まるまるは恭しく言った。
「困ったときはお互い様だ」
ヴァルゴは明るく言うが、モリオの表情は晴れず、イソギンチャクを逆さまにしたようなまるまるの足に視線を注いでいた。複数の足は、まばらに動きながらも安定した速度で歩行する。
ゲストルームのドアを開けると、そこには天蓋付きの立派なベッドが備え付けられていた。
「まるまるくんは、五時に起きれば間に合うよな?」
「はい」
「モリオ、俺のことも五時に起こしてくれ。仙人も迎えに行かないとな」
「はい……」
「じゃあ、おやすみ。また明日!」
「おやすみなさい。ヴァルゴさん、モリオさん」
モリオはドアを閉めかけた。しかしそのとき、後ろを向いた滑らかなはずのまるまるの後頭部に、ヒビが入っていることに気がついた。
青ざめたモリオは、廊下を歩きながら矢継ぎ早にヴァルゴに訊ねた。
「ヴァルゴさん、見ましたか? あ、頭にヒビが……! まるまるさんは何者ですか? 悪い方ではないんですよね? ヴァルゴさんのお友達なんですよね?」
「は? 友達じゃないよ。今日知り合ったばかりだもん」
「ええっ!? そ、そんな素性もわからない宇宙人を城に入れたんですか?」
得体の知れない宇宙人に怯えるモリオだったが、その横でヴァルゴはふらつき、壁に手を付いた。
「あっ、ヴァルゴさん!」
「まるまるくんの相手をしてる間は気が紛れてたが、やっぱりだめだ。血が欲しい……」
「保存食の血液を持ってきましょうか」
「新鮮なのがいいんだ……」
ヴァルゴの目は、虚ろになっていた。
急遽、ヴァルゴとモリオは街に下りた。
街は、騒ぎの大きくなった中心部以外でも厳重な警戒が続いている。
家々の窓には侵入者を拒む板が打ち付けられ、迷信を信じる家庭の玄関には、魔除けとして柊の葉や鋭いトゲのある薔薇の茎で作ったリースが飾られていた。
「ヴァルゴさん、どこに向かいますか? どの家も普段より入りづらそうです」
「食堂の隣にあるボロアパートはどうだ?」
行きつけの食堂の隣にある五階建てのアパートは、建てつけが悪いせいなのか、時折閉めたはずの窓に隙間が開いているのをヴァルゴは見つけていた。
ヴァルゴ達が辿り着くと、いくつかの部屋には明かりが灯っていた。
裏道に回ると人影もなく静かで、「お先に失礼します」と声が響いたかと思うと、食堂からアルバイトの青年が帰っていく姿が見えた。
ぼんやりとしながらも、ヴァルゴの目は窓の隙間を探した。そして、ほんの僅かな隙間があったのが、四階の明かりがない部屋だった。
「決めたぞ、モリオ。四階の、あの端の部屋だ」
「人がいるか、見てきましょうか?」
「自分で行ったほうが早いな」
ヴァルゴはそう言って、瞼を閉じる。
「ヴァルゴさん、集中してくださいね。塵になれるのは短時間なんですから」
「わかってる。こういうときは、自由に塵になれるアリエスがうらやましいぜ」
意識を自分に集中させ、再び開かれたヴァルゴの目は、元々の琥珀色から、鮮やかな血の色に変わっていた。
ヴァルゴは、アパートを見上げた。それから瞬時に塵に化け、目的の窓まで煙のように昇ると、隙間から部屋の中へと侵入していった。
「やった!」
モリオはヴァルゴを見届けると、自分もコウモリの姿になって、窓まで飛んだ。
ヴァルゴが侵入した部屋は、住人の寝室だった。
元の体に戻ったヴァルゴは、窓を開けて外の明かりを入れた。
「住人は男か」
ベッドに畳まれた男物のパジャマを見て、ヴァルゴは言う。そこへ、モリオが追いついた。
「ヴァルゴさん!」
