07 VS黒狼
リーシャは木の根や岩など足場の悪い地形を走って飛んで進んでいる。その動きに無駄は無く、まさに樹海を吹き抜ける風の様だった。
彼女の目的は狩りだ。獲物となる動物を見逃さないよう注意深く辺りを探り、そして見つけた。
薄茶色の毛並み、黒く真っ直ぐな瞳、特徴的な一本角から一角鹿と呼ばれる動物。一角鹿は岩に着いたコケを舐め取り食事をしていた。
リーシャは木の陰に隠れ一角鹿の様子を窺う。鹿はリーシャに気付いていないようだが油断はできない。出来る限り気配を殺し弓を引く。
僅かに漏れた殺気を鹿は敏感に読み取り顔を上げた。が、次の瞬間頭部に矢が突き刺さった。鹿は地面に倒れそのまま動かなくなる。リーシャはゆっくりと仕留めた獲物に近づいて、一角鹿が絶命した事を確認した。そしてアイテムポーチから布を一枚取り出し、布を仕留めた鹿に被せる。
布にはリーシャ自身の匂いをしみこましてある。それを鹿に被せることでサルベージが警戒し、剥ぎ取り前の死骸を間違えて食べないようにするのだ。
作業が終わるとリーシャは身を翻し、通った場所を同じように戻って行く。
(もう六体目。いつもなら丸一日使って半分以下の数しか仕留められないのに……。やっぱり手伝ってくれる人がいると効率がいいわね。貯蓄も出来たし、まだ日が高いけど村に戻ろうかしら)
などと考えていると、遠くの方から獣らしき雄たけびが聞こえてきた。
「今のは、まさか……」
リーシャは進む速度を上げ、暁仁の元に向かう。木々に木霊して声の方向までは分からないが、不安を煽り立てるようにリーシャの心を焦らせた。
恐らく今の声は魔物の類だろう。世界の毒素たる魔素の影響を受けた動物、その殆どが本来の性質を見失い存在を変質し凶暴化する。元の動物の名残が多少残っているものもいれば、全くの別物へと変わるものもいる。凶暴化しなかったものも安全ではなく、毒を撒き散らしたり深刻な汚染を残す。
更に魔物は例外なく特殊な力を持っている。それは人が使う魔法と似て異なる危険な力。
魔物は厄災だ。周囲に破壊と災害を振りまく。それに立ち向かうには訓練を受けた人間が集まり、完璧な連携が出来て初めて可能となるのだ。
兎に角、危険な魔物が近くにいる。早いところ暁仁と合流し場所を変える必要があった。
リーシャは出来る限り速度を上げ暁仁の元まで急ぐ。その途中前方から来たサルベージの群れとすれ違う。キーキーと周囲に危険を告げるよな鳴き声を上げながら嵐の様に通り過ぎていった。
普段滅多に鳴き声を上げないサルベージの慌てようや逃げてきた方向がリーシャの焦りを増長する。
「シンタニ、魔物が現れた可能性があるわ! 早く場所を変え――!!」
暁仁がいる近くまでやって来たリーシャは早いところ状況を伝えこの場を離れようとする。が、発した言葉は最後まで声になる事は無かった。
暁仁がいると思っていた場所に人影は見えない。地面には解体したと思われる一角鹿の肉が散乱し、暁仁に渡したと思われるアイテムポーチが落ちていた。辺りの木はなぎ倒され折れている。そして、唸りを上げ今にも襲い掛かろうとする黒狼が数匹。
「シャドーウルフ! なぜ!?」
驚きの声を上げると弾かれたように距離を取り、リーシャは即座に弓を構えた。
※
暁仁は一心不乱に走る。不慣れな地形に足を取られ、それでも転ばないよう体重をうまく移動し走り続ける。背後には二匹の黒狼がすぐ傍まで迫っていた。
黒狼の興味を逸らす為に鹿肉をばら撒いたが、残念ながら効果は無かったらしい。
一匹が暁仁に追いつき動きを止めようと飛び掛かる。
「くっ!」
暁仁は素早く方向を変え間一髪それを躱す。が、躱した先にもう一匹の黒狼が回りこむ。狼の目的は足止めなのか、それ以上暁仁に襲い掛かる様子はない。
苦々しい表情で暁仁は舌打ちした。今雑魚二匹に構っている暇は暁仁には無い。なぜなら――
「グオオオオオオオオオオオオオォォ!!!」
――それ以上に厄介な化物が近づいているのだ。
暁仁の倍以上の大きさがある二足歩行の黒狼。逃げ回る獲物を弄ぶかのようにゆっくりと、自分を主張しながら近づいてくる。
「フン、焦らずとも相手してやる。だからもう少しゆっくり来い!」
そう言って再び暁仁は走り出す。それを阻止するように黒狼が立ちふさがるが、暁仁は地面を強く蹴り黒狼を飛び越えて進む。