「モリオはここにいな。他も見てくる」
片付いた室内には誰の姿もなく、ヴァルゴは廊下へと出る。心配性なモリオも、こっそり廊下に出て天井に留まった。
すると、ちょうど玄関から物音がし、鍵が開いた。住人が帰宅したのだった。
「ラッキー」
と呟いたヴァルゴは、リビングの明かりを点けた青年の前に現れた。
「おかえりなさーい」
「うわあっ! な、何ですか、あなたは!」
ヴァルゴの気配にまったく気づいていなかった青年は、驚いて床に尻餅をついた。
「おや? 見覚えがあると思ったら、食堂のニイチャンか」
「え? あ……、あなたは、お客様の……、どうしてここに」
ヴァルゴは、うろたえる青年の元でしゃがむと、深紅に染まったままの目で見つめた。
「わるいな。腹が減って限界なんだ」
「お腹が、空いているんですか?」
ヴァルゴの目を見た青年は、体の異変に気づいて冷や汗が滲んだ。
深紅の目から注がれた視線に捕らえられた体は、金縛りのように動かなくなっていた。
「これは、一体……?」
青年は、声を震わせる。
「怖がるな。俺が血を吸えば、そのショックで今夜の記憶なんか消えちまう」
「血……?」
ヴァルゴは青年の首筋に、犬歯を当てがった。
「安心しろ。痛くはない」
ヴァルゴの犬歯はすらりと伸びたかと思うと、針のような細さになって、皮膚を貫き血管へと突き刺さった。
「いだっ!」
涙目になる青年を見下ろすモリオは、
「相変わらず下手ですね……」
と言って、気の毒がる。
ヴァルゴは、皮膚から溢れる血液をすすり、満足した所で顔を上げた。
「あー! 生き返った!」
ぐったりと気絶した青年とは対照的に、ヴァルゴの笑顔はいきいきとしていた。魔眼に切り替わっていた目も、琥珀の目に戻っている。
「マジで死にかけてたよ、俺」
「吸血鬼はそうそう死にはしませんよ」
モリオは、吸血を終えたヴァルゴの肩へと飛んでいった。
「ニイチャン、サンキューな!」
ヴァルゴは、青年を寝室まで運んでベッドに寝かせた。そして、開いたままの窓の桟に足を載せた。
「モリオ、窓は閉めてこいよ。ニイチャンが風邪引いちゃうからな」
「はい!」
ヴァルゴは地上へ飛び降りると軽々と着地し、モリオはそっと窓を閉めて、アパートを後にした。
ホリホック城に帰ると、ヴァルゴはすぐに寝付いた。
モリオも明日の早い起床に備えて就寝するつもりだったが、ふと、宇宙人のことが思い出されて、ゲストルームへと足を運んだ。
すると、部屋の中からはまるまるの呻き声が聞こえた。
寝言にも思えたが、不審に感じたモリオは、ドアを開けて中を覗いた。
室内には、大きな窓からうっすらと月明かりが射し込んでいる。そして、ベッドの上にまるまるの姿はなかった。
一歩侵入して、モリオは息を呑んだ。
ベッドの向こうで、何かがうごめいている。不規則で柔軟な動きは、呻き声と連動していた。
モリオが目にしたのは、先ほどまるまるの後頭部に見つけたヒビが背中まで縦に走り、もぞもぞと動きながら、服を脱ぐように脱皮をする宇宙人の様子だった。
「はわわわわわわ……」
恐怖と驚きで固まったモリオは、まるまるに気づかれないよう、慎重に部屋を出てドアを閉めた。
その頃、アリエスとベルは、地下にある吸血鬼村を散策していた。
吸血鬼城の地下にある吸血鬼村には、直系の吸血鬼が棲んでいた。夜になると、村中にある燭台のろうそくに火が灯り、目を覚ました吸血鬼や霊が集った。
バーでは熟成させた血液を注いだグラスを片手に語り合い、劇場では妖艶なダンサーのショーを楽しみ、レンガでできた四角い箱のような店では、装飾品や人間の街で仕入れた雑貨が売られていた。
店が続く通りを歩く美麗な青年が王子だと気づくや否や、吸血鬼達は「アリエス様だ」と恐れながら、道を空けた。
アリエスは他の吸血鬼に関心を示すことなく、ある店のショーケースに並ぶネックレスに目を留めた。
「ベル、この宝石をどう思う」
ネックレスのペンダントトップには、オーロラ色をした大粒の宝石がはまっていた。
「人間の世界では最近の流行ですので、女性には喜ばれるかと」
「では、これを七つ貰おう」
「ありがとうございます、王子」
半透明の姿をした若い娘の店主は、店の奥から商品が入ったギフトバッグを持ってくると、ベルに渡した。
「一週間は、令嬢の新鮮な血液が得られますね」
ベルの話に、アリエスは、
「いい獲物にありつきたければ、計画的に近づかなければ。ホリホックのような行き当たりばったりの吸血は、まったく美しくない」
と言った。
そのとき、アリエスの鋭い意識が、ホリホックの吸血鬼の気配を捉えた。
アリエスが視線を向けた先には、吸血鬼村とホリホックの地下通路が交わるホールがあった。
普段であれば就寝して人影がなくなるホリホックのエリアに、身を潜める人影がある。
「ベル。ホリホックの地下に、宇宙船がかくまわれていると言っていたな」
「はい。それが、どうかされましたか?」
ベルは、珍しくホリホックの話題に触れたアリエスを不思議に思って訊ねた。
「いや。また一人、バカを見つけてしまっただけだ」
アリエスは口元を緩めて笑うと、
「そろそろ街へ行こう」
と、踵を返した。
翌朝のことだった。
カラスが鳴き、東の空がうっすらと日の出の兆しを見せる頃。ホリホック城では、くまができた顔で、モリオが自室から外を眺めていた。
何もない丘の向こうに、穏やかな朝の街が広がる。しかし、その上空に浮遊するライトに気づいて、モリオは目を見開いた。そのライトは、まだ出発していないはずのまるまるの宇宙船だった。
慌てて三階へ上がったモリオは、ヴァルゴの部屋へ突入した。
「ヴァルゴさん、起きてください! まるまるさんの宇宙船が飛んでいます!」
毛布にくるまっていたヴァルゴは、寝癖のある頭を覗かせ、
「時間か……?」
と呑気に訊いた。
「時間?」
我に返ったモリオは、部屋の柱時計を確認した。時計の針は、四時半を示していた。
「はっ。五時じゃない……。何も言わずに帰ってしまったんでしょうか」
「んー? 帰ったって、誰が?」
寝ぼけたヴァルゴの手を引いて、モリオはゲストルームに向かった。
「ヴァルゴさんが開けてください」
「なんで俺が」
「……僕は、ちょっと、怖いので」
おぞましいものを見た恐怖で一睡もできなかったモリオは、言葉を濁らせる。
「おかしな奴だな」
ヴァルゴがドアをノックして開けると、窓際にまるまるが立っていた。
「まるまるくん、おはよう」
「あっ、おはようございます。ヴァルゴさん、モリオさん」
まるまるは変わった様子もなく、明るい調子で応えた。
「まるまるさん……?」
ヴァルゴの背中に隠れながら、モリオは、飛行する宇宙船の持ち主がここにいることに困惑した。
「まるまるくんは早起きだな」
窓際に行くと、ヴァルゴはようやく空を飛ぶ宇宙船を目にした。
「あっ! あれ、お前のじゃないの?」
「そうなんです。宇宙船の起動音が聞こえて起きたのですが、どうやら、誰かが乗ってしまったようです」
「いいの? 帰れないじゃん」
心配するヴァルゴに、まるまるは動じることなく言った。