暁仁が逃げている理由は化物狼と戦いたくないからではない。寧ろ戦う為に逃げえていた。
現状であの化物と対峙するには地形が圧倒的に不利だ。
まず地面は足場が悪く足を取られやすい。埋め尽くさんばかりの木は暁仁の動きに制限をかけるが、化物はお構いなしになぎ倒す。更に死角が多く取り巻きの黒狼の不意打ちが怖い。
あの化物と戦う為には開けた場所に移動し移動の制限を抑える必要がある。とはいえ、暁仁は樹海に詳しくないので完全に運頼りだ。
黒狼と攻防を演じながら暁仁は進む。流石に鬱陶しく思えていた。一匹だけなら兎も角、連携のとれた二匹は実に厄介だ。
どうにかして片方だけでも始末したい。魔術を使えば簡単だろうが、化物と戦うために、“その先”のために魔力を温存しておきたい。
「何かないか、何か……あ。ナイフがあった」
それはリーシャに鹿の剥ぎ取り用にと借りた物だ。当然切れるし刺せる。化物は歩いているので距離的には余裕がある。
「よし、やるぞ」
暁仁は身を翻しナイフを構えた。
明らかな攻撃の意思を見せる暁仁に黒狼は躊躇なく飛び掛かる。
わかりやすい攻撃を危なげなく躱し、すれ違いざまに刃を突き立てようとする暁仁。が、もう一匹の黒狼が間髪を容れずに飛び掛かってきた。
「ぐっ!!」
暁仁は慌てて体を捻り、黒狼の体を躱した。無理な体重移動で体勢を崩し倒れそうになが、背後の木に支えられ致命的な隙を作る事は防ぐことが出来た。
すぐさま体勢を立て直し、黒狼と距離をとる。
「俺が逃げないと見たら二段攻撃か。獣にしてはいい連携だ。だが、次はない」
黒狼が人の言葉を理解できるか分からないが、暁仁は構わず声をかけた。暁仁の優先順位は演出が第一、合理性は二の次である。
二匹は言葉を理解しているのか否かは不明だが、タイミングを計ったかのように同時に別々の方向に動き出した。
暁仁の周りを鏡合わせの様に移動する。木々を縫うように動き、獲物の死角を探る。
片方に意識を向ければもう片方を見失いかねない。かと言って両方の動向を探るのは愚策だ。そんな事をすれば両方を見失い、手痛い一撃を貰う事になる。
暁仁は最初に飛び込んできた黒狼の方に目で追った。
木の陰から陰に移動し、次第に黒狼が影の様に不鮮明なものへと変わる。瞬間、黒狼は実体となって飛び掛かって来た。反対方向からも強く地面を蹴る音が耳に届く。
暁仁はそれを余裕をもって大きく躱す。若干先ほどより距離が離れたので今度はすれ違いざまに切りつけようと体を捻る。
すると、それを待っていたと言わんばかりに目の前の黒狼が目を細める。まるで罠に嵌った愚か者を嗤うように。
理由は簡単だ。反対の黒狼はまだ飛び掛かっていなかった。
黒狼がそれぞれ合わせ鏡の様に動いたのは、獲物に二匹は同じ動きをしていると思い込ませるためだ。
黒狼ことシャドーウルフは賢く狡猾な魔物だ。獲物の習性を理解し、行動を予測し、集団で連携し、確実に仕留める。
二匹は人間の視野を熟知していた。人が正面しか認識できない事を利用し、対称的に行動する。
ここで人が取れる行動は二つ、両方の動きを捕捉しようとするか、どちらか片方に狙いを絞るか。前者なら獲物を翻弄し死角から仕留め、後者なら同時攻撃と思わせタイミングをずらす。
途中まで合わせ鏡の様に動いたことが人間の潜在意識の中に残るので、音を立てれば同時に攻撃すると思い込む。しかし実際は予想に反して時間差攻撃、獲物が驚いた一瞬の隙を突く事が出来る。
今回の獲物も同じだ。両方が同じ動きをしていると考え、若干大きく避けることで完全に躱したと思い込んでいる。
勝ち誇ったような笑みを浮かべる暁仁にもう一匹の黒狼が飛び掛かった。不意を突かれた暁仁は表情から笑みが消える――事は無かった。
「言ったはずだ。次はない、とな!」
暁仁は地面を蹴り後ろに飛び退く。すると丁度目の前に黒狼の姿が現れた。
ナイフを素早く逆手持ちに持ち変え、そのまま黒狼に押し込む。ナイフは黒狼の太もも辺りに突き刺さり、赤い鮮血を噴き出した。黒狼は足で着地することなくそのまま倒れ込む。足にはナイフが刺さったままだ。
「いい連携だが、それでは足りないのさ。この俺には届かない……。さらばだ!」
そう言い残すと暁仁は一目散に走り出す。
二匹に大分時間を取られたが、まだ本命が残っている。急いで場所を移動し、早いところ開けた場所を見つけなければならない。