「大丈夫ですよ。自動運転でまるまる星に着いた後、明後日にはここに送り返されてくるでしょう」
落ち着いて話すまるまるの肌は、心なしか昨日よりもツヤツヤしていた。
ヴァルゴ達が話している間、モリオは、ごみ箱から透明なビニールのようなものがはみ出していることに気づいた。
二人に見つからないよう、そっとヴァルゴの背中から離れたモリオは、ごみ箱を覗き込み、中に手を入れた。
ビニールのようなものはぬめりのある感触をしていて、思わず手がすくんだモリオだったが、思い切ってそれを持ち上げる。
モリオが手にしていたのは、まるまるの形をした、脱皮後の表皮だった。
叫びたい衝動をこらえたモリオは、それが微かに桃の香りを漂わせていて、どこかで聞いた話を思い出した。
「何してるんだ、モリオ」
「いっ、いえ! 何でもありません」
モリオは、そそくさとヴァルゴの元へ戻る。
「そろそろ、ワープに入りますよ」
まるまるの指摘があり、三人が見守る中、宇宙船は空の彼方へと消えていった。
警戒態勢が続いていた街では、もちろん、このワープも目撃されることとなった。
「ヴァルゴさん。仙人は、家にはいないみたいでした」
事情を話すために仙人を探していたモリオは、ゲストルームに帰ってくると、コウモリの姿から人の姿になって言った。
「朝っぱらから、どこに行っちゃったんだろうな」
「そろそろ食事の支度が整いますから、一階へ下りましょう」
モリオの先導で、廊下に出たときだった。
三人は、ちょうど、自室から出てきた大王と女王に出くわした。
「……あ。やばいね、これ」
ヴァルゴが逃げる暇もなく、女王の鋭い目は白い宇宙人を捉えた。
「ヴァルゴ、モリオ、おはよう! ……そちらのゆで卵みたいな人は誰だい?」
大王の無邪気な質問に、ヴァルゴはもごもごと曖昧に答える。
「あの……、地球じゃない所の、吸血鬼でも人間でもゆで卵でもない……」
「はっきり言いなさい」
女王の冷徹な声音に、
「宇宙人です」
ヴァルゴは即答した。
すると、女王が履いていたハイヒールが瞬時に投げ飛ばされ、ヴァルゴの眉間に命中した。
「宇宙人を無断で泊めるなんて、非常識にも程があるわッ」
落ち着いた物言いで言い捨てた女王は、ハイヒールを回収し、使用人と共に階段を下りていった。
驚いたまるまるは、倒れたヴァルゴを抱き起こした。
「すみません、僕のせいで」
「いや、母さんあんまり怒ってないみたいだったし」
傷跡を撫でながら、ヴァルゴは楽観的に言った。
「そうなんですか?」
「いつもはこんなもんじゃ済まないよ」
そこへ、大王がこっそりと耳打ちをした。
「母さんはね、宇宙人が苦手なんだよ。昔、宇宙人の脱皮を見ちゃったんだって! 宇宙人を前にして言うのも失礼だけど、怖かったみたいだよ」
モリオは、その話に心の中で同意した。
「そんな宇宙人がいるんだね。まるまるくんは、俺の部屋で一緒に朝食を摂ろうか」
「ありがとうございます」
「父さんも交ぜてほしいな。君達はどこで知り合ったの?」
女王のリアクションはともかく、大王までもが宇宙人に好意的な様子を見て、モリオは不可解でならなかった。
その夜、ヴァルゴとモリオは宇宙船騒動で賑やかな街へ出た。
食堂に顔を出すと、アルバイトの青年は首筋に大きな絆創膏を貼っていた。
朝起きたら虫に刺されて腫れていたということで、若女将が消毒してあげたらしかった。
そして、アルバイトに入って一週間だった彼は、異例の早さで正社員として雇われることが決まったという。
(おわり)